【TAROの日記】

2016/07/26(火) 08:32

死に場所

6月29日以来の書き込みである。
こんなに間が空いたのは過去にない。

まずは、9日ほどギリシアに行ってきた。
トラブル満載の楽しい旅だった。
たかが観光旅行で生存の恐怖なんてないけれど、トラブル中の気分は、それに近い。
そのトラブルが次々と降ってくる。
でも、それがどこかで面白いと思うのは、まだ精神年齢は若いからかもしれない。

ギリシアでは発見もあった。
「なるほどねー」という納得は、海外旅行に行くといつも得られる気分だけど、今回の発見は生存の自信にもなると思った。
ついでに、欲望も手に入って、良い旅であった。

そして、そのまま家に帰らず、東京で仕事。悲惨である・・・・・・・。
法事のために2日だけ家に帰って東京にとんぼ返りしたため、家のほうが旅行先みたいだ。

さらに、東京で仕事を終えて、恒例フジロック。
前夜祭も満喫するうえに、最終日は12時を越えても楽しむので、延べで5日の贅沢三昧。

最終日のオオトリは、悩んみに悩んで結局ステージ前にいた。
やっぱり悔いは残せないということで、黄門さまを近くで楽しむことにしたが、想像以上のパニック度。多くの人が途中離脱していくうえに、離脱後心臓停止した人までいて、印籠の威力には改めて恐れいった。

しかし、あの印籠、毎度の凄みはあったけれど、自分には遠いものになったように思えた。
印籠だから仕方がないのだけど、一見パニックのステージ前は案外予定調和の集積でしかない。まー、パニックさえも予定調和と言ってもいいだろう。
もちろん、離脱する人はいるし、めげた人は多数だろう。私もめげた。
でも、そこに驚きはない。
いろいろと、印籠の威力について考えてしまうステージだった。

ところで、あの心臓停止した人は無事かな?
心臓マッサージの後、ピクっと手が動いたので、息を吹き返したと思えたけど、さてどうか?
帰って妻に話したら、「人に迷惑をかける死に方だけはしないでね。でも、あなたの場合、そういうところで死んでもいいかもね」と言われた。
「んーー、それはそうだなー」と思いつつ、今回の印籠では死にたくないと思った。

そして、死んでもいいと思えたパフォーマンスってなにがあったかなー?と考えた。
んーーー、年をとって経験を積み過ぎたせいで、最近はそういうのがないな。つまらないことになっている。

そんなことを考えていたら、80年に東大の大きなグランドで行われた野外フェスの景色が浮かんだ。
その時は、まだお上りさんで何も分からず、数々のステージに圧倒された。

妻には言われたが、どうもステージ前では最早死ねないようである。
ちなみに、海外旅行で死ぬのも嫌だ。

そう考えると、やっぱり地味に家なんだろうな~って思うのも年をとったせいか?
そのうち、海外旅行のトラブルも嫌になって、パッケージに乗っかるようになるのかもしれないな・・。

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