2017/01/30(月) 08:35
フィリップ・ガレルの新作を見た。
そして、21世紀のヌーベルバーグの映像を見て思った。
「どうしていつまでも新鮮なんだろう?」
ヌーベルバーグ
ニューウェーブ
ボサノバ ・・・・・・・
それは、それぞれの時代の新しい波であったわけだけど、そのまま一つのジャンルになった。
そして、ヌーベルバーグには、ヌーベルバーグの共通した匂いがあって、それにやられてしまった者は、いつになっても離れられない。
ヌーベルバーグは重要人物の多くが亡くなり、ゴダールははるか彼方に飛んでいってしまっているので、フィリップ・ガレルは、やられてしまった人たちにとって防波堤とも言える。もちろん、新しい人たちの中にも瑞々しいヌーベルバーグ感を畳み込んだ作品を作っている人たちはいる。でも、当事者らしいsomethingは何だか違うのだよ・・。
それは、昨年年末にロフトで見たニューウェーブにも感じたし、コットンクラブで見たボサノバにも感じだ。
ただ少し残念なことは、レオス・カラックスの登場で、ヌーベル・ヌーベルバーグという言葉が出現したことはあったものの、その後、ヌーベルバーグもニューウェーブもボサノバも更新がない。一つのジャンルとなって、止まってしまった。
でも、私は止まっても全然かまわないとは思っている。
むしろ、知りたいことは、一つの「なぜ?」
この3つの新しい波は、どうしていつまでも新しいのか?・・という疑問。
いつになっても古びない。
だから、懐メロにならない。
それが不思議だ。
それぞれのジャンルで起きた革命は、世界の革命同様に、その後反動が起きた。そして、反動たちは古びていった。
もちろん、古びてしまった反動にも根強さはある。ヤンキー化や学園化なんて、案外、新しい波よりも不変かもしれない(笑)。
ところで、2年ぶりに、『映画セミナー』をやります。
時期は未定ですが、前回のテーマをさらに深めます。
なお、今回のお題の一本はヌーベルバーグの珠玉の逸品。
そして、もう一本は、ポスト構造主義的一本です(これがドイツ映画というのがいいんだよな・・)。
特に、前者は最近のおしゃれな映画館で見るより、古びた映画館が似合います。
でえ、これにチャップリンを絡めた内容になる予定です。
なお、前回のような、終わりに「えーーー!&’%’$#%$’&!!」となるような真似はしないのでご安心下さい(笑)。
楽しみです。