カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2013/08/21(水) 08:22

車の中

朝の通勤時間を含めて、車の中の生産性と付箋発見性(打ち間違いではありません。これは、一般的には知られていない私周辺の概念です)はとても利用度の高いものだと思っている。

本日は、朝は、3つほどの質問を車の中でやってみた。
オカモトくんが問い、オカモトくんが答えるわけだが、ほとんど、オカモトくんは答える必要はない。問うたオカモトくんが、サクサクと答えを出すからだ。

中に、一つ難問があって、その難問については、いろいろ質問のニュアンスを変えて聞いてみると、あるニュアンスにしたときに違和感がなくなっていった。私は、それで難問の答えを得た。そして、同時に自分の心の在り処が随分変わってきたことに驚いた。

気分的には、学習1が学習2になった感じ。
何か大きなアウフヘーベンが起きている・・みたいな感じ。

とにかく、自分の心は、どうも違うところにあったのだ。
どうして気付かなかったのかと思うけど、人間は毎日の延長線で生きているので、これがさっぱり気づかないようであーーる。

次に、気づいてしまったことはいいとして、それを受けて自分はどう動くのか?という疑問が湧いた。
しかし、すぐに答えは降りてきた。「すでに、はじめているではないか・・」。

なるほどー、ここんところはじめている行動は、ここでつながるのか・・と一人感心。
そして、これから、このことが広がっていくのだな・・と少し思った。

こうして、私は発見した。
意外なところに書いてあってびっくりだ。

・・・・・という通勤を本日はやりました。ムダはないな~。

【TAROの日記】

2013/08/20(火) 08:26

村の祭り

昨日は、村の祭りで、獅子の役をやらされていた。
仕事が忙しいので、息子にやらせるつもりだったら、20歳以下はダメだと言う話になって、急遽、飛んでいった。
息子が高校生になったので、もう子供にやらせておけばいい・・と思っていたのが甘かった。

そういうノルマは仕事との調整もあってめんどくさいけれど、素朴な祭りが残っているのはいい。
残念ながら、夏祭りの規模はだんだん小さくなっていて、今年も現実に合わせて役割が少なくなっていた。

役割が少なくなったからだろうか、何年もやっていて初めて気づいたことがある。
行列の一番前が天狗なのだ。

天狗って、基本的に境界線の向こうの人のメタファーでしょ?
それが、神社に向かう列の一番前ってどういうことよ?
・・・と今頃思った。
引っ越して14年くらいになって、初めて気づくとはマヌケなことだ。

でぇ、調べました。
天狗は、猿田彦らしい。
なるほどー、あの神社に向かう列は、天孫降臨ということなのね。
猿田彦が先導し、神が神社に入る・・と勝手に理解した。
しかし、その列の出発の場所が、我々が酒を飲んでいた宮司さんの車庫というのはどうなんだろう・・とつまらないことも考えてしまった。

しかし、私がやった獅子は何なんだろう?
こういうものには、獅子舞は付き物・・という軽い意味か?

村では、私たちがやらされる行列を「おのぼりさん」と呼ぶ。
本職の宮司さんとかよくわからない人たち大勢が列を構成する。
そのひとりひとりに意味があるのかもしれないと思ったら、今度飲むときにでも聞いてみようと思った。

この役目が終わると、夏も終わりだーと思うのだけど、まだ暑さは続きそうだ・・。

【TAROの日記】

2013/08/19(月) 08:31

邂逅

土曜日に、久しぶりに山の仲間達と会った。
会っていない人で約30年、比較的短い人で20年。
昔は、毎週会っていたような人たちなので、その懐かしさもひとしおだった。

昔、仲間の何人かでテントを張っていた時、酒を飲みながら次のようなことを言った記憶がある。
「今、みんなと山行を続ける日常は、涙がでるほど楽しいけれど、これもいつか終わる。それを考えると、この楽しさの日常化ってできないものかと考えるんだよね」

おそらく、当時の私は25歳くらい。そして、この時に、決めたのかもしれない。
どこまで、この楽しさを日常化できるかを・・・。

それで、この時から12年後くらいに、田舎の土地を買う・・というところに至る。
そして、仕事を含めて、まるで、山を縦走するかのように、向こうにある何かを探し続けている感じがする。

・・・・・・・・

昔の仲間との集合場所は、ある山の頂上で、私が着くと、3人が先に来ていた。
そして、それから4人が上がってきて、しばし再会を喜び、そのうち私を残して、みんなは去っていった。
・・というか、みんなが昔と同じように粛々と帰り支度をはじめたら、無性に一人でそこにとどまっていたくなって、「俺は、降りねー」と宣言。「あいかわらずだねー」というような顔しつつ、みんなはそれぞれの来た道を去っていった(登ってきた道もそれぞれ違うのです)。

一人残された私は、寝転びながら、空を見た。
適度に酒も入っていたので、いつも以上に空は綺麗で、いろんなことを考えた。
そして、時間って何なのかと思った。
自分が研磨機に入っているような感覚もした。

ずっと、そのままいたかったけど、1時間ほど経って帰路へと向かった。
来た道を下りはじめると、今まで思ったことのないようなナニカを感じた。
このナニカって何のか?
掴めそうで掴めないナニカで、そして、それは絶対に掴めないもので、名前を”人生”というのだと思った。
それを月並みな言葉で言うと、来た道なんてどうでもいいのだ!ということなのかもしれない。

【TAROの日記】

2013/08/15(木) 08:31

さらにさらに今日もお盆のようで・・。

家族がいない家で一人・・は、結構好きな事ができていいのだけど、出勤しようと玄関に行くと鍵がない・・。
昨日、鍵を開けて入ったはずなのに、鍵がない。
これを探すのにロスタイム10分。

やっと解決して、玄関を出ると、郵便受けに回覧板。
あ!回覧板を回さなきゃ!と思って急いで、次の家に回して、さて出勤・・。
しかし、回覧板を回すことにばかり一生懸命で、内容を見忘れたことに気づく。

一人で家にいると、ギクシャクが続く・・。

話は変わって・・。
今日の事務所はさらに人が少ない。
お盆休みは、今日が本番なのか?
んーー、そうは思えないが・・。

昨日、本を書いていたら、途中で脳みそがキレて、タメ口で好きなことを書き出したら、これが面白い。
このまま、この文章を本にしよーと盛り上がったけれど、朝目を覚まして、冷静になると単なる時間のムダだったことに気づく。
しかし、そのキレた文章のせいで、本の着地点が見えた。
問題は、この着地点に到達する過程がとても苦しいこと。今は文章化が可能か悩む
でも、着地点が見えてしまうと妥協は難しい。後数ヶ月苦しむのは見えているけど、やるしかないんだよな・・・・・・・。

世間はお盆、私は本。
外は暑くて、私の頭も暑い。
家族からも世間からも隔離されて、今日も仕事に励むのだった・・。

【TAROの日記】

2013/08/14(水) 08:31

引き続きお盆らしい・・

昨日は、人が少ない静かな事務所で仕事が超はかどり、今日も鼻息は荒い。
さらに、今日は、家族が妻の実家に行くので、私一人のため、夜もたくさん仕事ができそうだ。

今の気分は、戦場に臨む前の兵士みたいな気分で、本日一日の戦術は大雑把にできているけれど、さて、どこに隘路があるかとドキドキしているところである。

どんなに時間があっても、隘路にぶつかると大量の時間なんて一瞬で吹っ飛ぶ。
仕事の順調さとは、何も起こらず予定どおりに物事が進む(=実は、単なるルーチンワーク)ことと私たちは考えているけれど、本当は、そんなのは仕事ではないのだろう。

本当の仕事の快感は、隘路を抜けた後の滑り台をすべるような仕事の運びにある。あの滑り台を降りる気分は、単なるルーチンワークと違って、正に、至高体験一歩手前の快感である。

・・・・・、しかし、私たちは、それでも、隘路を嫌う。
私は、今からドキドキしていて、朝から隘路にぶつかったらどうしよう・・と思っている。
でも、本当は、朝から隘路にぶつかった方が幸せなのだ。

さて、ドキドキしながら、突っ込みますか・・。

【TAROの日記】

2013/08/13(火) 08:25

お盆らしい・・

本日の通勤はすいていた。
お盆ということらしい・・。
そういえば、我が家も今日の夕方は墓参りだよ・・と言われている。
それをわかっていながら、日本中がお盆であることを忘れているとは・・。

出勤する社員も少ない。
みんなの気分は夏休みなのだ。

私は逆にエンジンがかかっている。
ここんところ集中してできなかった仕事を一気にこなす。
7月の遅れをこの4日間で取り戻すつもり。
だから、とても気合が入っている。

人の少ない会社もいい。このまま今くらいの人数にしたいくらいだ。
エネルギーの価格が上がり、200万円のロボット(今のところ、単純作業だけど今後はわからない・・)が発売された世界の先というものは、どうせそんな世界のはずだ。
スタッフをやめさせる気は全くないけれど、よほど覚悟を持って仕事に取り組まないと誰が失業してもおかしくないと思う。
200万円のロボットとクラウドソーシングに挟まれてしまった日本人の未来を暗いとは思わないけど、ノーテンキではやっていけない。

みんなが休んでいる時に、ガンガン仕事をするのは好きだ。
そもそも、世界の構造の一つは、これだもんね・・。

【TAROの日記】

2013/08/12(月) 08:25

無題

土曜日に、庭で会社のバーベキューをやったので、足中が蚊に食われている。

我が家の庭でやるのは、楽といえば、楽だけど、道具の用意や炭おこしを、私がやらなくてはならなくなるので立腹している。

12時くらいからはじまった飲み会は、9時近くまで続き、若干1名が行方不明になるという事件もあって、毎年のごとく疲れて終わった。

ちなみに行方不明者若干1名は、興奮してチャリンコに乗り走りだしたものの、800mほど先のコンビニで撃沈。そのまま爆睡に入り、通りがかりのオジサンに起こされて、戻ってきたらしい。バカである。

おかげで、翌日は仕事三昧の予定だったけれど、まったく何をする気もしなくて、結局、ウダウダと遊んだ。
Eで遊んでいたら、「きらきら星」になって、Dで遊んでいたら「ニューシネマパラダイス」になった。
気分がそんな感じだったみたいだ。
夕日がきれいで、庭に行って、トラベル君で「ニューシネマパラダイス」を演ったら感傷的になってしまった。当分、これはやりそうだ。うるさくないので、妻も文句を言わないし・・。
「キラキラ」もジャジーにやると結構はまる。

単純バカもおもしろいし、単純な曲も悪くない。

【TAROの日記】

2013/08/09(金) 09:10

アリストテレスとタレイラン、ジミー・ペイジに河上徹太郎

昨日は、爆睡だった。

爆睡から抜けて目を開けてみると、枕元は、「アリストテレスとタレイラン、ジミー・ペイジに河上徹太郎」だった。

少し笑った。

あまりにも脈絡のない本たちが、全部、半開きになって投げられている。
どれも読書途中なのだ。

しかし、ジミーペイジは、おそらく3ヶ月くらい枕元にあると思う。
いつも同じ所を読んでは寝る・・の連続だけど、アリストテレスの後に読むとホッとする。

ところが、修辞法の表現の中にどっぷりつかってから、河上徹太郎を読むとついていけなくなる。
『詩学』でも読んでいれば少しは違うのかもしれないけれど、今回の河上徹太郎セレクションは失敗だと思っている。

タレイランは不思議だ。
いつ枕元に来たのだろう?
前から読みたかったのは確かだけれど、フーシュではなくてタレイランなのが謎なのだ。
さらに、この易しそうな顔をした、でも表現が今風でなくて読みづらい・・という古典は最も苦手。いっそ、「あんたのことなんて、相手にしないよ!」と一刀両断に切ってくれる本の方がどれだけ御しやすいかと思う。

混迷の枕元の景色は、数日で一部が変わる予定だけれど、いつもこんな感じでグチャグチャしている。
こういう溺れ方が好きなんだろうな。

【TAROの日記】

2013/08/08(木) 08:27

リズム

ずっと、家にいなかったので、日常のリズムが崩れていた。
それが、ここ数日で、いつものリズムに戻りつつある。

やはり、構築したリズムは気持ちがいい。
少し欲張りなくらいやることの連続だけど、これが私のリズムである。

今月は、出張が少なく、このままリズムが続くけれど、そのうちまた崩れる。
そして、また再構築。この連続がずっと続くわけで、これもまたリズムである。

気持ちのよいリズムとは、決して、前に前にドンドン刻んでいくリズムではない(若者はそういうのが好きなようだけど・・)。
微妙なタメのあるリズムが私のようなものには一番気持ちが良い。

トンと鳴って、気持ちお休みがあって、次のトンが来る。
間のお休みは微妙で、休符まではいかない。だからタメなのだ。

私たちは、こういうリズムを黒人から教わったことになっているけれど、普遍的なものではないだろうか?

仕事なんて典型で、このお休みがあって質がアップする。
ドンドコ進む仕事にいいものなんてないのだ。

でぇ、私の日常のリズムにもタメは重要なのだと思う。
だから、当事者には毎日のリズムは少しギクシャクなものに感じる。
そして、それでいいのだ。
スムーズに行くときは、何か起きているものなのだ・・(笑)

【TAROの日記】

2013/08/07(水) 08:28

カセット

車を修理に出したので、代車が来た。
代車は嫌いではない。
タバコの臭いは困るが、一昔前感がとても馴染む。

毎度のことだが、代車にはカセットが付いている。CDを車に付ける前の時代感の漂いが良い。
そこで、カセットを車に持込み通勤する。

ちなみに、このカセットは先月買ったもの。
私の周辺では今でもカセットは大現役で、部屋には空の60分カセットも大量にある。

ただし、新譜カセットについては買うだけで聞くことは少ない。
時間があると、MP3にして取り込んで聞いているけど間に合わないのだ。
そんな私に、代車のカセットプレイヤーは僥倖なのだった。

バシャ!!というカセットの入る音も含め、またまた時代感がいい。
そして、流れるチープな音。これがまた温かいのだ。
このバンドのベースはどうなのか?と不満に思いつつも、カセットの暖かさがそれを許してくれる。
考えてみると、70年代、80年代の音楽というのは、こんな周辺機器との相性からも成り立っていたように思う。
特に、80年代なんて、カセット文化で成立した変種だったと思えてならないし、それがCDになって馬脚を表してしまった感じもする。

そんなことも含めてカセットには、カセットの世界がある。
そういえば、80年代にはカセットブックという変わり種もあった。
私もPモデルの『スキューバ』を筆頭にいろいろ買った。当時の価格はとても高かったと記憶している。
今ではああいうものは成り立たないと思う。あの頃は市場の深みというのがあったのだ。

上述の通りで聞いていない新譜カセットは大量にある。
代車があるうちに聴き倒そうと思うのだった。
そんなことを考えていると、80年代の青い空が浮かぶのはどうしてだろう?

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