【TAROの日記】
2013/08/01(木) 08:14
執筆停止中
執筆が止まっている(止まっています。出版社殿)。
なにせ、7月が数日しか家にいなかったので計算内のつもりだったけれど、書くのをやめてしまうと、書きはじめで再び時間がかかるのは常。それも計算内だけど、それにしてもやることが多い。明日からまた出張である。
気晴らしのギターさえ弾けない。本当は、モンゴルにアコギを持って行って盛り上がったから、アコギ三昧の日々を想像していたというのにトホホ・・なのだった。
結局、執筆再開のための助走に入ろうにも、その助走の時間がない。困ったものである。
でぇ、そういうのも想定内のはずだけど、想定内なのに余裕が無いというのは、どういうわけか?
想定外のことが起こりそうとどこかで推測しているからかもしれない。
それを杞憂というけれど、どうなんでしょうね?
とりあえず、私にはこれ以上のエネルギー配分の余裕はない。
ごちゃごちゃ言っていても仕方がないので、とにかく仕事をする。出張に行く。でぇ、どうなるかな?
【TAROの日記】
2013/07/31(水) 08:24
腐れ縁というのかどうか・・?
高校時代の友人が地元に帰ってきた。
一ヶ月ほど前にそれを知り、あちらからも何度か連絡をくれたり、事務所に訪問してくれたりしたようだけれど、7月はほとんどいなかったので、会えないままあっという間に時間が経ってしまった。
何度もの行き違いがあってそのままになっていた昨日、知らないおじさんに声をかけられた。
お客様関係のお通夜での駐車場での出来事だった。
それが彼でありました。
会うときはこんなものである。
そこで、ちょっと彼とのことを反芻してみた。
私は彼とはそれほど遊んだ記憶がない。
高校時代の友人の中では気のあった方だと思うけれど、趣味が違うのが決定的で学校でだけの仲だった。
そして、大学生になってからは数度、社会人になってからも数度とても世話になった記憶がある。
確か社会人になってから一度自宅におじゃましたこともある。
多くの友人とは、大学以後は会うこともない。
だから、それ以後も会って酒を飲んだりしているというのは、それなりに近い存在といえるだろう。
しかし、それほど多く連絡を取り合っていたわけでもない。
そんなことを考えていたら、彼の存在が不思議に思えてきた。
とても不思議な距離感なのだ。
高校時代にそれこそ毎日遊んでいた奴らがいる。しかし、彼らとはすでに縁はなかったりする(連絡先がわからない)。
ところが、彼とは、それなりに途中に邂逅があり、再び、その時がやってきたのだ。
こういうのを腐れ縁というのかな?と私は思った。
そういえば、こういう腐った感じ(とてもよい距離という意味です)の縁の人は他にも何人かいることに気づいた。
そして、縁というのは、意思のない接着剤のようなものだと再認識した。
フラフラしていても一人ぼっちではないのだ。
【TAROの日記】
2013/07/30(火) 08:28
言葉にならない・・というのが本当
最後にブログを書いたのが7月2日。
今日が30日。
ほとんど一ヶ月書かなかった=ほとんど家にいなかった・・ようだ。
ブログは毎日欠かさず書いていた時代もある(当時は、誰も注目していなかったけど、私は意図的にペーシ数を伸ばそうと毎日セコセコと適当な短い文を書いていたのです)。
だから一ヶ月も書いていないとかなり気持ちが悪い。
そして、今の気分は、運動を一ヶ月ぶりにするような感じ。そのため、どういう温度が必要かで少し戸惑っている・・。
最早、あまり記憶にないけれど、いろいろあった。
特に、モンゴルと恒例フジロックが長く楽しい日々だったけれど、それ以外の出張も、そりゃもう、いろいろだった。
モンゴルについては、すでに伝説化しつつある。
行った人しかわからないものなので、参加者も帰ってからの説明に戸惑っているようだけど、そもそも説明できる体験なんてのはすでに類型化されたものなわけで、意味が無いのだよ。
モンゴルの体験まではいかなくても、フジロックも同じ。
あれも、ただの野外ライブのように見えてしまうけど、未体験の人にはまったく説明が不能だ。
フジロック中、私たちは平気で「神が降りるかな?」などと会話をしてるけれど、そんなこと一つでも異常な会話だものね。
・・・と私はこの一ヶ月で説明できない体験をずいぶん多くした(それはモンゴル、フジロック以外でも・・・)。
おかげで、今、ゆっくりとパソコンの前にいるけれど、落ち着かない。
日常という反復の中に身を潜めると、自ずとエネルギーの消費量が減る。潜在的能力との橋も緩くなる。
それがイヤだと思いつつ、でも、安定を求める自分もいて、そこで、「次」を考えはじめる。
つまり、それでいいのだ。
これを書き終えたら、もう「次」である。
その「次」というやつも、言葉にはならない。
だから面白いのだ。
「次」はわからない。
でも、「次」に求めるもの、そして、「次」が求めるものは明解だ。
結局、こうしちゃいられないのである。
【TAROの日記】
2013/07/02(火) 08:27
iPhoneのイヤホン‥・・の夢
iPhoneにはカスなイヤホンがくっついてくる。
しかし、このイヤホン等のおかげで、iPhoneはそれなりの価格で提供され、ついでに周辺のイヤホン業者も儲かっている・・という形になっている(周辺は、一部でプロフィットプールになっているか?)。
昨日夢を見た。
iPhoneのカスなイヤホンが送られてきて、これを上手に耳に入れて良い音で聞きましょう・・というメッセージ付きだった。
夢を見ながら「アホな夢だ~」と思っていたけど、目をさましてみると、結構するどい夢だったような気がしてきた。
「カスでもなんとなかしましょうよ」という夢ではないか!
そういえば、昨日、お客様から、かなりカスった新入社員を入社させてしまって、どうしましょう?という相談があったな・・・。
昔、ホテルでバイトをしていた時、皿洗いごときでも能力に差が出るという経験をした。
大量の皿の処理には、自ずと段取り力がいる。わずかながら、カンのようなものも必要だ。
しかし、段取力ついて、いかんともしがたい人っていた。経験でどうにかなる・・という常識を超えてくるのだ。
iPhoneのイヤホンって、そういうものだろ・・・・・と直感的に思うけれど、そもそも、この白い紐に何も望まなけれ平和ではある。
しかし、夢の課題は、「良い音を聞け!」だから、何も望まないのはルール違反だろう。
私の弱い頭では、システム化等の教科書的なアイデアしか浮かばないが、iPhoneの紐にシステム化もクソもない。
そもそも、「耳に上手に入れましょう」と言い切っているのだから、そういうお話ではないのだ。
なるほど、「耳に上手に入れましょう」か・・・・。
さて、今、私の周辺で、うまく耳に入っていないものはなにか?
確かに、いくつかあるな・・・・・・・。
少しマシになる・・というのも大きな価値なのかもしれない。
【TAROの日記】
2013/07/01(月) 08:48
010→012
来週のモンゴルセミナーの準備が終わり、周辺の道具準備をしている。
なにせ、なにもない草原に5日もいるので、小道具は大事である。
中でも鳴り物は必須。
昨年のネパールに続き、ギターなどを持っていく。
太鼓も2つほど。
それに、夜のワーク用の秘密兵器。
草原といえば、アコギ。
電気がないから、アコギしか不能。
・・・・ということで、最近のエレキ三昧に別れを告げ、昨日、アコギを久々に弾いてみた。
私は、元々、アコギの人なのだが、んーーーーーーーー、全然、弾けない。
弦が太い。
エレキの010に対して、アコギの012は、太い。
はっきり言って、ほんのちょっとの差のはずなのに、これが辛い。
もちろん、010に弦を変えることはできるけど、今度は、音が細くなる。
やっぱり、草原は012以上しかない。
そういうわけで、012に慣れようと必死の私。
仕事をしながら、間の休みはアコギ三昧・・・・・・・。
アコギの音は良い。特にオープンコードの音は本当に心地が良い。
草原で弾いたらさぞかし気持ちがいいだろう。
けど、モンゴルまでにギターを触れるのは今日を入れて3日しかない(後は、出張)。
だいたい、セミナーの用意のほうが優先順位の上に来るから、ほぼ触れない。
せっかくなら、調子のいいところで草原に行きたかったけれど、最早、無理。
時間はないのだ。
ほんのちょっとの差であろうと、対応する時間と能力がないとどうにもならなのだなと痛感しつつ、世の中は、この微差に対応できるかどうかなんだよな・・。
【TAROの日記】
2013/06/21(金) 08:48
アウトバーン
1991年版『アウトバーン』を聞きながら通勤する。
どうしても70年版のオリジナルが頭にあるので、微妙な違いに反応してしまうけれど、これはこれでいい&後半の車が往来するシーンのところは、さすが1991年版と唸ってしまう。
この音楽、BPMは40くらいだろう。
今の音楽の常識からしたら、とても遅い。
しかし、BPM=40くらいだというのに、スピードは80kmくらいに一番合う感じがした。
この遅いと速さの同居はたまらない。なんとも言えない快感を呼ぶ。
おそらく、この感じは、私たちがドラムンベースを初めて聞いた時の快感と共通なのだろう。
ただ、相矛盾したものの同居というのは20世紀的だ。
今は、21世紀。いつまでもポアンカレの法則でもない。
では、これからは何か?
同様に相矛盾したものの同居だと思う。
ただし、用意された相矛盾ではなく、広がりの出会いみたいなもの。
それも広がりの定義は次元を超えたものになってくると思う。
それは専門家という仕事がコモディティーになる時代だろう。
さて、私が生きているうちにどこまで進むか?
とても楽しみだ。
【TAROの日記】
2013/06/20(木) 08:43
石器時代
最近よく思うのだけれど、21世紀に入ってから、やっぱり大きな断層があったんだな~と思う。
おそらく、この断層の効果は、これから大きく旋回を開始し、特に専門家をイジメにかけることになるのだと思う。
しかし、専門家と言われる人たちで、それがわかっている人ってどれくらいいるのだろうか?
まー、今、守るものがある人たちにそれを言うのは酷というものか・・。
これから私たちの目の前には偉大な素人が現れる。・・というか、すでにどこかにたくさんいる。
彼らの特徴はメタ学習の徒だ。
だから、自分が知っているだけの論は振り回さない。
最近、アベノミックス関連の礼賛本、批判本を見ていると、どっちも見たいことだけ見ているなーととても思う。
私たちはあいかわらず肩書きに弱いけれど、あの肩書きってやつは、彼らの限界性を示しているだけなのだ、本当は・・。
でぇ、そんなことを思っていたら、20世紀までが石器時代に思えてきた。
知識の石器時代である。
そして、これから、マホメットが現れる・・と思う(もちろん一人じゃない)。
みんな(私を含む)が目をつぶっているところに一撃を強打する者が現れる。
私は、それを知的に期待する。
そろそろ、戯言は一掃するべきだと思うんだよ・・。
【TAROの日記】
2013/06/19(水) 08:41
胃のイニシエイション
ここ数日、朝起きると少し胃が重いので、朝飯を抜いている。
すると、今のくらいの時間になると腹が減ってくる。
胃には良いかもしれないけど、なにか食べたい衝動にかられる。
ここは我慢だと思いつつ、酒も弱くなったし、今までの食事パターンは最早昔のものなのだと感じている。
今回の胃のもたれの原因もわかっている。
家で、土日に飲んで、ついでに月曜もちょっと飲んだからだ。
前日に飲むと朝の胃が少し重く感じるのはここ数年の現象として定着してきていたけれど、それがさらに進んだのだろう。
しかし、こういう体質変換に合わせたイニシエイションってなぜないのか?
例えば、50歳になったら、最後に丸一日どんちゃん騒ぎをやるイニシエイションとかがあって、主だった人に招待状を出す。みんなお祝いを持ってやってきてくるから、そのお金と自分のお金で放蕩を尽くす。
・・・・・・というイニシエイションをやって、翌日から、「あれは楽しかった・・・」と言いながら、粗食生活に突入する。
どこかで誰かにお酒に誘われても、「あ、もう橋を渡ってしまいまして・・・」と言うと、「あ、そうですか・・」なんて言われて、「そりゃー、寂しいでしょう。たまには一杯やりたくなりませんか?」なんて聞かれて、「いやー、そりゃもう、そうですよー」なんて返しつつ、「でもね、世の中の仕組みはよくできていますよー。あれ以来、身体が軽くって・・」というような感じで、老境に入る準備的会話が日常会話になっていく・・・・というような。んーーーー、悪くないな~。
勝手に自分でやるかなーー?
賛同者がいたら合同でやるのもいいな。出席者も多くなるし、イベントとして楽しくもなる。
【TAROの日記】
2013/06/18(火) 08:27
砂金採り
宇宙は考える以上に奇妙であるばかりではなく、考えられる以上に奇妙だ・・。
家の中で、犬が大便をしてしまって、妻が騒いでいる景色を見ながら、このホールデンの言葉が降ってきた。
どうして、この言葉が降ってきたか?
私の頭の中で起きた一瞬のことを全部説明はできないけれど、景色を見ながら、
・犬には、やっぱり意思があるのではないか?
・しかし、現在は石器時代の人間と同じ状態で
・意思は無意識の下に平伏している
・だから、私たちの定義する意思とはちょっと違う・・
・ということは、石器時代の人間は今の犬くらいで・・・・・・・・・・・
などとバカなことを一瞬で思って、ホールデンの言葉でエンド。
この間、一秒くらいと思う。
この一秒をこうして顧みてみると、人間はくだらないことをずーっと考えているんだな~とあらためて思う。
でも、その大量のつまらないことの中に、時々、おもしろいアイデアとかが含まれるのだろう。
だから、毎日やっていることは、砂金採りに近いのだと思った。
大量のくだらないものを考えたり行動しながら、人生はそれなりに進んでいく。
んーー、これは神業といえるかもしれないな・・。
【TAROの日記】
2013/06/17(月) 08:33
仲間の引退で・・
昔の山の仲間が退職だそうで、そのお祝いをやることになったらしい・・。
もう、みなさまとは20年以上会っていないので懐かしい限りだ。
でぇ、お祝いの場所は、某山の頂上で、現地集合なんだそうだ。
すごーーーく久しぶりの、おそらく25年以上ぶりに連絡してきた昔の仲間は、「お久しぶりーー」も何もなく、要件だけ言って電話を切った。
なんだか、昨日まで一緒に山行をしていたような普通さで、あっけにとられつつ、まー、昔の遊びの仲間とはそんなものなのだと思った。
ところで、現地集合と言われたが、指定の山には、ずいぶん行っていない。
最早、登山口までどうやっていくかさえ忘れた。
そして、所要時間だってわからない。
でも、昔馴染みの山なので、おそらく適当に入るんだろうな~と考えている。
考えてみると、最近は家族登山しかしていないので、一人の山行はちょっとうれしい。
山は、あうんで通じる相棒と行くか、または一人が良い。
そんな山行は久しくしていないわけで、んーー、楽しみである。
ところで、この退職するおじさんは、最後に、私の家で酒盛りをしてから20年。その間、まったく会うこともなかったのだけれど、退職したらインドに住むという。そこで、勝手にインドに遊びに行けると、一人ほくそ笑んでいる。
そういえば、タイに定住を決めた人もいるし、私のグローバル化は自動的に進んでいる。
別に、私自身が海外に住む必要なんてないのだ・・。
でぇ、ネパールもほぼ毎年行こうとしているし、今回モンゴルに行ったら、モンゴルもそういう場所になることを想定しているので、一気に広がる感じかも?
なぜか、全部アジアなのが気になるが、できたら、トルコとギリシャ、モロッコ、パリも入って欲しい。
誰か住む人はいないものか・・?
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