カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2008/03/28(金) 05:31

街(5)うちの村

行政の統合で、上越市という名前になってしまいましたが、そんな行政の強引さは無視して、誰もが”村”と言ってますんで、やっぱり私の住むところは”村”です。

ただ、意外に、”村”は個性がないかもしれません。どこも田んぼがあって、緑がある。それだけ。後は雪が降るか降らないか・・。そんなものでしょう。

地方都市は、マクドナルドやイオンやヤマダ電機などに景色を破壊され、同一化をしていきました。
私が昔住んでいた街にも1987年にマクドナルドがやってきて、その頃から街は個性を失っていきました。

当時、「やだなー」と思ったものです。

しかし、マクドナルドなどが来る前の景色にも個性はなかったのかもしれません。

東京や天理市、奈良・・・といった個性的な街とその他の地方都市&村という対比しか日本にはなくて、そこに地方の個性を求めるのは幻想かも?

ただし、食べ物は別。
街に個性があるのではなくて、食べ物に個性がある。
そして、それを毎日食べている人間に個性がある。ということかな?

家に帰れば、”ふきのとう”がそこらじゅうに出ているはずー。もう、濃い味の東京料理はいやだーぁ!!

【TAROの日記】

2008/03/27(木) 05:31

街(4)東京

意外にも、春の東京はいいですね。
私が春の東京を良いと思ったのははじめてかも?

違いは何でしょう?

これはカンタンです。
ここのところ、東京にずーっといるから・・・。

かわいそうにも、自宅に帰れないんですねー。
だから、新潟の春を味わっていないわけです。

新潟の春を味わっていたら、東京はただのコンクリート都市だけど、さすがに東京にずっといれば、春は春らしく、気持ちよいのだと知りました。

”いいとこどり”というのは寂しいということでしょう。
東京は、ライブを見て、映画を見て、買い物して、うまいものを食う所としてだけ最高なのではなくて、まだまだいいものはたくさんある。
でも、”いいとこどり”をしてるので、本当の東京はいつになってもわかりません。

東京って一生わからない都市なんでしょうね。
そして、だから面白い。

【TAROの日記】

2008/03/26(水) 05:29

街(3)キッザニア

豊洲のららぽーとにある『キッザニア』。
話題の場所ですが、行ったことありません(子供と一緒じゃないと入れません)。

年間800万人ほど訪れているんだそうです。
まぁ、天理教の信者が4回訪れれば、800万人になってしまうのでかわいいものかもしれません(笑)。

ここでは、子供たちが80種類の仕事をし、キッザニアで使えるお金を稼ぎ、そのお金を使えるそうです。

子供の体験学習をエンターテイメントにしちゃったメキシコの会社は偉いですね~。
日本の成功を皮切りに、スペイン、ポルトガル、インド、中国、インドネシアなどでもオープンするそうです。

これから最も売れるのは”体験”。
キッザニアはその嚆矢の一つ。

街は、どこも体験都市になっていくべきなんでしょうね。

天理市なんて、そういう点ですごい体験都市なるかもしれません。
奈良だってそうですわね。

「全都市キッザニア化」っていいかもしれません。

【TAROの日記】

2008/03/25(火) 05:28

街(2)奈良

奈良に行く。

少し早かったけど、春~新緑の季節の奈良は大好き。
こうした自然の中に大きな都市があった。それは日本人として誇りですね。

法隆寺や唐招提寺に行くと、必ず、「秘仏」というのが出てくるんだけど、仏教の概念に「秘仏」というのがあるのは面白いところ。

昔の人は、どうして「秘仏」を作ったのか?

「秘仏」が入っているハコの中が仮にカラッポでも何ら問題はないですわね。でも、ちゃんと中は入っているらしい・・。
なんで、一生懸命を作ったものを隠しちゃうのか?

仏教専門家ではないので、よけいなことはいえませんが、ここが面白いと思うんです。ヒッチコックの映画と構造が一緒なんですもん。

今、私たちには、こういう「秘仏」が必要なんですよ。
問題は、「秘仏」は外から突然くるものなので、自分で「コレを”秘仏”にしよー」ということじゃないところですね。

ところで、奈良って日本で2番目にホテルが少ない県なんですって。
修学旅行にあぐらをかいているうちに、むちゃくちゃ遅れてしまったらしいです。

あぐらはかきたい。でも、あぐらはかけない。
仏教都市が、その基本を忘れちゃったんだから仕方ないですね。

【TAROの日記】

2008/03/24(月) 05:27

街(1)天理市

天理市をバスで通る。

一つの宗教の名前が、行政の名前になった街。
日本の宗教都市が天理市。

・・・ということは活字などで知っていたわけですが、凄いですね~。

『伝説巨人イデオン』の最終兵器みたいな建物が、どどーーんとそこらじゅうに立っていて異様です。
さらに、信者が寝泊りする宿泊所は、県ごとにあって、ブラジル人用なんてのもある。それがみんなデカイのだから、この街は信者以外はどうして暮らしているんだろう?と思ってしまいました。

中山みきという女性を教祖(真柱と言うらしい)として起きた宗教が、ここまで巨大になったのはなぜでしょう?
とても不思議。
天理教といえば、私が思い浮かぶのは、芹沢良治郎さんの小説くらい。

全然わからないけど、一宗教にこうした宗教都市があるというのは、信者の方々には信じるだけのものがあるのでしょう(現在の天理教は、当初のものとは別物と言われてはいるけど・・)。

中山みきの「お筆先」の解読者である飯降伊蔵などの側近のことはあんまり言われないけど、どこかに組織化に精を出した御仁がいるのでしょう。

裏側ってどうなっているのかね?

【TAROの日記】

2008/03/21(金) 05:35

子供の頃の謎(4)

んー、今週は4営業日だったので、もう終わりか・・。
この話題なら、ずーっと書き続けられたのに・・。

まぁ、3つしか子供の頃の勘違いは書けなかったけど、言いたいことは、私たちの「信条」って何なんでしょう?ということ。

細かくチェックしてみれば、きっと間違いだらけなんでしょう。

時々、ある信条を強く持っている方の信条の変更しなければならない場面がある。これって、凄く大変な仕事になる。

そういえば、この間、妻が、
「どうせ、私の性格だから・・」
と言いながら語った内容も、お父さんから植え付けられた信条だった。

「それは、あんたの性格ではなくて、お父さんから刷り込まれたものでしょう?」
と恐る恐る言ってみると、
「あれ?」という顔をして、「そーじゃん」と納得していた。
でも、彼女の”性格”は変わらないことでしょう。

さらに、そうした信条の刷り込みを最近はテレビがしてたりする・・・。あー、あー、ヤバイですね~。

・・とは言いながら、私もいまだに117の時報のおじさんの健康を気にしていたりするのだった・・。

【TAROの日記】

2008/03/19(水) 05:35

子供の頃の謎(3)

水戸黄門の主題歌
「後から来たのに追い越され~ ♪♪」

っていうのも、確か大学くらいまで、「どうして、後から来たのに追い越されるんだろう?」って思っていた。

きっと、詩をちゃんと聞いていないからわからないだけで、前の方の詩をちゃんと聞くとわかるのかな?・・と思いながら10年以上を過ごしたんだよなー。

「10年以上・・」って書くと、言葉が重い。

こう書いてみると、真実よりも信条体系の方がつきあい長くなる場合もありそう。

「後から来た人に追い越される」ということなんだと気づかないことの方が不思議ではあるけれど、仕方ない・・と言いつつ続く。

【TAROの日記】

2008/03/18(火) 05:34

子供の頃の謎(2)

「本日、大雪のため、特急あさま5号は不通になりました」というようなニュースを最近聞くことがなくなった。

昔はよく聞くニュースだった。

子供の頃・・・というか大学くらいまで、あの「不通」というのは「普通」だと思っていて、特急が鈍行になるのだと信じ切っていた。

別に、汽車に乗ることが日常ではないから問題なかった・・というか、おかげで大学生になっても信じてた。

この「信念」から解き放たれた瞬間って感動的だったよなー。で、続く。

【TAROの日記】

2008/03/17(月) 05:33

子供の頃の謎(1)

117を回すと時報を聞ける・・ということを知った子供の頃、「早速聞いてみよう」と117を回した。

「ピッピッピ プー ただいま午後0時32分10秒をお知らせします」

あれを聞いて感心した。
「この人、いつ寝るんだろー?」
「途中で、咳が出たらどうするんだぁ?」

子供というのは、ひどく変なことを不思議がるのだった・・。

【TAROの日記】

2008/03/14(金) 05:49

何をしていたんだろう?5

ダラダラとわけのわからないことを今週も書いてしまったという後悔がありますが、まぁ、毎日書くということにしか価値はおいていないので、まぁーいっかーと一人考えつつ、最終日です。

書きながら思いましたが、一人の人間がやっていることって意味ありませんね(笑)
別に、今やっていることを全部やめても何の影響もナシ。もちろん、世間様にも影響ナシ。

でぇ、「何をしてるんだろう?」なんて思い始めてしまった・・と。

2年間遊んで家を建てたことについては、何をしていたか明確。
でも、仕事はほどほどだったので、世間的には評価低いですわー。

ところが、今は、家庭も趣味もなにかも犠牲に仕事しているけど、何をしていたかは不明確。

12月31日になって、長距離マラソンから帰ってきた気分だけが残るんですよね(この感覚は、家族を家に置いたまま、一人で貧乏世界旅行をしている感覚と変わりませんね、きっと・・)。

でぇ、そういうものなんでしょう。

ぜーーんぶ、無意味。
でも、その無意味がコンテキストになって意味をなす・・・ということでは?

だから、あんまり計画とか目標とかから入るのではなくて、単に「無意味」を繰り返すというのが生産的なのかも?

「映画を見る」
というのは意味があるけど非生産的。
「酒を飲む」
というのは意味もなくて非生産的
「仕事をする」
というのはぜんぜん意味がないけど生産的

・・なのかな?

稲作農家が経営難で、物流業も経営難・・・・・・・。
生きることや資本主義の根幹を担う仕事が稼げなくて、無意味なことの方が稼げちゃう。中田ダイマル・ラケットや吉田戦車の無意味さの方が、心を引き寄せられちゃう。

無意味なものに、「いみねー」というのは野暮なんですね。
よく考えてみたら、最近、うまくいかないときとか、なんだか世間と乖離していると感じる時って、意味のないものにムキになって「いみねー」と言っているときが多いですもん。

・・ということ無意味を続けましょう。
しかし、こに文章も意味ねーなー。
でも、そう言わないのがコツですよ!(笑)

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