【苦しめTAROお仕事LIVE】

2005/04/09(土) 10:30

2005年1月。執筆三昧のはず・・

結論を言うと、その後もまったく書けなかった。忙しすぎる。やることだらけ。特に1月末の合宿セミナーのコンテンツ作りに網殺される。
もう書くこと自体放棄。後は野となれ山となれ。書けない時は書けない。それもOK。書くべき時がくれば書ける。だから、その時が来るまでただ待つ。
不思議と、それでもできるという安心感がある。

まぁ、この手の自己信頼度は天然らしくて、かみさんにもスタッフにもいつも呆れかえられる。
「その自信はどこから来るの?」
「どうして、やったこともないことで確信持てるんですか?」
こんなことをいつも言われる。でも自分でもわからない。
ただ、自己信頼感がなくなったら仕事なんてできない。

そして、自分のやるべきことは一つだけだと思っている。
この自己信頼感を維持すること。
これだけできていれば怖いものはない。そこで、この1点に対しての精神の使い方は普通ではない。
それは言葉を変えると「流れを整える」という感じ。

とにかく、いつも一定のリズムの流れに自分を漂わせることにだけ神経を使う。自転車はこがないと転ぶように、自分のリズムも一定のペースで走っていないと転ぶ可能性がある。だから、そのペースだけを保つ。

これは言葉での表現には限界があるけど、いつもでも自己のコントロール下に置く感覚。一見、出版社に追い回されているように見えても、実はそうではなくて自分のテンポだけはしっかり守っている。
それさえ守って入ればなんとかなる。そんな感覚がある。
だから、書けない自分も愛しちゃう。書けない自分が好き!

でも、必ず書けるときが来る。何も待つ必要はない。
それは、本に限らず何でもそう。仕事だって失敗したら、失敗した自分を愛してしまう。当然、確実にリベンジはさせてもらうけど、いつもうまくいったらおかしい。だから、失敗は歓迎。ボクのリズムを保ってくれる大事な要素。

いつもうまくいくわけはない。
いつも書けるわけはない。
でも、最後をうまくやってしまえば、こっちの勝ち。

最後を決めるのはこっちだから、必ず勝利はこっちのもの。
そして、勝利を手にした瞬間、それは通過点でしかないことを悟る。
到達してみれば感動も何もない。

そもそも、何をしたって喜んでくれる人は誰もいない。
本が増刷になっても、かみさんもスタッフも無反応。
決算が良くてもかみさんもスタッフも無反応。
せいぜい、子供たちが本屋でボクの本を見つけて喜ぶ程度。それも、大声で「お父さんの本だぁー」と言いそうになったら、口を押さえなくてはならない。かえって話はめんどうだ。

つまり、結果にあまり意味はない。チャップリンじゃないけど「夢と勇気とサム・マネー」があれば十分。
多くの通過点の後に何があるかはわからない。もしや、風呂敷を広げすぎてダイエーみたいになる可能性だってある。それだけはわからない。

しかし、そんなものを心配しても始まらない。ある程度の守りを固めたら、後は心配してもムダ。世の中はドンドンよくなる。そういう思想がなければビジネスなんてやってられない。
実は、そんな風に考えている原稿書けない男が原稿を書くときが訪れた・・。

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