【TAROの日記】

2011/11/25(金) 08:37

今日も、談志

気分は、まだまだ喪に服しているような感じだけど、仕事は飛んでくる。
それでも、昨日は、家元の死について、朝礼で語り、ブログに書き、『まーけ塾』でしゃべり出したけど、参加者に申し訳ないので、途中でやめ、ニュースで桂三枝の嗚咽に一緒に涙し、談志の「だ」の字が見えると、思考はそっちに誘われ・・・。
おそらく、こういう日が数日続くのは間違いない。

昨日、家元の話を朝礼でして、「笑点は、あの人が作ったんだ。知ってた?」と聞くと、
みんなが、「テレビで見たから知っている」と言う。

どうも、その「知っている」に瞬間的に面白くなさを感じた。
「昨日、テレビで見たから知っている」なんてのは、知ってるってことじゃねー!!と家元風に言いたくなってしまった。

・・とは言っても、談志大喜利の記憶は、私も少々。
まだ幼稚園くらいだったから、それほど見た記憶はないが、前田武彦時代の記憶はゼロで、南伸介時代は、かなり違和感を持って見ていた記憶がある。
子供の私には、談志時代が基準で、長く続いた伸介時代が違和感だった。それくらい、私には強烈だったらしい。

大学時代には、その談志の師匠にはまった。
寄席で聞く、小さんは凄かった。
末広亭のチケットを格安チケット屋で500円で手に入れ、入り浸った大学生の私には、寄席に出なくなった談志は遠かった。
だから、憧れはさらに強くなった。
我慢したため、初めて見た『ひとり会』は感動した。魂を奪われた。
毎度の「今日、はじめて、オレの高座を見に来た人、手を挙げて」には、手を挙げられなかった。
だって、昔から昔から好きなんだから、はじめてじゃねーーーーーーーー!と言いたかったから・・。

そのうち、「今日は良いねー」とか「おい、ボロボロだったじゃん」などと、その日の出来を生意気にも口にするようになった。
そして、どんなにボロボロの日でも、満足した。ボロボロを見ている自分が好きだった。

しかし、ボロボロが衰退を感じさせるものに変わった頃、終わりが近いことを意識するようになった。
それはとても悲しいことだったけれど、それでも会場を出てしまえば忘れる・・。

でも、それは忘れてはいけないことだったんだ・・と思う。
「死に様を見る」という行為は、そういうことだったはずだ。

2009年最後の『ひとり会』を家元は、どんな調子で、どんな気分で高座に上がったんだろう?
2008年に代演を立てた時の悔しそうな姿は見た。
それを乗り越えた翌年の『ひとり会』。3回とも行けなかっただけに、ここで何が起きていたかがとても知りたい。
結局、私は、完全に、死に様を見ることはできなかったのだ。

でも、強く強く、見た・・という気持ちがある。
晩年の家元を追いかけきれなかったわけだけど、それでも食らいついた気持ちはある。

そして、これからは、自分が成長する機会に最大の時間を割こうと思った。
まず、私がやることは、そのことだ・・。

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