日: 2011年11月24日
【TAROの日記】

2011/11/24(木) 08:30

来る時が来た・・(家元、お亡くなりになる)

人の死で、こんな感情になったことはない。
父の時とは、違うけれど、大事な身内が亡くなった・・という感じ。
そして、来る時が来た・・という思い。

私は、談志の勝手弟子である。
もちろん、談志は、そのことを知らない。

彼の人生の中で、私は至近距離で何度も現れているけれど、彼にとっては一人の客でしかない。

そうは言うものの、私自身も、自分の中に談志がいることに気づいたのは、遅い。
2002年頃、私はそれを自覚した。

もちろん、私の毒舌は天然だ。談志の影響ではない。
話し方も天然だ。
しかし、どこかに、彼の影響がある。
どこかに、「ある」のだ。

それから、私は彼の勝手な弟子を自称している。
そして、彼の本当の弟子達に嫉妬している。

私は、その頃、決めたことがある。
「彼の死に様を見てやろー」というものだ。

当時、彼は65歳だったと思うが、ここから、彼が死ぬまでに、どういう仕事をするかを記憶に納めようと考えた。
そして、できるだけ高座を見に行った。
忙しい人間なので、一門会には行けなかったが、独演会はできるだけ見た。
残念ながら、あの2007年12月の伝説の『芝浜』は見られなかったし、最後となってしまった2009年の『ひとり会』にも行けなかった。仕事とはいえ、「最後を見届けてやる」と誓った勝手弟子としては、お話にならない残念さだ。

生きていれば、まだ見れる・・・という淡い期待。
それが幻想と知った昨日。

それでも、談志は私の中に何かを残した。
子供の頃から好きだったのだ。影響を受けて当たり前である。

談志は、志ん生や志ん朝以上にライブだ。
・・というか、音で聞くと彼らほど面白くない。
彼の芸風は、そこのところが他の噺家以上に重要なところだ。
だから、本当に残念だ。

私も、彼と同じように、野垂れ死のうと思う。
最後の最後に、力尽きる・・。
いいじゃないか・・。
彼の2008年以後は、観客あっての彼だった。
伝説『芝浜』が降臨したところまでが、彼の現役期。
後は、正に、死に様の過程を見せてくれるものだったと理解している。
そして、彼が魅了した客は、彼の死に様さえも応援して見つめた。

彼が倒れて、『ひとり会』で談春を代演にたてた2008年春。
彼はステージで言った。
「おれにはコレしかない・・・・・・・・」

熱かった。
「これしかない・・」という悲鳴を私は羨ましく思った。

「これしかない」
素晴らしい言葉じゃないか。

私は、これからも勝手弟子を続ける。
不肖の弟子である。
彼の死など認めない。
そして、これからも本当の弟子達に嫉妬する。

もう家元を生で見れないのは残念ではあるが、同時代を生き、晩年を濃厚にご一緒できたことに感謝する。ありがとう。

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