【TAROの日記】

2011/11/22(火) 08:40

まいったなー、50歳だよ

えー、先週は、多くの方々にお祝いをしていただき、プレゼントなどもいただいたりして恐縮しているTAROです。

30歳も、40歳も、こんなに祝ってもらった記憶がないので、何だか、ついに、オレも彼岸に達したか・・という気分が大です。
ちなみに、ここで使っている”彼岸”の意味は、生意気な意味ではなく、大変後ろ向き、自虐的な意味と解していただくとありがたいです。

そんな50歳です。

朝目が覚めたら、「そうかー後数時間で50歳か・・」などと、今までは生まれた時間なんて気にしたことがなかったのに、今回は、ギリギリまでねばろうとする自分の気分に呆れかえってもいます。
そんなわけで、一応、まだ49歳です(むなしい発言だ!!)

さて、そんな50歳。
さらに、はじけてやろう・・という気分なのですが、同時に、体をお大事に!という気分も強く、たった一日たっただけなのに、私の中の”お体大事にモード”がフツフツ言っているのに驚きます。

生意気にも、セネカの『人生の短さについて』などという本を、わかった気になって若い頃に読んでいたりするわけですけど、あーいうものは、今読むべきでした。
そういえば、ビスコンティの『ベニスに死す』も、20代で見てしまいましたが、今見るべきものでした。
しかし、そんなことをのたまうと、人生の先輩方に「まだ、早い!!」と言われるのがオチですね・・。

それでも、父の死や母の老いというものを見てしまっている今、50歳というのは、やはり意味ありげに感じてしまう年齢です。
おそらく、仕事師としては、最終ステージです。
予定よりも早く別なことをはじめる可能性もありますし、その匂いは濃厚なのですが、それでも、ここ数年は、まだ仕事師でしょう。

少しうれしいのは、私ごときでも、若い世代に伝えるべきことが、厳然と”ある”ことです。
きづいてみたら、それはありました。
おそらく、これから数年は、その”ある”ものの深みをさらに探ぐりつつ、そろそろ本気で伝えていく時期にも入った・・ということのように思えます。

とりあえず、50歳で地球上に立って、「なんかよくわからんし、勘違いかもしれないけど、あるなーーー」って感じられたのは悪くはありません。それは自己満足でもなんでもいいのです。そして、次の10年でこの感覚がもっと強まっていたら正解の10年だったと感じるような気がします。
そして、死ぬ時にもそう感じられていたら最高だと思います。

さて、目の前は仕事。
いつも通りです。
何も変わりません。
まー、そんなものです。
年齢に意味はありません。
意味を見いだすのは、毎日の行動からしかないでしょうね。
それでも、人は、そこに”次”という冠をはめたがります。
そして、私も”次の付箋探し”をはじめよう・・という気分を大事にしたいと思います。

「まいったなー、50歳だよ」へのコメント(6件)
  1. 言うまでもないことですが、50歳を迎えたということは、生まれてちょうど半世紀がたったということですよね。誕生日おめでとうございます。

  2. 言うまでもないことですが、50歳を迎えたということは、生まれてちょうど半世紀がたったということですよね。誕生日おめでとうございます。

  3. 50歳台は、まだ親の年齢が相対的に若いからいい。
    親と同居していうと、自分の親が生きている間は、自分の老後はない、と思わざるを得ない。
    老親との同居の大変さは、実際に体験しているものでないとわからない。
    とはいえ、孫が居ないと、老後の楽しみ、もないだろう。

  4. 50歳台は、まだ親の年齢が相対的に若いからいい。
    親と同居していうと、自分の親が生きている間は、自分の老後はない、と思わざるを得ない。
    老親との同居の大変さは、実際に体験しているものでないとわからない。
    とはいえ、孫が居ないと、老後の楽しみ、もないだろう。

  5. 追記:立川談志氏の事
    (岡本さんは、覚えていないと思いますが)2007年に参加したフォトリーディングのセミナーで、僅かな時間でしたが、岡本さんと落語の話をしたんです。その時岡本さんは「寄席で見る姿はかなりかんばしくない様子で、見る都度、これで見納めかもしれないと思いながら見ている」言われてました。その岡本さんの言葉や表情から、岡本さんにとって立川談志氏は、ドラッカーと同等かあるいはそれ以上に思い入れのある人なんだろうと思ってました。
    個人的な感傷だと承知で言わせていただきたいのですが、あれから4年余り、まるで岡本さんが50歳を迎えるぎりぎり迄待っていたかのように逝ってしまうなんて、なんかにくい人です

  6. 追記:立川談志氏の事
    (岡本さんは、覚えていないと思いますが)2007年に参加したフォトリーディングのセミナーで、僅かな時間でしたが、岡本さんと落語の話をしたんです。その時岡本さんは「寄席で見る姿はかなりかんばしくない様子で、見る都度、これで見納めかもしれないと思いながら見ている」言われてました。その岡本さんの言葉や表情から、岡本さんにとって立川談志氏は、ドラッカーと同等かあるいはそれ以上に思い入れのある人なんだろうと思ってました。
    個人的な感傷だと承知で言わせていただきたいのですが、あれから4年余り、まるで岡本さんが50歳を迎えるぎりぎり迄待っていたかのように逝ってしまうなんて、なんかにくい人です

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