【TAROの日記】

2013/03/06(水) 08:30

次女が、「私は将来家を出て行くんだ」と言うので、「家を出て行くと初めて、父のギターの教えのありがたさがわかるんだぞ」と返答する。

次女は、「なぜ、ギターだけなんだ?」とバカにして言うけれど、そもそも、子どもたちにとって、父の言うことなど空気みたいなもの。おそらく、いろんなことを自分が発見したとしか考えないはずである。それは父として本望で、「それは俺が教えたんだぞー」などと言う気は当然ない。

子供が親から離れて親のありがたみを感じるなんていうのは、普通の親子なら当たり前。
だから、それは自然現象みたいなものであって、あまり興味はない。

しかし、ギターは違う。
彼女は、ギター教室などに通ったことがない子どもとしては、かなりうまい方だと思う。
そして、このまま続けていれば、ここからさらに上達するだろう。
その時、周りの友達と自分の違いに気づくはずである。

できるなら、自分の子供に「成長の種」というのを埋め込みたい・・と思う親バカの私だが、世の中にそんなものはない。
一応、いろいろ試行錯誤はしているけど、その種がどうなるかは皆目わからない。

しかし、ギターは違う。
こういうものについては、「成長の種」を埋め込むことが可能。
もちろん、本人が、その種を大切にしなければ、どうにもならないけれど、発言を聞いていると、結構、種になっているなーと感じる。

このギターの成長の種は、そのまま、人生でも応用可能なわけだけど、そこは本人が気づくしかない。
そして、そこに本人が気づいた時、そこに親の意図を感じることなんてないだろう。

「・・・・・・だから、言ったんだよ!」と娘には言うわけにはいかないので、ここに備忘記録として書いておく。
将来、娘が発見したりして・・。

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