【TAROの日記】
2014/01/09(木) 08:31
支配とunfinished
最近、iPhoneの調子、様子がおかしい。
どうもうまく動いている気がしない。
それで、音楽を聞いていても、アルバムを曲順に聞くことができなくて、ランダムにいろいろなものが飛んでくる。
それで、昨日、私の耳に飛んできて、そのまま私の方がはまってしまったのが『クラップ』。
スティーブ・ハウの名演であーーる。
どうして、イエスの3rdアルバムが、iPhoneに入っているのかも謎なのだけど、私はこの曲を数十年ぶり(?)に聞いた。
そして、耳に残ってしまったのであった。
そもそも、私が20代前半くらいに、ラグタイムに傾斜したきっかけがこの曲である(と思い出した)。
この1曲が私の人生を大きく彩ったのは間違いない。
高校生の時、この世にラグタイムという音楽があることも知らなければ、チャット・アトキンスの存在も知らなければ、バート・ヤッシュのことも、ジョン・レイボーンのことも、ブルース・コバーンのことも、リック・ランスキンのことも知らなかった私が、それでも、「こんなギターをやりてー」と思って手を出したのはクラッシックギターだった。
何とか、『アストゥリアス』に辿りつけたのでよかったけれど、もし、『アルハンブラ』あたりでウロウロしていたら悲劇だったわけだが、何の情報もない子供の私には、それ以外の選択肢はなかった。
途中、竹山にはまり、津軽三味線に行きそうになるくらい迷走した。
だいたい、私が上記のミュージシャン達をを知るには、それから約5年くらいかかっているのである。情報も少なくい時代のうえに、迷走しちゃったせいだろう・・。
でぇ、そのうち、きっかけなんて忘れてしまうし、自分がどうしてこの方向に動いているのか・・という疑問も浮かばないので、私は粛々と無意識に『クラップ』の影を追ってきたことになる。
ナント!昨日、それに気づいたわけなのだ・・。
きっと、私は、これ以外にも多くのことに支配されている。
本人は、わかっていないけど、その支配力は凄まじい・・。
ちなみに、昨日支配の親玉を見つけてしまった私の頭では、親玉が鳴りひびき続けた。
そして、こりゃ、演らないわけにはいかない・・ということになった。
でぇ、昨夜、やってみる。当たり前だができるわけがない。感触としては、スピードを60%くらいに落して、ナントカカントカ・レベルである。未だ、回復しない左手を呪いつつ、まー、こんなの昔もできなかったよな・・と思って慰める。
親玉が現れて、その支配力はさらに強固になった・・ということで、私は今、1年かけて挑戦しようと思っている。
まずは、コピーと暗譜の地獄が待つ。果たして、どうなるか?
それでも気づいた以上、やらないわけにはいかない・・・。あー、あー、気づかなきゃよかったよ・・。他にもやることたくさんあるのに・・。
【TAROの日記】
2014/01/08(水) 08:30
川の流れは右に流れる・・。
えらいことになっている。
今年のサマソニにロバート・プラントが来る。
ツェッペリンの曲を6曲以上歌うという約束付きはどうかと思うが、やっぱり聞きたい。
そういうわけで、今年は、久々のフジロック、サマソニ横断の年になりそう。
私は、サマソニの雰囲気は、あまり好きではないので、たっぷり体力ためて、適当に見たいのを見て、御大のライブに臨もうと思う・・・と家族の了解も取らずに決めている。
毎年、フジロックが終わって帰ってくると、妻に深々と頭を下げる。そして、言う。
「今年もどうもありがとうございました」
当然、頭はすぐに上げない。
今年は、頭を下げた後、ペロっと舌を出してサマソニにも行き、再び、頭を下げなくてはならないが、んー、説得力のある頭の下げ方ができるか微妙だ・・。
ところで、ロバート・プラント。
今年は、再びディランもストーンズも来る。
昨年は、ポールも来た。ガース・ハドソンまで来た。
こうなりゃ、デヴィッド・ボーイにも来てもらいたいところなんだが、それはそれとして、ここ十数年の外タレの来日は凄い。
子供の頃、レコード屋の二階で、フィルムのライブを見るのが贅沢だった身としては、いまだに、起きていることが信じられなかったリする。
しかし、紅白で北島三郎を見るのと、サマソニでロバート・プラントを見るのとどこが違うんだろうか?
最早、一緒だ・・・と思う。
76年にロックは死んで、パンクスにツバをかけられて、それでも生き残ろうと、ファンクや4打ちを導入して、いろいろあって、やっぱり北島三郎・・・・という帰着には複雑さを感じはする。
実は、現役の時には、クイーンが一番このことを理解していたことが、今となっては明確だけど、当時の私は若かったので、そういうのが一番嫌だったというのに・・・・・・・。
どんなものも右に流れる。
左で発生して最初は尖っているけど、だんだん右に行く。
私だって昔はかなり左だった。今も多少そうだけど、最早、右。左から来る若いのに、ツバを吐かれる存在だ。
今年は、紅白歌合戦で、あまちゃんを見て感激もした。
最近は、若いのになんて言われようと、ビルボードあたりでゆっくり酒を飲んでライブを見るのがいい。時間は短いが、最近は2時間が辛かったりするので別にいい。
しかし、サマソニ当日、私は必ずステージ前にいることだろう。
腰だけ気をつけよ・・っと
【TAROの日記】
2013/12/26(木) 08:31
忘年会
妻は、これから2日ほど、忘年会があるらしい・・。
ところで、私には、忘年会はない。
そんなものいつからないかさえ忘れてしまった。
一方、妻の忘年会はどんどん増えているような気がしている(断っているのもあるしな・・)。
私の場合、飲むことに後ろ向きでも飲むことは多い。
先週も3回は飲んだ。
おかげで、憂歌団のライブの後に飲みたかったが我慢した。
この3回の飲み会は世間一般には忘年会という可能性もあるが、どうかんがえても忘年会ではない。
そういえば、先週の飲み会の一つで立て替え払いをした。
ところが、領収書紛失。
そのため、おごることになってしまった。10名分である。こんなのが忘年会のわけがない・・。
私の妻を除けば、世間的には、忘年会は減っている。
世間でも、もはや、忘年会もくそもないのだ。
まー、なんでも普通になってしまったということだ。
セブンイレブンのPBの果たした役割も大きいのかもしれない(さらに、フランフランの買収・・とか、きっとそういうことなんだな・・)。
80年代の雰囲気は95年を起点に完全に破壊されつつ、それでも根性で何とか残っているのが、忘年会とかクリスマスだった。
でも、”だった”である。
80年代は、完全に終わった。
しかし、95年が提示したことって、まだまだ未完成だ。
ところで、専業主婦のような時代と乖離した者とか田舎には、80年代の残照が色濃くあるわけで、違和感を感じつつも、これはこれでノンキで良いと思ったりもする・・。
【TAROの日記】
2013/12/12(木) 08:33
冬です
すごい雪である。
一気に冬。
これから、また二ヶ月半ほどは雪との格闘か・・と思うと気持ちが滅入る。
しかし、では別のところに住むかな・・と考えると、心の奥で「でも、ここが好き」という声が聞こえる。
結局、なんだかんだと言っても、ここがいいのだ。
・・・というか、意外にも、私は故郷が捨てられないらしい。
故郷の嫌いなところは多い。
私のような者は、慣習とか井の中の蛙的発想とか裏の意図とか‥・についていけない。そういうものには、お付き合い不可という体質のため、たとえ故郷でも世間は狭い。基本、よそ者のような生活ぶりと言っていいだろう。
正直言って、居づらいところなのだ。
しかし、私の身体は、この土地の空気に合ってしまっている。
これは何ものにも代えがたい。
私にとっては、苦労があっても、ストレスフリーな気候と景色なのだ。
だいたい、冬の長靴姿は嫌いではない。
薪割りが間に合わなくなってしまったけれど、この週末は、雪が降ろうが、どんなに寒かろうが、やらねばならない。
明日からいなくて土曜には帰ってくるけど、日曜の1時位に再び長い出張なので、もう土曜の夕方~日曜の午前中しか仕事の時間はない。雪囲いを含めて、まとめて勝負。
まー、仕方がない。空気が合う限り続けるしかない。
【TAROの日記】
2013/12/11(水) 08:36
基礎期
会社の窓から一番近くに見える南葉山も白くなるし、妙高山も真っ白になり、冬がきたなーという感じだ。
昨日までいた軽井沢は比較的暖かかったけれど、昨日の大雨で一気に冬に向かっている感じ。
それでも、今日は穏やかな天気だ。
山が白くて、穏やかな景色の中にいると、「あー、今年も終わりかー」という気分が強くなる。
会社の年末会議では、みんなに言いたいことも言ったし、幹部陣には、今後の自分の考えも話したので、いろんな意味で一回ケリがついた感もある。
そして、これで、また来年も最初に戻って働くのだ。
来年で、社会に出て30年。
10年のサラリーマン生活と20年のビジネス生活。
さて、次は何か?
脱サラ後、自分を助けてくれたものは、すべて学生時代とサラリーマン時代に学んだことだった。もうそれ以上でもそれ以下でもない。基礎的な力がないものは、花火しか上がらなくて使えないから、基礎期がすべてだと痛感している。
だから、これからもそうだろう。
約32年間の基礎期がコトを左右する。
極端に言えば、今から学んでも遅いのだ。
では、これからの私にとって起業してからの20年は、単なる収穫でしかなく、意味がなかったのか?
もちろん、そんなことはない。
理論の実践ほど役に立つものはない。
20年というのは、いろいろなものを血肉にした20年で、それは基礎期の再発見期と表現するのが正しいだろう。
つまり、本番はこれからなのだ。
やっと基礎期が終わったんだもんね。
【TAROの日記】
2013/12/09(月) 08:31
サブパーソナリティー
今日は、当社の年末会議。
これから、軽井沢のリゾートホテルへ行く。
このくらいの時期に、軽井沢で会議をします・・とは聞いていたけど、例のごとく適当に返事をしているので、具体的に今日行かなくてはならなくなって困っている。
金曜日に穂高から帰ってヘトヘト。
おかげで、重要な仕事を2つ延期した。
身体は疲れていても動くけれど、気分が乗らない。スイッチの変換が昔よりもスムーズにいかなくなっているのだろう。
土日は幸い雨。予定していた家の仕事もできない。
それで、スイッチも入らない・・とくれば、遊ぶしかない。
でぇ、遊んでみると驚くことに、2日間の私は耳が良い。
スイッチが入らないからだろうか?
異様に耳が良くて、聞いた音の再現がスムーズ&ポジションのアイデアもすぐに浮かぶ。
遊びの創造エネルギーの一年分を使いきってしまったか?と心配になるくらいの調子だった。
私は、サブパーソナリティーの集合体のわけだけど、使っているのはいつも一つのパーソナリティーだ。
それで仕事をして仕事をして仕事をする。
でぇ、時々、このパーソナリティーで遊んだりもする。
しかし、遊ぶ時は、別のを使ったほうが良いらしい・・。
さて、軽井沢に出発だ。
会議・・という懇親会にしか思えないけど、了解したには今からやめるわけにもいかない。
また、数週間後に年始会議だというのにな~。
【TAROの日記】
2013/12/02(月) 08:29
虹
大きな虹が出ていた。
全部つながっていて、さらに二重。
今日の通勤は、この虹に向かって車を走らせるシチュエイションだったので気持ちが良かった。
ジェイムズの言うとおりの人は指向性の生き物なのだろう。なんでもいいから、向かうものがあると身体のエネルギーの感じが違う。
さらに、虹には不思議な肯定感があるので、エネルギーはさらに増すように感じる。
いまだに、腰が痛くて、腰が痛いだけで気分が少し滅入っているけれど、虹が出ているだけで、気分が良い。
今日は、このままこの良い気分で仕事を片付けようと思う。
明後日から穂高でセミナーで、帰ったら怒涛の年末。バンドの合宿もあるから、今日、明日の仕事の進捗はとても重要だ。とにかく、ウカウカしていられない。
そういう点で、朝からいいものを見た。あれだけで気分が違うんだから不思議だ。
結局、人間なんて、このちょっとした気分の違いが、運命全体を決めてしまっているのかもしれない。
そう思うと、微妙なことってバカに出来ないと改めて思うのだった。
【TAROの日記】
2013/11/29(金) 08:29
堤清二の死
人の死には、時代の象徴性がある・・といつも思っている。
だから、有名人の死には、いつも何らかの反応をしている。
昨日の堤清二の死の報道は、中内功の死と同様に、個人的にいろいろな感慨がある。
彼ら二人は、私の大学時代のアイドルだった。
堤清二は、当時、東大で講義もやっていて、潜り込んで聞きに行ったこともある。
二人とも晩年は、失敗者の烙印を押されてしまったが、だからといって、彼らのやってきたことが全てダメだったわけではない。むしろ、残したものは大きい。
特に、堤清二の残したものは、今も多くが元気だ。
グループとしては解体されてしまったが、中には、今でも優良企業とされているものもある。
その姿は、鈴木商店に似ていると思う。
「大衆が驚くほど優れた直感力を持つ」
若き頃、堤清二は思った。
そして、「おいしい生活」という糸井重里のコピーに代表される大衆消費社会の実現に大きく寄与した。
彼は、80年台後半から、脱大衆に方向転換するが、彼が残したものは大衆文化だったと思う。
その彼が死んだ。
それは、大衆文化の死の象徴だと思う。
彼がグループ企業を大きく育成した時期は、大衆音楽で言うとGSからニューロックへの転換、そして、アンダーグランドだったロックが商売になるとレコード会社が気づいた頃だ。さらに、ニューウェーブが出現し、大衆文化に様々なアンダーなものが浸透していった頃だった。
あのイケイケの時代は、もちろん過去でしかないが、大衆消費と大衆文化はさらに縮小化しながら、またGS以前に戻っていく。
中間層の発生、拡大。そして、その崩壊。
最早、直感力に優れた大衆はいない。
「どうも私は日本経済を堕落させ、渋谷の街を汚くしたとしか思えない」
この言葉は、彼が途中で脱大衆へと舵をきった象徴の言葉かもしれない・・。
【TAROの日記】
2013/11/28(木) 08:33
般化
原稿を上げて、ずいぶん経つけれど、出版社から云とも寸とも言ってこないので照会したら、12月発売を延期して3月にするそうだ。
こういう重要な変更を、著者に何も言わないで勝手に決めている・・というのは私の仕事の周辺では、あり得ないことだけど、出版の世界では普通なのかもしれない・・。
時々、他業界と接すると驚くことがあるけれど、それを一番感じるのは私の場合は出版業界だ。
基本的に、いい加減。それは良い意味になるときもあるけれど、基本的には、どうなのか?と疑問に思うことが多い。
私のようなものは、そもそも出版なんてどうでもいい・・と思っているので、重要な変更でも気にはならない。
本日、こんなことを書いているのも、他に書くことがないので、「あーそういえば・・」と思い出して書いているところだけど、人によっては怒る人もいることだろう。
ちなみに、これがリフォーム業だったら、大問題だ。
工期が遅れる・・ということを施主に言わないなんてあり得ない。
ところが、案外、それを言わないダメな営業マンは少なくないらしい。
・・ということは、私は、出版業は・・と思っているけど、その人は・・・と言うのが正解の可能性もあって、たまたま、出版関係でそういう経験が多いのかもしれない。
だから、税理士って・・となる場合も、職人って・・となる場合も全員が全員ということもないだろう。
しかし、人は「般化」をしがちだ。
稼ぐ人は長い財布を持つ・・なんてことを恥ずかしげもなく平気で言い切ってしまう。
そして、私もそれを批判できないのだ。
この傾向が、最近の私は、とくに多い。
それも、50歳代ということについて、「般化」しがちだ。
別に、50歳代なんて、いろいろな人がいる。だから、その一般的イメージは幻想なのだけど、体力の衰えを相対的に感じてしまうので、すぐに妄想がはじまってしまう。
本当は、「特殊」の集まりしかないのにねー
【TAROの日記】
2013/11/27(水) 08:30
ま、いっか・・
妙高山が綺麗だ。
雪が積もった妙高から火打山にかけての稜線の美しさは、ちょっとした表現が不能だ。
この景色が好きで、私は今のところに住んでいる。
東京と新潟に住んだ合計7年を除くと、私はいつもこの景色とともにある。
この景色は、私が死んでも変わらない。ずっと同じだ。
長い月日で見れば、いつか変わっていくのだろうけど、私はそれを見ることはない。
人の命などそんなものだ。
山を眺めていると、そんなミジンコ・レベルの自分の命について考えてしまう。
仏教もユング派も、その他諸々も言う。
自我はない。
そもそも、自我というのは勘違いらしい。
しかし、「私」という時、私=自我だから、理屈でも、「あー、そうなの」とは言いづらい。
人間で居る限り、自我の向こうはわからない。
もちろん、その向こうからはいろいろなお知らせはあるけれど、それを「私」とは思わない。
いつか、山の変化を、そんな「私」が見るのかもしれない。でも、それは、今の私には、「私」ではない・・。
・・・などと思いながら、山を見て通勤。
それでも、通勤途中の景色はずいぶん変わった。
でも、それもすぐに当たり前になっていく。
そんな現実を感じていると、ゆっくり動くプレートの上で、私が「私」をやり通すことが馬鹿らしく思えてくる。
それでも、私は「私」をするしかない。
これもひとつの事実だ。
仮面ライダーにはなれない。
だから、維持は重要だ。
むしろ、だから維持は重要だ。
要は、「ま、いっか・・」という気分だけなのだ・・と通勤しながら思った。
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