【TAROの日記】
2013/08/08(木) 08:27
リズム
ずっと、家にいなかったので、日常のリズムが崩れていた。
それが、ここ数日で、いつものリズムに戻りつつある。
やはり、構築したリズムは気持ちがいい。
少し欲張りなくらいやることの連続だけど、これが私のリズムである。
今月は、出張が少なく、このままリズムが続くけれど、そのうちまた崩れる。
そして、また再構築。この連続がずっと続くわけで、これもまたリズムである。
気持ちのよいリズムとは、決して、前に前にドンドン刻んでいくリズムではない(若者はそういうのが好きなようだけど・・)。
微妙なタメのあるリズムが私のようなものには一番気持ちが良い。
トンと鳴って、気持ちお休みがあって、次のトンが来る。
間のお休みは微妙で、休符まではいかない。だからタメなのだ。
私たちは、こういうリズムを黒人から教わったことになっているけれど、普遍的なものではないだろうか?
仕事なんて典型で、このお休みがあって質がアップする。
ドンドコ進む仕事にいいものなんてないのだ。
でぇ、私の日常のリズムにもタメは重要なのだと思う。
だから、当事者には毎日のリズムは少しギクシャクなものに感じる。
そして、それでいいのだ。
スムーズに行くときは、何か起きているものなのだ・・(笑)
【TAROの日記】
2013/08/07(水) 08:28
カセット
車を修理に出したので、代車が来た。
代車は嫌いではない。
タバコの臭いは困るが、一昔前感がとても馴染む。
毎度のことだが、代車にはカセットが付いている。CDを車に付ける前の時代感の漂いが良い。
そこで、カセットを車に持込み通勤する。
ちなみに、このカセットは先月買ったもの。
私の周辺では今でもカセットは大現役で、部屋には空の60分カセットも大量にある。
ただし、新譜カセットについては買うだけで聞くことは少ない。
時間があると、MP3にして取り込んで聞いているけど間に合わないのだ。
そんな私に、代車のカセットプレイヤーは僥倖なのだった。
バシャ!!というカセットの入る音も含め、またまた時代感がいい。
そして、流れるチープな音。これがまた温かいのだ。
このバンドのベースはどうなのか?と不満に思いつつも、カセットの暖かさがそれを許してくれる。
考えてみると、70年代、80年代の音楽というのは、こんな周辺機器との相性からも成り立っていたように思う。
特に、80年代なんて、カセット文化で成立した変種だったと思えてならないし、それがCDになって馬脚を表してしまった感じもする。
そんなことも含めてカセットには、カセットの世界がある。
そういえば、80年代にはカセットブックという変わり種もあった。
私もPモデルの『スキューバ』を筆頭にいろいろ買った。当時の価格はとても高かったと記憶している。
今ではああいうものは成り立たないと思う。あの頃は市場の深みというのがあったのだ。
上述の通りで聞いていない新譜カセットは大量にある。
代車があるうちに聴き倒そうと思うのだった。
そんなことを考えていると、80年代の青い空が浮かぶのはどうしてだろう?
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2013/08/06(火) 08:27
気になる。
プロフィットプールには進出しないがモットーだ。
これは今さら言う必要はないか・・。
しかし、いつも思うのだけど、目の前においしいエサがあると誰もが食べたくなるのも事実。
そこでぐっと我慢することになるけれど、これが精神衛生上良くない。
お客様の相談では、冷たく反対して終わるけど、自分のことだとやっぱり考えてしますわけで、相談してくるお客様の気持もわかるというものです。
でぇ、今、その精神衛生上よくないことが起きている。
それも、最近、当社は将来のことを考えて、キャッシュは入ってきていたけれど止めたばかりのことなので、さらに精神上良くない。
でも、この市場についてよーくしっているので、冷静に考えると、全然気にする必要はない・・・のだけど気になる。
結論さえわかっている。
やらないほうがいい(特に、あるところがはじめたやりかたはアホである)。
しかし、それでも気になる。
・・・・・・・・ということを私は今まで何回経験してきたことか・・。
今回は10年ぶりくらいだし、その前も10年ぶりくらいだから、私の眼の前に現れる大きなPPは10年毎に来るのか?(小さいのはしょっちゅう来ています)。
そして、今回の我慢も将来笑い話になるところまでは明解。
オレには関係ないのだ。
では、そんなPPに入ってしまう人って何なのでしょう?
それについてはブログで言い切ってしまうと問題発言なので、やめておこう・・。
それにしても、イライラする。
まー、仕方がないのですよ。今回も・・。
【TAROの日記】
2013/08/01(木) 08:14
執筆停止中
執筆が止まっている(止まっています。出版社殿)。
なにせ、7月が数日しか家にいなかったので計算内のつもりだったけれど、書くのをやめてしまうと、書きはじめで再び時間がかかるのは常。それも計算内だけど、それにしてもやることが多い。明日からまた出張である。
気晴らしのギターさえ弾けない。本当は、モンゴルにアコギを持って行って盛り上がったから、アコギ三昧の日々を想像していたというのにトホホ・・なのだった。
結局、執筆再開のための助走に入ろうにも、その助走の時間がない。困ったものである。
でぇ、そういうのも想定内のはずだけど、想定内なのに余裕が無いというのは、どういうわけか?
想定外のことが起こりそうとどこかで推測しているからかもしれない。
それを杞憂というけれど、どうなんでしょうね?
とりあえず、私にはこれ以上のエネルギー配分の余裕はない。
ごちゃごちゃ言っていても仕方がないので、とにかく仕事をする。出張に行く。でぇ、どうなるかな?
【TAROの日記】
2013/07/31(水) 08:24
腐れ縁というのかどうか・・?
高校時代の友人が地元に帰ってきた。
一ヶ月ほど前にそれを知り、あちらからも何度か連絡をくれたり、事務所に訪問してくれたりしたようだけれど、7月はほとんどいなかったので、会えないままあっという間に時間が経ってしまった。
何度もの行き違いがあってそのままになっていた昨日、知らないおじさんに声をかけられた。
お客様関係のお通夜での駐車場での出来事だった。
それが彼でありました。
会うときはこんなものである。
そこで、ちょっと彼とのことを反芻してみた。
私は彼とはそれほど遊んだ記憶がない。
高校時代の友人の中では気のあった方だと思うけれど、趣味が違うのが決定的で学校でだけの仲だった。
そして、大学生になってからは数度、社会人になってからも数度とても世話になった記憶がある。
確か社会人になってから一度自宅におじゃましたこともある。
多くの友人とは、大学以後は会うこともない。
だから、それ以後も会って酒を飲んだりしているというのは、それなりに近い存在といえるだろう。
しかし、それほど多く連絡を取り合っていたわけでもない。
そんなことを考えていたら、彼の存在が不思議に思えてきた。
とても不思議な距離感なのだ。
高校時代にそれこそ毎日遊んでいた奴らがいる。しかし、彼らとはすでに縁はなかったりする(連絡先がわからない)。
ところが、彼とは、それなりに途中に邂逅があり、再び、その時がやってきたのだ。
こういうのを腐れ縁というのかな?と私は思った。
そういえば、こういう腐った感じ(とてもよい距離という意味です)の縁の人は他にも何人かいることに気づいた。
そして、縁というのは、意思のない接着剤のようなものだと再認識した。
フラフラしていても一人ぼっちではないのだ。
【TAROの日記】
2013/07/30(火) 08:28
言葉にならない・・というのが本当
最後にブログを書いたのが7月2日。
今日が30日。
ほとんど一ヶ月書かなかった=ほとんど家にいなかった・・ようだ。
ブログは毎日欠かさず書いていた時代もある(当時は、誰も注目していなかったけど、私は意図的にペーシ数を伸ばそうと毎日セコセコと適当な短い文を書いていたのです)。
だから一ヶ月も書いていないとかなり気持ちが悪い。
そして、今の気分は、運動を一ヶ月ぶりにするような感じ。そのため、どういう温度が必要かで少し戸惑っている・・。
最早、あまり記憶にないけれど、いろいろあった。
特に、モンゴルと恒例フジロックが長く楽しい日々だったけれど、それ以外の出張も、そりゃもう、いろいろだった。
モンゴルについては、すでに伝説化しつつある。
行った人しかわからないものなので、参加者も帰ってからの説明に戸惑っているようだけど、そもそも説明できる体験なんてのはすでに類型化されたものなわけで、意味が無いのだよ。
モンゴルの体験まではいかなくても、フジロックも同じ。
あれも、ただの野外ライブのように見えてしまうけど、未体験の人にはまったく説明が不能だ。
フジロック中、私たちは平気で「神が降りるかな?」などと会話をしてるけれど、そんなこと一つでも異常な会話だものね。
・・・と私はこの一ヶ月で説明できない体験をずいぶん多くした(それはモンゴル、フジロック以外でも・・・)。
おかげで、今、ゆっくりとパソコンの前にいるけれど、落ち着かない。
日常という反復の中に身を潜めると、自ずとエネルギーの消費量が減る。潜在的能力との橋も緩くなる。
それがイヤだと思いつつ、でも、安定を求める自分もいて、そこで、「次」を考えはじめる。
つまり、それでいいのだ。
これを書き終えたら、もう「次」である。
その「次」というやつも、言葉にはならない。
だから面白いのだ。
「次」はわからない。
でも、「次」に求めるもの、そして、「次」が求めるものは明解だ。
結局、こうしちゃいられないのである。
【TAROの日記】
2013/07/02(火) 08:27
iPhoneのイヤホン‥・・の夢
iPhoneにはカスなイヤホンがくっついてくる。
しかし、このイヤホン等のおかげで、iPhoneはそれなりの価格で提供され、ついでに周辺のイヤホン業者も儲かっている・・という形になっている(周辺は、一部でプロフィットプールになっているか?)。
昨日夢を見た。
iPhoneのカスなイヤホンが送られてきて、これを上手に耳に入れて良い音で聞きましょう・・というメッセージ付きだった。
夢を見ながら「アホな夢だ~」と思っていたけど、目をさましてみると、結構するどい夢だったような気がしてきた。
「カスでもなんとなかしましょうよ」という夢ではないか!
そういえば、昨日、お客様から、かなりカスった新入社員を入社させてしまって、どうしましょう?という相談があったな・・・。
昔、ホテルでバイトをしていた時、皿洗いごときでも能力に差が出るという経験をした。
大量の皿の処理には、自ずと段取り力がいる。わずかながら、カンのようなものも必要だ。
しかし、段取力ついて、いかんともしがたい人っていた。経験でどうにかなる・・という常識を超えてくるのだ。
iPhoneのイヤホンって、そういうものだろ・・・・・と直感的に思うけれど、そもそも、この白い紐に何も望まなけれ平和ではある。
しかし、夢の課題は、「良い音を聞け!」だから、何も望まないのはルール違反だろう。
私の弱い頭では、システム化等の教科書的なアイデアしか浮かばないが、iPhoneの紐にシステム化もクソもない。
そもそも、「耳に上手に入れましょう」と言い切っているのだから、そういうお話ではないのだ。
なるほど、「耳に上手に入れましょう」か・・・・。
さて、今、私の周辺で、うまく耳に入っていないものはなにか?
確かに、いくつかあるな・・・・・・・。
少しマシになる・・というのも大きな価値なのかもしれない。
【TAROの日記】
2013/07/01(月) 08:48
010→012
来週のモンゴルセミナーの準備が終わり、周辺の道具準備をしている。
なにせ、なにもない草原に5日もいるので、小道具は大事である。
中でも鳴り物は必須。
昨年のネパールに続き、ギターなどを持っていく。
太鼓も2つほど。
それに、夜のワーク用の秘密兵器。
草原といえば、アコギ。
電気がないから、アコギしか不能。
・・・・ということで、最近のエレキ三昧に別れを告げ、昨日、アコギを久々に弾いてみた。
私は、元々、アコギの人なのだが、んーーーーーーーー、全然、弾けない。
弦が太い。
エレキの010に対して、アコギの012は、太い。
はっきり言って、ほんのちょっとの差のはずなのに、これが辛い。
もちろん、010に弦を変えることはできるけど、今度は、音が細くなる。
やっぱり、草原は012以上しかない。
そういうわけで、012に慣れようと必死の私。
仕事をしながら、間の休みはアコギ三昧・・・・・・・。
アコギの音は良い。特にオープンコードの音は本当に心地が良い。
草原で弾いたらさぞかし気持ちがいいだろう。
けど、モンゴルまでにギターを触れるのは今日を入れて3日しかない(後は、出張)。
だいたい、セミナーの用意のほうが優先順位の上に来るから、ほぼ触れない。
せっかくなら、調子のいいところで草原に行きたかったけれど、最早、無理。
時間はないのだ。
ほんのちょっとの差であろうと、対応する時間と能力がないとどうにもならなのだなと痛感しつつ、世の中は、この微差に対応できるかどうかなんだよな・・。
【TAROの日記】
2013/06/21(金) 08:48
アウトバーン
1991年版『アウトバーン』を聞きながら通勤する。
どうしても70年版のオリジナルが頭にあるので、微妙な違いに反応してしまうけれど、これはこれでいい&後半の車が往来するシーンのところは、さすが1991年版と唸ってしまう。
この音楽、BPMは40くらいだろう。
今の音楽の常識からしたら、とても遅い。
しかし、BPM=40くらいだというのに、スピードは80kmくらいに一番合う感じがした。
この遅いと速さの同居はたまらない。なんとも言えない快感を呼ぶ。
おそらく、この感じは、私たちがドラムンベースを初めて聞いた時の快感と共通なのだろう。
ただ、相矛盾したものの同居というのは20世紀的だ。
今は、21世紀。いつまでもポアンカレの法則でもない。
では、これからは何か?
同様に相矛盾したものの同居だと思う。
ただし、用意された相矛盾ではなく、広がりの出会いみたいなもの。
それも広がりの定義は次元を超えたものになってくると思う。
それは専門家という仕事がコモディティーになる時代だろう。
さて、私が生きているうちにどこまで進むか?
とても楽しみだ。
【TAROの日記】
2013/06/20(木) 08:43
石器時代
最近よく思うのだけれど、21世紀に入ってから、やっぱり大きな断層があったんだな~と思う。
おそらく、この断層の効果は、これから大きく旋回を開始し、特に専門家をイジメにかけることになるのだと思う。
しかし、専門家と言われる人たちで、それがわかっている人ってどれくらいいるのだろうか?
まー、今、守るものがある人たちにそれを言うのは酷というものか・・。
これから私たちの目の前には偉大な素人が現れる。・・というか、すでにどこかにたくさんいる。
彼らの特徴はメタ学習の徒だ。
だから、自分が知っているだけの論は振り回さない。
最近、アベノミックス関連の礼賛本、批判本を見ていると、どっちも見たいことだけ見ているなーととても思う。
私たちはあいかわらず肩書きに弱いけれど、あの肩書きってやつは、彼らの限界性を示しているだけなのだ、本当は・・。
でぇ、そんなことを思っていたら、20世紀までが石器時代に思えてきた。
知識の石器時代である。
そして、これから、マホメットが現れる・・と思う(もちろん一人じゃない)。
みんな(私を含む)が目をつぶっているところに一撃を強打する者が現れる。
私は、それを知的に期待する。
そろそろ、戯言は一掃するべきだと思うんだよ・・。
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