日: 2004年1月1日
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2004/01/01(木) 09:58

あけましておめでとうございます。

新年、おめでとうございます。
また、全てがリセットされて、新しい年ですね。

毎年、毎年思いますが、私たち人間の営みとは何なのでしょうか?
どんなにがんばっても終わりがありません。
いつまで、がんばるのかも分かりません。

達観すれば、そういう事実がある。
だから、がんばることを辞めることもできる。
そして、そういう人たちもいる。

でも、私たちはがんばる。
それは何のためなのでしょうか?

当然、お金を稼ぐというのは大きな理由でしょう。
しかし、稼ぐのを辞めて、使わないという方法もある。
現に、そういう考えで山の中で自給自足をしている人たちもいます。

そういう道もあるのに、私たちは、それでもがんばる。
それはどうしてでしょうか?

私個人のことを言えば、
「余韻」に浸りたいから・・。
がんばる理由は、「余韻」に浸りたいからです。

一つの仕事が終わった後の静寂。
その静寂のためにがんばっているような気がします。

でも、その「余韻」は単なる静寂ではありません。
その「余韻」の中には、たくさんの何かがあります。

それは、一つの仕事を成し遂げた「満足」であったり、「反省」であったり、新たに得られた「知恵」であったり、いろいろです。

そういった見えないものに浸るためにがんばる。
私個人は、そういう風に考えています。
年を取るにつれて、毎年毎年が早くなる。
正直な所、新年だからと言って、特別なことも感じません。
改めて、新年の挨拶というのもおかしな感じです。

しかし、人には、ふっと立ち止まるときが必要です。
特に、中小企業の経営者にとって、本当に、立ち止まるときは正月ぐらいしかありません。
中には、新年の売り出しなどで、正月でも立ち止まれない方もいらっしゃることでしょうが、それでも正月と言うものは、自分が歩いてきた軌跡の確認と新たなスタートへの覚悟のための大事な一時だと思います。

さて、新年のお休みが終われば、また我慢くらべが始まります。
休んでいる私たちには、向こうに見える岸はとても遠い。
でも、急いでいくこともできません。
歩みは一緒。
問われるのは中身です。

今年の暮れは、どんな「余韻」が待っているでしょうか?
そんなことを考えながらスタートの準備をしてください。
私たちには、踏み出すことしかないのですから・・・。

2004年1月1日

                       岡本 吏郎 拝

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