【無理に哲学】

2007/03/30(金) 08:49

佐世保からの手紙

佐世保のお寺の住職から時々お便りをいただきます。

今日も、顧問をしていらっしゃる高校の「学校便り」に書かれた一文をお送りいただきました。

文章を読ませていただき、「まいりました」とうなってしまうと同時に、この一文を全ての在学生が読むことはないにしても、この一文で人生の姿勢が変わる子もいる・・と思うと頭が下がりました。

高校生という最も多感な時期には、ちょっとしたことで「人生」というテーマが目の前に厳然とあることに気づくときが来ます。
奥手だった私が「人生」とかいうものの存在に気づいたのは、突然大学に行くことになってしまって受験勉強をはじめた冬。勉強をしながら『たむたむたいむ』という番組を聞いているときでした。

DJかぜ耕士が何を言ったのかは記憶にありませんが、あの番組の「包み込む」雰囲気にやられて何かを感じました。

そして、いただいた一文を読んで、自分が「人生」という言葉をはじめて認知したそんな時を思い出しました。

ところで、その一文の中の「正しい答えが納得のいく答えになるかどうか、そこに人生経験が不可欠になるものがあるのだろう」という言葉に大きくうなずきました。

正しい答えにすぐには納得できない自分のおごり

正しい答えを表面からしかとらえられない自分の未熟。

しかし、そのおごりや未熟こそが自分そのもの。

そして自分の経験から正しい答えを語れることがあったとしても、それは無力であることの事実・・。

昨日、スタッフから
「社長、子供に”人生ってナニ?”て聞かれたらなんと答えます?」
と言われて自然に出てきた言葉は、
「”お父さんにとってはコツコツ。それはいつかわかると思うよ”とでも言うかな?」

でも、言いながらこれは言ったらおしまいよ・・とも思う自分もいる。

いただいた文章を読みながら、そんなことを考えました。

いつの間にか、おっちゃんになっている自分。
高校生の自分が見ていた将来の自分も、漠然としたおじさんでした。
そのおじさんへの旅は、確かに「人生」という言葉を意識したときに始まったのだと思います。
その出発点をどんな言葉に刺激されて始めるかは、その後の「おじさんへの旅」の景色をずいぶん規定したようにも思います。

そして、毎日が旅の始まりなのだから、良きものに刺激されたいと思う今。確かに、世の中は安易な結果主義と間引きされたものばかりですが、だから注意深く良きものを選びたいと改めて思いました。

ってことで無理に哲学に行きましょう。
「健康に注意しよう」

当然、心の健康ね!

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