【TAROの日記】
ポスト・スマートフォン2013/02/14(木) 08:26
ポスト・スマートフォンの議論が盛んだ。
もう「ポスト」が語られているのは、素人からは奇異に見えるけど、業界的にはそんなものなのだろう。
しかし、こういう話を聞いていると、私の脳裏には、反射的にアナログレコードが浮かぶ。
デジタルを究極まで追求するのは、それはそれでドーゾおやりください、と思うけれど、そんな先にあるのは、別の次元の希求だろう。
ビートルズの2009年リマスターでさえ、アナログにすると少し暖かい音になる。
元がデジタルだから、昔の英国初盤や東芝EMI盤の音は望んでも無理だけれど、アナログらしさは少しあって、聞いている方は安心をする。
2009年のビートルズのリマスターはよくできているけれど、やっぱり人工物だ。
そこには、作った人の意図が透けて見えてしまったりする。
必然性とか初期衝動というものが、これからのデジタルの世界でどう扱われるのか?
iPhoneがうまくいったのは、その初動に必然性があったから。
だから、これからのデジタル進化も必然性がないといけない。
しかし、いろいろな人のインタビューを読んでいると、その必然性があまり見えない。
ビックデータ周辺を自分のものにしようとする意図が透けて見えるのだ。
次の時代は、必然性からしか生まれない。
話は飛ぶけれど、アベノミックスがもし必然とするならば、国民国家の崩壊という必然を認めなくてはならない気がする。
だから、アベノミックスは、意図が透けたものと見たい。
しかしだよ、意図が透けても必然でも結果は同じか・・・・・・・・・・・。
インフレ率目標の先に透けて見える本当の目的を考えると、その透けて見える意図こそが必然性なのかもしれない・・。
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