2013/09/26(木) 08:53
50歳を過ぎたからだろうか、余計なことを排除することに気持ちがさらに強くなっている。
もともと、サンバ踊り、付和雷同、悪霊取り付き(悪霊については、今度の本に出てきます)は大嫌いな質なので、あまりムダのない、言い換えれば、面白味のない人生を生きている自覚はある。
でも、「必然性」という基準で見たら、まだまだ・・。多くのムダをやっていると思う。
それが、最近、無性に許せなくなっている。
だから、徹底的に、排除をしたいのだ。そして、「必然性」だけを残したいと思うのだ。
例えば、この仕事に、「必然性」はあるか?と聞いてみる。
答えは、直感で良い。
頭で、理屈をこねるのは、すでに、「必然性」のない証拠だ。
こういう質問もしてみる。
会社に、「必然性」はあるか?
こういう質問もある。
この人と一緒に仕事をするのは「必然性」があるか?
究極、今の家族と一緒にいるのは「必然性」があるか?という質問さえ成り立つ。
持ち物もそう。
私の書斎には、大量のギターやレコード、本が並ぶ。
これらに、「必然性」はあるか?
中学生の時に買った15、000円のギターは、今もある。物持ちは良い方なのだ。
このギターは、この間、モンゴルでも大活躍してくれた。現役なのだ。
でも、30万円近く出して買った黒のレスポール(好き者にはたまらない逸品)は、メンテには出したけど、弾くことはない。
「必然性」は怪しい。
アンディー・パートリッジのシグネイチャーという日本に数本しかないだろう変わり者の証明みたいなギターもある。
確か、36万円くらいしたはずだ。
音はいい。ハムバッキングの魅力を、フルに出してくれる逸品。
でも、これで一曲弾き切ったことはあったかどうか・・(こんど、バンド練習に持ってこ・・)。
やっぱり「必然性」は怪しい。
机の周りもそう。
「必然性」とそれ以外がぐじゃぐじゃになっている。
これを直感でエイヤーすれば、机さえなくなるかもしれない。
逆もある。
「必然性」があるのに、手に入れていないもの。
そういうものもあるはずだ。
どれも地味なものばかりだと思うけど、それを見つけるのも楽しいと思う。
若いにーちゃんが「必然性」とか言っていたらアホだけど、50歳のおじさんがコレを言うのは良い。
それも直感的に良いと思う。
でも、オカモトという男は、若い時からそういう傾向があったアホだと反省もしつつ、秋めいてきたので、そんなことを考え、少しずつ実行する腹なのだった・・。
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