日: 2016年4月27日
【TAROの日記】

2016/04/27(水) 08:29

手拍子

ちょっと問題発言になるかもしれないが、手拍子が嫌いだ。

数年前、中野サンプラザで行われた某バンドのラスト・ライブは悲惨だった。
私の右の人と左の人のリズム感がおかしい。
両側の二人が、それぞれ微妙にズレている。
私はバンドのリズムと両側のそれぞれズレたリズムを聞かされてイライラした。
こんな体験は初めてだったが、まーこんな苦痛なことはない。
そして、困ったことに指摘が難しい。
「リズムがズレているのでやめて・・」とはちょっと言えない。

昨日も書いたが、ジプシーキングスのライブでの都々逸リズムにもまいった。
ハチロクとかどう叩いていいのかわからないんだと思うが、それなら手拍子なんてしないのが懸命だ。

ファンクの16ビートを8で叩く日本の会場にも驚く。
ファンクのライブとなると、それなりの音楽好きが集まっているわけだが、バンドは16でも、会場は8という景色はとても普通だ。ノレないことはないが、本来のノリとは違う。本当の心地よさを味わいたくなって不満はたまる。

そして、年配の人の手拍子は基本的に重い。とにかく重い。だから、リズムがあっていても何か気持ちが悪い・・というか邪魔なことが多い。

・・と偉そうなことを言っているが、私だってわからない。
自分の手拍子は聞けないから、実はどうなっているかわからない。

私たちは録音した声を聞くと、あまりの声の違いに驚くことになるわけだが、これは声の質だけではない。何でも録音、録画して、それを聞いたり見たりすれば、自分のやっているつもりのことと実際の差に驚愕するはずだ。
楽器をやっているとこのことが重要で、マメに録音して自分の演奏を確認する必要がある。
とにかく驚くほどに、自分がやっていると思っていることはやっていない生き物なのだ。

ライブでミュージシャンが手拍子を求めることがある。
こういう時は付き合えばいいが、私はわたしのノリを続けたいのであまり手拍子はしない。だいたい、みんなと同じことをするのは嫌いなので生理的にダメなのもある。
でも、私みたいな天邪鬼なんて放っておいて、みんなで手を叩けばいい。
しかし、その手拍子というものが迷惑になることもあるのだ。

クラシックのコンサートではないから厳密なことを言ってもはじまらないとは思う。
大きな会場でみんなで手を叩けば、必ずタイミングはずれる。音の到達時間が違うのだから当然だ(オーケストラは前に座っている奏者と後ろの奏者が微妙にタイミングをずらして演奏しているらしい・・)。だから、細かいことは言いっこなしであるが、しかしねー、時々、困るのですよ。さすがに、左右隣がリズム違っちゃやってたらやってられないでしょう・・。

そんなわけで、私の心の片隅には、若い頃から「手拍子禁止同盟」を作りたいという気分が微かにある。
でも、そんなことはこういうところに書くのも危険な時代である。
「自分のリズム感は棚に上げて・・」とか「自分ばかりわかっているようなこと言って・・」といった代表的な反応を筆頭に反感買うのは見えている。そういう反応も考慮して、文章は書いているつもりだが、まー、そんなことは関係がないのが常だ。

市場がどんどん細かくなっていく方向の奥底にはこんな個人の気分の集合があると思う。
あらゆるワガママが実現可能になった時代、人びとは限りなく同じ価値観を求める。その方がストレスが少ないから当然だ。
同時に、より遠いものとの接近にも熱心になる。

・・・という時代のことを書こうと思ってたら、暴走した。
この件は別の所で書こうと思う。

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