月: 2016年3月
【TAROの日記】

2016/03/25(金) 08:58

タイヤ交換

昨年の春、タイヤ交換を忘れて一年中、スタッドレスタイヤで走っていた(バカだね~)

そんなこともあって、一昨日タイヤ交換をした。おそらく例年より早いと思う。

今日、結構な雪が降った。
そのため、ノーマルタイヤでの走行不能。
妻の車がまだスタッドレスなので、会社まで送ってもらう。

ところが、田舎の自宅から車で街中に入ってみると雪はほぼなし。
妻に、「自分の車でこれたじゃない!」と言われる。

でも、家の前は凄い雪だったのだ。
この雪が街中にあるとすれば、ノーマルタイヤなんて無理と思うのが普通。

今日は、妻が15:30に迎えに来るので、その後は家に帰って仕事の予定。

来年は、再び、タイヤ交換を忘れる可能性大。

【TAROの日記】

2016/03/24(木) 08:31

侵入

ネット以後、勝手に侵入してくるものが多くなった。
当初は、珍しいのもあって歓迎されたが、少しずつ嫌がられるようになり、今に至っている。

今では、ちょっとした侵入にも過敏になってしまった私たちが、ある。

そうなると、反動的な動きも活発化するわけで、侵入したがらないsomethingが魅力度を増し、人々は侵入するものを益々疎ましく思うようになった。

そして、ここまでは予定通りの展開だ。
しかし、予定通りと言っても、対応できている者は少ない。
元々、魅力がないものが魅力度を増すことはないし、侵入になれてしまったものはそれがやめられない。

そんな景色がはじまって数年経った。
そして、迎えた2016年は、妙な無反応社会の入り口に立っている感じがする。
その社会の雰囲気とは逆に、相変わらずが相変わらずしているので、地続きに見えてしまうが大きな断層があったのだと思う。

こんな感じはこれから数年続くのだろう。
ベールが剥げた時、どんな景色が見えるのか?

その景色の一部は左前になってしまった仏教周辺で見えている感じがしている。

【TAROの日記】

2016/03/23(水) 08:36

「ダメだね~」

ビンテージのギターを持つとギターがうまくなる・・という。
理由は、シビアだからだそうだ。
今のギターは小さなミスを見逃してくれる設計になっているが、ビンテージでは奏者の一挙手一投足がダイレクトに音に影響するという。より純度が高いのだ。

お付き合いもあって、オーダーしていたギターが届いた。
お付き合いと言っても、そんなものはきっかけでしかなく、欲しいから買うわけで、待望の一本である。

いつも釣り物を買っている身としては、ギターのオーダーの”たしなみ”がわからず、いろいろアドバイスを受けつつ選択したが、結局、「何に使うか?」がキモだとわかった。

でぇ、「何に使うんですか?」という究極の質問に、「カッティング専用機」と私は答えた。
さすがに、ギターもたくさんあるので、専用機があってもいい・・という軽いノリだったわけだが、この専用機がシビアなのである。
・・というか、目的のカッティングに関してとてもシビアなのだ。
別に、ソロとかリフとか弾いている分には、ネックが魅力的な秀逸な一本・・というところなのだが、カッティングでは牙をむく。

来たばかりのギターは、カッティングを弾く私に言う。
「ダメだね~」

むむむむむむむ・・・である。

彼は何度も言う。永遠に言う。
「ダメだね~」

私がやり方を変えるまで言い続ける。
「ダメだね~」

んーー、最近、カッティングにはそれなりの自信を持っていたんだが、全然、ダメだ。
結局、私は現代ギターに甘やかされていたというわけである。

それについては、実は、薄々わかっていた。
よーく自分の音を聞くと、欠点はアリアリで、でも、まー、そんなに目立たない。
だから、「まーいっか!」でやってきた・・というか、そういう態度で生きてきたのだ。

しかし、シビアな世界では、そんなものはチャンチャラおかしいわけで、ただ「ダメだね~」を連続で言われることとなる。アーメン。

昨日からカッティングの矯正に入った。
昨日の夜は2時間やり、今日も朝からあーでもない、こーでもないとやっている。
そして、原因はわかった。
だから、道は見えた。
しかし、修正し定着させるにはしばしかかる。
最初からシビアではない場で過ごすと矯正は大変だ。

人間はいつでも楽をしたいわけだが、本当はシビアな者の方が優しい奴なのである。
「ダメだね~」の声をどれだけ減らせるか、そしてゼロにできるか・・・。
私の左手は当分Cm7しか押さえないと思う。

【TAROの日記】

2016/03/22(火) 08:41

逆算の必要性

先週も、1週間いなかった。
まー、フツーである。
別に、毎度のことで何も言うことはない・・・はずなのだが、どうも中身が違う。
時間としての1週間は同じなのに、その中身はとてもバタバタしている。

しかし、何があったのかを反芻してみると、別段特別なことはない。
やっぱり、いつもと同じで、何も変わらない。
さらに、先週の出張に関して言えば、ずいぶん時間に余裕があったように思う。

仕事の後に行った落語では寝た。
良い睡眠になった。
お金を払ったのに落語が聞けない・・ということよりも寝たのがうれしかった。
それだけ疲れているのである。

今、とても時間を欲している。
それもゆったりした時間を欲している。
過剰な私の活動は、そろそろギアチェンジの時期を迎えているのだろう。
そして、今年はその最終コーナーの感じがしている。

後15年をどう生きるか?というテーマの中で、私は再び逆算の必要性を感じている。
欲望を欲望のままに・・というわけにはいかなくなってきたのだ。

面白いものである。
逆算が生き方として有効な時代があり、その時代を過ぎて欲望を欲望し、欲望もいいかげん欲望し切ると今度は欲望の在り処の探索期を迎え、そこが見えてきたら再び逆算の時代になっていたとは・・・・・・。まさに、若い頃に逆戻りである。
このような時代は過去にも生きたから経験はある。
ただ、また、アレをやらなきゃいけない・・というのは辛いな~。
でも、そうなのだ。
整理をし逆算の道を歩く。
あの若き頃の方法である。

それも今度は、あの時よりも過程が大事だ。
なにせ到達点の効用は少ない。
要は過程である。
ここで、過程の本質が見えてくる。
過程とは、結果に左右されるものなのだ。
そんな過程を、結果を期待しないで過程する、でも、結果が過程の質を決める・・という旅である。

【TAROの日記】

2016/03/14(月) 09:21

縁がない

縁というのはどうにもならない・・。

来月17日のライブは楽しみにしていたんだが・・。

縁というのはどうにもならない・・。

何度か見るチャンスはあったが、どうにも晩年の自己撞着的というか、再生産の繰り返しなところが気に入らなくて見ることはなかった。

『タルカス』を手にしたのは、中学1年生。
子どもの私は、初めてジャケ買いをした。
どうにもロックに飢えていて、でも情報はなく。
もうなんでもいいから聞きたい・・と思って買ったのが『タルカス』だった。
そこから、3rdと4thのわかりやすい内容にはまり、最後はやっぱり1stで、今では1stしか聞かなくなっていた。
さらに、ナイスにまで遡り、でもやっぱり1stだよなーと思ってから30年近く経ってしまった。

そのキース・エマーソンが小さな箱で往年の名曲をやるという(ナイス時代含む)。
まったく見に行く気がなかったキース・エマーソンのライブに「行こう」と思ったのは、こっちも年を取ったからだろう。

しかし、今日の朝、訃報を聞く。
「来月ライブなんだ」と言ったら「死んだよ」と言われて絶句・・。

私が、ライブを見ることを解禁したのは2003年。
仕事も順調に伸び、そろそろ呪縛を解くか・・と思った時のことはよく覚えている。
しかし、呪縛を解いてもすぐには本格稼働はできないので、ボウイの来日ライブは見逃してしまった。
このことは、地団駄を踏む思いだが、まー、縁がないのだ。
解禁で最初に見たのがキング・クリムゾンで、そのキングクリムゾンを昨年暮れには娘と見ている。
縁があったのだ。
でも、縁のないミュージシャンもいる。どうにもならない。
しかし、それがボウイとキース・エマーソンというのは悲しすぎる。
まー、仕方がない。

さて、追悼曲は何にしよー?
やっぱり『タンク』かなー?
今日から出張なので、帰ってきたら大音量で聞こう・・。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/03/11(金) 08:41

躁な状態

そろそろ、ブレーキがかかるかな?と思っていたら、来た・・。

今年の私は、例年になく躁な状態が続きヤバイと思っていた。
この躁な感じは、あの2011年の震災以来だと思う。

さらに、どこかで止まることはわかっているから、躁の状態の内に、ガンガン仕事をしてやろーとさらに拍車をかけるので、かなりヤバイ状況で、「このまんまだと倒れるかもー?」なんて思いながら、走り続けていた。

止まったのは、月曜日の夕方だった。
兆候は、土曜の夜にすでにあったが、はっきり現れたのはその日だった。
身体が重くなって動かない。そして、時間が経つと下痢がはじまった。

火曜日は全面的に休んで、水、木はだましだまし仕事をし、今に至っている。
今も本調子ではない。
下痢はなおったが、身体はだるい。
年をとったせいで、回復が遅いのだな~と思う。

しかし、仕事を休んだ火曜日、私は嬉々としていた。
なんだか、仕事から自由になれてうれしいらしいのだ。
そして、そのうれしさで結構仕事をしてしまった。
会社に行かなかっただけで、それなりに仕事はしてしまったわけである。
さらに、昨日の夕方、再び、躁な感じが下半身の方から湧いてきて、ちょっとソワソワしていた。

今日の朝は少し身体がだるいので止まっているけれど、身体が楽になったら再び飛び出しそうな感じがする。

ある人が言った。
「あなたが、躁になると何か起こるような気がするんだよなー。3.11の時もそうだったもん・・」

あら、言われてみると・・・・・・。
とにかく何もないことを祈ろう。
私もなるべく大人しくするように努力するつもり・・。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/03/07(月) 08:46

マダラ模様

久しぶりに、代々木から渋谷まで明治通りを軸にウロウロしながら歩く。
待ち合わせ時間までかなり余裕があったので、十分楽しめた。

動線をウォッチングする面白さは、景色の変化よりも人の動き。
歩いている人種、数などが数十メートルの違いで大きく変わる。

さらに、特定地点の時間経過を流れで見れるのも面白い。
今回も、私が尖っているという意味で注目していたアパレルの店がなくなり、数年前まで小さなカウンターで細々やっていた近くのサードウェーブのコーヒー店が、外国人も含めた列になっていたのに驚いた。もちろん、カウンターも前よりも大きくなっていて、ディスプレーなども凝っていた。あの脱サラ・にーちゃんの家内制手工業みたいな佇まいからは想像できない変化である。

でぇ、今回のウォッチングでは嫌な発見もあった。
素敵な場所に人があまりいないのだ。
あまりの静けさに、私は平日だと思って歩いていたが、原宿の中心地帯に足を踏み入れると物凄い人。
それで、土曜日だということを思い出した。

人が特定の場所に集中している。その度合が過去よりも激しくなっていると見た。
これは、私のここ数年の見立てとは逆の景色だ。
大衆は減り、消費はさらに高度化している。
だから、大衆が集まる場所は、いくらか人が少なくなっていると想定していたので驚きだ。
おそらく、外国人観光客が大量に含まれているからとも思われるが、それにしても素敵な場所が閑散なのをどうとらえたらいいのか・・。
どうも最後の牙城も崩れてきている・・ということになるだろう。

しかし、先週のオペラは、その入場料の高さとは反比例して、満席だった。
おしゃれな人たちがたくさんいた。

そんな景色のマダラ模様を感じながら、次について考えている。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/03/02(水) 08:37

性分

今日は、朝から思ったように仕事がはかどらず、イライラしている。
別に、すぐに取り戻せるからどうでもいいようなものだけど、描いたように進まないのが好きではない。
この性分が、仕事ではうまく働いてくれたことは間違いないが、人生なんていろいろあるんだから、きょう一日くらい・・と思えないのは問題だ。

まー、しかし、世の中的には、例外だらけで、いつの間にか例外に絡め取られていく・・という景色が普通だろうから、性分としてのこの性格は、もう少し余裕のある塩梅なら悪くないのだろう。

でぇ、その塩梅である。
その塩梅が、ちょっと広いと、多くの例外に絡め取られていくと思えてならない。
だから、ちょうどいい塩梅なんてないわけで、どっちかに振れるのは仕方ないのだから、まー、今の状況で納得するしかないんだろうなーと思ったりする。

でぇ、本日は、これからリベンジである。
喪失時間は1時間くらいだと思うので、そこをスキマ時間とスピードで消化していく。
それは意地でもやるのである。

私は今などどうでもよい。
気にしているのは、いつも連鎖のこと。
たったひとつの瑕疵でも連鎖していく。世の中はそういうものだ。
だから、取り戻しは絶対で、妥協は許されない。
・・というのが私の主義である。

そんなわけで、これから高速で仕事します。
11時半には、東京に向けて発たなくてはならないので、こんなことしている場合ではない・・。

【TAROの日記】

2016/03/01(火) 08:34

google翻訳

google翻訳は割と使っていたが、使えないというか参考にしかならない・・ということは了解していた。

しかし、これは英→日の場合で、日→英でも参考にしかならない・・・という当たり前のことに気づいていなかった。

ところが、今頃になってそれに気づいた。
google翻訳君が英訳してくれた文章をそのままもう一度google翻訳君に叩き込んでも、さらに変な日本語になるのである。
これが面白い。google翻訳君に嘘をつかれた気分は残るが言語の不思議さを味わえる。

まー、google翻訳君が現在学習中であり、このわけのわからん翻訳を続けながら、どんどん優秀になっていくのだと思う。
それに私みたいな門外漢でなければ、こんなものを英語学習に使おうと思わないはずだから、それはそれでいいのだろう。

ところで、アウトプットとは元々いい加減なものだ。
それも、まともなアウトプットとデタラメが混在しているから困ってしまう。
その世の中の当たり前をを、google翻訳君はとてもわかりやすく表現してくれていてうれしい。
「利口になんてなるなよ」と言ってあげたいところだ。

ところで、アウトプットのいい加減な世界でどう生きたらいいのか?である。

答えは、簡単。
自分で考えればいい。
デタラメなアウトプットでも、そこに「自分で考える」を加味すると、必ずいい答えに出会える。
大量のデタラメの波をあびて、複数のデタラメから仮説を持ち、それを検証すればいいのである。

でぇ、その考えをgoogle翻訳君相手にやってみると、これがご機嫌なほどにスマートに使えてしまうので驚いた。
本質的なことは、どこでも応用がきく・・という発見を再度させてもらった。google翻訳君に感謝だね。

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