月: 2014年2月
【TAROの日記】

2014/02/28(金) 08:29

ブログを書くことについて

昨日、ある人から電話で言われた。
「最近のブログはいいですねー」

こう言われてうれしくないわけはないが、私は言った。
「どうも、すいません。時間がなくて、バタバタ書くのであーなってしまうんですよーぉ」

すると、相手も言った。
「そうですよ、やめてくださいよ。今日(2月27日)くらいのは、全然、いいですけど、その前の何個かは、困りますねー」

・・・・・・・・・

ブログを書くことは、毎朝、神棚にお参りしているのに似ている。
はじめるとやめられないのだ。
昔は、もっとひどかった。出張に行った時も現地で書いていた。
でも、今は、新潟にいる時しか書かないから書く日数は昔の半分以下だと思うけれど、それでもやめられない。

問題は、書く内容である。
温度管理が微妙なのだ。
特に、私は、一応、いろんな文章を有料で見ていただいている身なので、こういうところの匙加減は悩みだ。
いっそ開き直って、まとめたら本になるようなことを書くという方法もないこともないが、それをするには圧倒的に時間が足りない。

そんなわけで、いろんな中途半端な位置にいて、ブログを書いている。
その中でも時間がないというのが最も大きな重力だから、時々、書くことの温度がぐちゃくちゃになりそうになる。
だから、過去に書いたブログの内容を有料の媒体で引用して、さらに奥のことを書くなんて行為も、年に何回か起こっている。

基本、ブログは、ご挨拶だと思っている。
「今日もなんとか生きています」という報告だ。そんなものはSNSでもできるけど、私はSNSのウザったさが大嫌いなので、意地を張っている。

・・と言って、「今日は、どこどこ行ってました」とか「誰々に会いました」などと書くこともウザいと思っているので、そういうことも書きたくない。

挨拶だからなんでもいいはずなのだが、口に出して話さないことは、書くこともできないわけで、そうすると、私は、仕事と音楽と本のことくらいしか話さない片端な人なので、まともに挨拶もできす、事故って、時々、「今日のブログ良かったよ」などと言われてしまっている(こういう長い文章をダラダラ書くという方法は大好きだけど、ブログやメルマでは許せれない匂いがあって、困っている・・)。

意外に、これは悩ましいのだ。
それでも、続ける。
あまり面白くないことを書いていたら、それが私の意思なのだとご理解ください。

【TAROの日記】

2014/02/27(木) 08:30

ビットコイン

ビット・コインは、普通に考えれば、ジョン・ローのミッシシッピー計画みたいなもの・・と直感してしまうところ。
しかし、左翼的な思考があると、その反政府的なところが魅力である。
さらに、ジョン・ローの錬金術の仕組みそのものは現在も残っているわけで、ビット・コインにもその可能性を見てしまうところはある。
だから、興味は持っていた。

しかし、投資するまでに至らない。
なぜなら、今回のようなことが起こるリスクを無視できなかったから。

それが起きた。
ミッシッシピー流域に大きな台風が来たみたいなもので、膨らんだ期待はしぼんだ。

ヘッジファンドなども投資をしていたというけれど、実態はわからない。
いずれにしても小さな市場なので、大きな影響はないのだろう。

結局、某社の玄関にわざわざ行ってしまうような人たちが犠牲者だ。
フタを開けてみると、そこらで起きている金融詐欺事件と同じような景色に唖然とする。

信用というものの本質がどこにあるのかを垣間見せてくれた景色でもある。
いつでも、”まともさ”というものを基準にすればいいという話でもあり、時代遅れなどという言葉は、あんまり意味がないという話でもある。

【TAROの日記】

2014/02/26(水) 08:30

PM2.5警報

家を出る間際に、警報が出ていると言われる。
外は良い天気、春めいているというのに、景色の明るさとは真逆で不気味さが増す。

かつてロンドンの霧として有名だったスモッグが、対岸のフランスなどにどんな影響を及ぼしたかは知らない。
多数の死者を出したわけだから、対岸とはいえ影響がなかったとは考えずらい。

中国で大量死者が出るのが何年後かはわからないけれど、歴史が繰り返すとすればまだ当分先で、本気で改善をはじめるのもまだ先だろう。

境界線は、リスクヘッジだ。
昔の日本人が鬼や天狗などで象徴していた境界線は必要なのだ。
境界線がないというのは怖いのである。

ところが、ネットを代表に、私たちの目の前から境界線は消えた。
今の子供に、ネットでそれ以上先まで行くと鬼が出るよ・・なんて言っても笑われるだけだ。

しかし、論理的に、どうして危ないかを説明するのはナンセンスだ。
そこに、鬼がいるから・・と言い切ったほうが絶対的に良いと思う。

ただし、中国の鬼は、あっちにいるままではない。むこうからやってきてしまう。
境界線の消失は、境界線そのものだった鬼の流入さえもたらす。

そして、私たちは、砂山と化す(このメタファーはほとんどの人がわからんだろうけど、時間がないので、このまま押し切る)。
後は運命を待つだけだ。

【TAROの日記】

2014/02/25(火) 08:26

郵便物が未着

先月、アメリカに小さな荷物を送った。
それがまだ届いていないという。

それで思い出した。
出張のついでに直江津駅前の郵便局にお昼に行って出したのだけど、その時の窓口のおじさんの対応がとてもいい加減だったのだ。
あまりにも業務に熟知していないおじさんの相手は面倒くさいので、彼のできることを聞いて、彼の理解しているルートに乗せてあげることにした。おかげで、送料は500円。いつもよりも300円高い。

それが紛失した。
すぐに別便で対応。
特急にするため宅配を使ったので料金は1200円。
結局、いつもより1500円高くなった。

クレームするのは時間の無駄だ。
別になにが解決するわけでもない。
そもそも、こういう時の怒りは、優先順位は一瞬上がるが人生的にはとても低い。
つまり、以前も書いたけど、優先順位の低いことは神任せに限る。
私が努力をする必要はない。

あの時のおじさんの態度は基本業務をまったく知らないにもかかわらず尊大だった。
「こりゃ、組織内でも問題児だろうな・・」と思った。
だから、すでに神の信託は降りていることだろう。
放っておけばいいのだ。
そして、気づかぬおじさんには、次々いろんなことが起こるはずだ。
「事件はその人の性格のうちにあり(だったけ?)」である。

しかし、腹立つな~

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2014/02/24(月) 08:28

ここはどこだ・・

良い天気で、山が綺麗だ。
今日は妙高、火打山の絶景が目の前に大きく広がる。

そんな景色を見ながら車を運転していたら、瞬間的に、「ここはどこだ?」と思った。
すぐに、「新潟だよ・・」という声がして、「あ、家に帰ってきているんだ」と思った。

帰ってきたのは土曜日。2日前である。
そして、昨日も家で朝から晩まで仕事をした。大忙しである。
それが月曜の朝に、「あ、新潟だ」と気づくのはどういうことか?

あまりにも、変転激しく、自分がどこにいるかもわからなくなっているとは・・・・・。
さすがに呆れる。

ところで、今日はすごく忙しい。
鬼のように忙しい。
もう、叫びたいくらい忙しい。
別に、休もうとは思わないけれど、混乱しながら仕事をするのは嫌だ。
しかし、一つ一つ片付けなくては、混乱も収まらない。
ドンドン降ってくるというのも事実だけど、片付けるしかない。

この気分は、雪を掘っている時の気分とまったく一緒だ。
あー、そういうことなのだ・・。

【TAROの日記】

2014/02/14(金) 08:34

フラッパー

確か22年ぶり・・。
自由劇場の代表作『もっと泣いてよフラッパー』の再演を見た。
2,3年前の『上海バンスキング』の再演では、吉田日出子本人が昔のまま主演を演じて驚いたが、今回は、松たか子だった。
今回は、バック陣に,Dr.kyon、佐橋佳幸、バンババザールの黒川修、BBBBの木村純士などを配し、毎度の良い音も聞かせてもらった。

でぇ、音を聞いていたら、どういうわけか、初期スティーリー・ダンが無性に聞きたくなった。
初期のスティーリー・ダンには、このフラッパーの世界に通じるアメリカの匂いがするのだ。

・・と書いていたら、先週見たテデキス・トラックス・バンドの音も思い出した。
アメリカらしいミクチャーな音・・と表現したらいいだろうか?
ニューオリンズを源流とする音の良心だと思った。

そういえば、昨日、仕事しながら、ずっとオールマンを聞いていたのもつながった。
無意識に、そういう音を選んでいるらしい。

つまり、何気ない一つの行動には、テデキスを見て、フラッパー見て、スティーリダンを思い出すという一連の経験と思考の流れで選ばれている。

でぇ、人生とはその集合体である。

んーー、気は抜けないな・・。

【TAROの日記】

2014/02/13(木) 08:28

自力

久しぶりに新潟に帰ってきた。
そして、今日も雪。
出張先のテレビで見た東京渋谷のような雪である。

そんな小ぶりの雪の中を通勤しながら今日は思った。
「東京で、この雪は最悪だ・・」

同じくらいの量だけど、東京でこの雪に遭遇するのは絶対に嫌だ。
人が多いし、頼れるのは、公共機関だけ。
自力でなんとかできる余地がないのだ。

自力を手放すと豊かになる・・ということを書いたのは誰だったか?
ちょっと名前を忘れたが、それはそのとおりだと思う。
自給自足にこだわっていたら、私達の生活は作って食べるだけで終わる。
分業のパワーは絶大だ。

しかし、それが行き過ぎればリスクはドンドン増える。
会社経営なんて、社長が現場に立たなくなった頃に、スタッフがみんなやめたら、すぐにお手上げだ。

ある程度の気候の変化を予定している土地というのは、住みづらいけれど、リスクを予定できる点がいい。
それは、そのままそういう土地に住む者の生活感にもなる。

昔、アマゾンの私の本のレビューに、「雪国の人が書いた本だ」的なものがあった。
私はそれを読んで大笑いした。
確かに、そういう点はあるかもしれない・・と思った。
もちろん、同時に、その感想に違和感も感じた。雪国に住んでいれば、みんなそうなるわけではないから,稼ぐ人が長い財布を持っている・・というのと同じなのは言うまでもない。

・・と書いている間も雪はシンシンと降り続く。すでに、あの日の東京よりも多く降っているだろう。
どこまで積もるか?
静かに、それを見ながら、今日も普通の一日を過ごすのだった。

【TAROの日記】

2014/02/05(水) 08:43

パソコン

世の中では、よーく起きていることだと思うが、今日は、朝から、Air Macのパスワードを忘れて大騒ぎだった。
そこで、リセットをしようということになったけれど、ネットでいろいろ説明を見てもわからない。これもよくあることだと思う。
結局、感覚的に対応してパスワード変更には成功したが、どうも違和感が残る。

パスワードがわからなくなってしまうのも困りものだが、一番の問題は、私にパソコンを扱う基礎知識がないことだ。
小器用さで、今日まで約25年、感覚的にパソコンに対応してきたけれど、そういうことだと、本当のところは使えていないのだ。

しかし、これだけパソコンが普及しているというのに、パソコンの「ヨミ、カキ、ソロバン」がわかっていない人が大量というのも今の世の中だと思う。
このことは、パソコンだけではなくて、あらゆるジャンルで起きている。
そもそも、ホワイトカラーの仕事周辺なんて、そんなことばかり。基礎を知っている者などいない。
だから、全部適当だ。
これは言い過ぎではないと思う。

そして、私たち経営者は、スタッフの基礎能力の無さに驚くことシバシバ。自分も怪しいけれど、他人のことは気になるのだった。
製造技術などの基礎能力も落ちていると聞くけれど、ホワイトカラー周辺の場合は、さらにひどいと思っている。

しかし、逆を言うと、基礎能力が身についていると無敵だとも言える。
勝負は意外に早い段階、目立たないところでついているのだ。

私は、死ぬまで、パソコンを適当に使う人生を歩むしかない。
その損失はかなり大きいことだろう。
しかし、今さら基礎からというわけにもいかなし、困ったことだ。

便利になって、いろいろなものに手を出せる時代は幸せだ。
ただ、この中途半端の蔓延はどうすればいいのか?

結局、突っ込むところといい加減しておくところを自分の中で整理して対応するしかない。
私のパソコンは、ずっとギクシャクだ・・。

【TAROの日記】

2014/02/04(火) 08:34

調子に乗って・・。本日は、ルー・リード

昨年、亡くなったルー・リードは私の19歳上だった。
ボブ・ディランの活躍を考えると、ほんとうに早い死だったと思う。
もちろん、大滝詠一やかしぶちさんは、さらに早過ぎる。

高校1年生の時に、1500円廉価版シリーズという格安LPのシリーズが出た。
これには大変お世話になった。スティーリー・ダンや10CC、キャラバン、パリス、ピーター・ハミル・・・・・・といったミュージシャンの初期ものを一気に聞いた。

その中の一枚にルー・リードの名盤『ベルリン』があった。ルー・リード31歳の時の作品である。
正直なところ、高校1年生には全然わからなくて、数回聞いただけで、後に再会までには、いろいろな音楽体験が必要だった。

そんなわからない高校生など関係なしに、ルー・リードはアルバムをコンスタントに出し続けたと思う。
そして、47歳の時に、『ニューヨーク』を出す。

すでに、彼の提示する音楽が大好きになっていた28歳の私は狂喜した。
そして、その時思った。
「こんなに、年齢を重ねて、こんな仕事をしてしまうものかー」
しかし、当時のルーよりも今の私の方が5歳も年上である。

さらに2年後には、ルーと同じ年のジョン・ケイルが、イーノと組んで『ロング・ウェイ・アップ』を出す。
同年、ルーとジョンのコラボも実現。『ソング・フォー・ドレラ』になる。二人は49歳。
私は、再び、「さらに、この年で、すげーなー」と思った。
今の私は、彼らよりも3歳年上である。

さて、オカモトは何をするのか?
今考えていることは、落書きをしようと思っている。
できるならば、このツマラナイ世の中の状況にケリも入れたいと思ってもいる(しれてはいるが・・)。
落書きは、刺青になったら素敵だとも思っている。落書きは消えてしまうからね。

ボブやルーの落書きは、確実に刺青になって、今でさえ若者たちに大きな影響を与えている。
ボブにいたっては、刺青でさえ満足していないようで、その活動量は凄まじい。

まー、普通は、落書きで終わる。
人間、そんなものでいいと思う。

落書きとは何か?

そんなことをずっと考えている・・。

【TAROの日記】

2014/02/03(月) 08:33

72歳のオヤジ

1月が終わった。
例年よりも、1月が終わったことに敏感になっている。

どうせ今年も、すぐに3月が過ぎ、「あー、四分の一が終わったな~」と言っている間に、フジロックの季節が来て、一年は終わりである。
仕事は、3月までに・・という強迫観念が昔から強くて、今年もだいたい大きな方向は見えて、作業が鬼のように残っているだけ・・という状況にはある。後は、淡々とこなしていく一年。いつもと同じである。

4年ぶりに来日するボブ・ディランは私の20歳上である。
4年前の68歳のオヤジのパワーには、48歳の私は驚いたが、今度は72歳である。
勝手に4年前のライブと同じようなものを想像しつつ、「すごい・・」と思う。

ラノワと組んだ傑作『Time Out of Mind』の時、彼は56歳。
36歳の私は、そのアルバムをその年のフェバリットとして何回も何回も何回も聞いた。
当時、「56歳でこれを作るのか・・」と驚嘆したけれど、私も後4年である。

実現はできなかったが、彼は一時ライブを年に200回やると宣言したことがある。
彼が40代後半から50代頭くらいの頃だったと思う。

その時の彼の思いは今も続いている。
72歳なんて年は関係ないのだ。

おそらく、そんなことはどうでもいいのだ。

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