月: 2013年10月
【TAROの日記】

2013/10/29(火) 08:38

ゆっくり

ゆっくりは難しい。

これはいろんなところで共通している。
格闘技などの動きやスポーツ、そして楽器もそうである。

とにかく、ゆっくりは難しい。

ところで、日常の仕事である。
仕事は、スピードが命だ。
早くないといけない・・・・とみんな思っている。
私のような気の短い男には、ビジネスはとても向いている・・と思うのもそこである。

しかし、ならばスピードが早ければいいのか・・というとやっぱり違う。
意外にも、ゆっくりが重要なのだ。
そして、そのゆっくりは難しい。

ただし、遅いのはダメで、遅いとゆっくりは違うのだ。
んー、言語化が難しいな~。
これってロックンロ-ルのタメに似ている。
微妙なタメって、縦ノリ少年たちは苦手としていて、私のような下手なオジサンも実はちゃんとできているか怪しい代物なのだけど、そこんところが命だったりする。

でぇ、おそらくだけど、来年からは、そこんところがとても重要になりそうに思える。
オイルショックをスタートとする第2波が終わり、第3の波がはじまる(トフラーみたいだ・・)。
そして、価値観の混乱が起こる。
今まで、うまくいっていたやり方が役に立たなくなる。
それは、前に起きた断層の景色と同じだ。
その時私たちは振り返る時が来る。
前は、先を見た。新しい知識が出現した。
今度は、おそらく違う。逆が起こりそうな予感がする。

【TAROの日記】

2013/10/28(月) 08:32

あっという間の2週間

いやはや、連休の軽井沢の話を書いてから2種間か・・・・とため息をつきながら思いました。

母の葬儀に際しては、たくさんの方々から会葬いただき、お花や香典などもたくさん頂戴し、本当にありがとうございました。
誰でも、こういうものは地味にやろうと思いがちで、私もその一人ですが、それでも、祭壇の多くの花などを見るにつけ、母に初めて自分の現状の報告ができた・・と思いました。感謝の気持ちは言葉では言い尽くせません。

そして、無事、母を送り出してからは、怒涛の出張。
あまりの時の流れのギャップに、さすがに少し気持ちが変になりそうでしたが、時間というのは確実に事象を過去に葬っていきますから、こっちの気持ちも静かに普通に戻って行きました。

父の時にも思いましたが、死というイニシエイションは、時間軸をいい意味で歪めます。
父の時は、その歪みが自分に降りてきたのがわかりましたが、今回は、妻や子どもたちに、歪みがやってきたと思っています。

言葉の雰囲気は悪いですが、歪みはとても良い意味です。
時間の流れの寸断は、あきらかに、人を成長させます。
そんなことを、今回のイニシエイションで感じられたことは、とてもうれしいことです。
そして、今、母に感謝をするとすれば、そのことでしょう。

同時に、私も家族には負けていられません。
完全に母というマトリクスから離れた私にも、本当の人生の勝負時が来ると思っています。
もちろん、勝負の相手は自分です。
相手は、性格がひん曲がっていますから、なかなかの勝負になりそうです・・。

【TAROの日記】

2013/10/15(火) 08:36

連休の軽井沢

行ってはいけない時に、行ってはいけないところに行かない。
これは私のモットーである。

やってはいけない時に、やってはいけないことはやらない。
これも私のモットーであり、私が今日まで生きてきた源泉であり、私のアドバイスにおける根幹でもある。

そんな私が3連休の軽井沢に行った。
行ってはいけない時に、行ってはいけないところに行ったわけである。

こういうしてはいけない・・ということをしている時は、家族が絡んでいるのがパターンなわけで、妻がどうしても泊まりたかったところの予約が連休の初日に取れてしまったので、行く羽目になった。

それにしても、「行ってはいけない時に、行ってはいけないところに行った」ことがほぼない私は驚いた。
すげー車である。人である。
こんなところに来て何がうれしいのか?
さらに、娘がどうしてもアウトレットに行きたいなどとほざくので話が面倒になる。

しかし、そんなところで大きな力を発揮したのがiPhoneだった。
google mapの渋滞情報がとても使えた。
おそらく、ナビにもそういう機能はありそうだが、私の安物にはない。

そして、一番力を発揮するのは、やっぱり地図。
IT機器は、詳細と全体性を同時に表現できない。
かならず、どちらか一方だ。
これでは、裏道を使うには限界がある。
これはナビだろうとiPhoneだろうと一緒。
この問題を解決できたら、凄い商品になると思うので、専門家の人にはよろしくお願いしたいところだけど、それはそれとして、今は地図が一番いい。

そういうわけで、渋滞情報を手に入れつつ、地図を屈指して、途中から渋滞から脱出。
川沿いの土手やわけのわからん未舗装路などを走破して、渋滞をやり過ごす。
脱出ゲームをやっているみたいで、とても面白かった。

考えてみれば、こんなことは、昔、普通にやっていたことだけど、事前の渋滞情報のおかげで、ピンポイントで幹線道路に顔を出せるのが強力だった。

しかしだよ、みんなが同じことをするとどうなるか?
そういう点で、今の状態がベスト。これ以上便利になってもらっては困る。

・・・・という最上級の便利までいかないボーダーには、おいしいものが多い。

渋滞をただ享受する人と裏道を探す人っていうのは、毎度の型だと思いつつ、たまには、行かないところに行くのもいいと思った。
ただし、一回で十分なので、連休に観光地は二度と行きたくない。

【TAROの日記】

2013/10/11(金) 08:31

日経新聞 マクドナルド 違和感 

今日の日経新聞のマクドナルドの広告は不思議だ。
原田さんの写真が使われている。
確かに、会長職の肩書は残っているから、表面上はおかしくはないけれど、瞬間的に、いろいろ考えてしまった。

「積極的に直営店を減らしてフランチャイジーに転換してきた原田さんをここで出さなきゃね」(笑)(笑)
とか、
「ここんとこ目立っていたし、本も出しているし、世間はそんなに事情に詳しくないでしょ!」
とか・・・・・・・。

余計なお世話だけど、そんな会話で、この写真を使ったか・・と思えてしまった。

・・・・・・・・・と書きつつ、筆が暴走しそうなので、ここでやめておこう。

とにかく、本日、朝、私に違和感を感じさせたのが、この広告だった。

しかし、他にも違和感はある。
とてもある。
まー、毎日のことだ。

マクドナルドなんかは大きいから、私のような小動物が違和感を表明してもかわいいものだ。
でも、違和感って、本来、あまり表明できない。
私は狭いサークル内では言いたい放題だけど、場所は選ぶ。

ところで、違和感とはなんだろう?
ある学者は言う。
「死への恐怖」

これだけではないと思うけど、この学者の言い切りは好きだ。
まー、そういうわけで、私はそこらじゅうで「死の恐怖」を感じている。
今日の日経新聞のなかなかでしたよ・・。

【TAROの日記】

2013/10/10(木) 08:30

ごちそうさん

新しい朝ドラ『ごちそうさん』は、今、1922年(大正11年)である。
前回の『あまちゃん』同様に、2年後の関東大震災を控えたシチュエイション。

この頃の日本は、戦後不況を脱しサラリーマンの給料増加が物価上昇を追い越し一服していた頃。
安倍ちゃん内閣が夢に見ている光景が実現し、個人消費が景気を下支えしていた頃だ。
数年前には、米騒動で大騒ぎだった日本だけど、その記憶さえ過去のもの。

そんな大正デモクラシーな時代は、『はいからさんが通る』の時代で、オムライスが生まれるような時代だった。
そして、この時代の”新しきもの”は、第二次大戦後に復刻され、私たちもその一部を享受する。

当時の日本は金があった。
だから、財政出動も楽勝。鉄道網もこの頃整備された。

この後、震災~金融恐慌が来ようと誰も思わない明るい時代であると同時に、マルクス熱がジワジワと感染をはじめた時代だった。

今は、オムライスは生まれない。
何でも翻訳なしにダイレクトに輸入されちゃうから、オムライスは誰も求めない。

そのために儲かるのはアメリカを代表とするグローバリズム。
病気の症状さえ、アメリカ発の時代だから、薬なんて売りやすくなったものである(笑)。
UFO目撃者が感染して増えるように、伝染病でもない病気が感染したかのように増える・・というのは、本来、おかしい。
「社会現象」などという便利な言葉があるが、「それってなによ!」である。

話がヅレ過ぎたのでもとに戻す・・。
今は、マルクス主義の成れの果ての思想だか主張だかよくわからないものが感染している。
震災は経験済みで、金融はまだ。
金解禁に似たことも経験済みで、結果はこれから。

朝ドラ『ごちそうさん』は、そんな目でも見てみたい。

【TAROの日記】

2013/10/09(水) 08:41

カップラーメン

屋根裏を漁っていたら、中学~高校時代の楽譜が出てきた。
「おおーーーーー懐かしい~」と感動しつつ、見てみると、全部、五線譜。

「そんなの当たり前だろ~」と言われそうだけど、実は、ギターの楽譜は、TAB譜と言われる簡易楽譜が今では普通。最早、JAZZとクラシック以外では五線譜を使うことはない。

TAB譜というのは、ギターのどこを押さえればいいかが、番号で書いてある。つまり、犬や猿のようにただそこを押さえればいい。
知っている曲ならリズムを読む必要がないから、本当に、押さえるだけで曲は弾けてしまう(一応)。
年寄りがやっている大正琴と一緒なのだ。
もちろん、大正琴とは違って、まったく弾けない人がTAB譜だからといって、すぐに弾けることはない。でも、TAB譜でギターを弾く労力は大幅に少なくなった。

・・・・・・と思っていた。

しかし、久しぶりに、普通の楽譜を見ながら、昔を懐かしんでいると、ジワジワと過去の自分のスゴさに驚くことになってしまった。うまく言えないけど、TAB譜慣れした今の私にはできないことを平気でやっていた・・という感じなのだ。

どうもTAB譜ではないからよかったし、音楽を理解できた・・というのが実態だ。

日本人はダメになった。
誰もが言う。
私もそう思う。
政治家は平気で、矛盾したことを言い、素人がプロの意見に対して、平気で偉そうなことを言っている。
ずいぶん、おかしな世界になったと思う。
まー、そんな世の中は先人たちにより予言されていた世界の訳だけど、あまりにもひどい。

楽をするとダメになる。
誰もが言う。
私もそう思う。
しかし、楽な方がいい。
これも誰もが思う。
そして、本質を失っていく。
TAB譜は、まさに、本質を見失う道具だ。

表面だけで生きられちゃう。
凄いことだ。
いつの間にか、日本人の人生が『カップラーメン化』しているのだ。
しかし、お湯だけでは生きられないことを私たちは近い将来知ることになる。

いくらかJAZZもやっているから、TAB譜100%ではなかったけれど、今日からTAB譜はやめようと思った。
載っていても無視。ちゃんと五線譜で音を追う。その方が本質が見えてくるのだから・・。

【TAROの日記】

2013/10/08(火) 08:43

本能寺

京都で時間があったので映画を見た。
京都の映画館で映画を見るのは23年ぶり?
今はなさそうだけど、昔、駅前に映画館があって、『汚れた血』を見た。
あーいう映画を駅前でやっているとうことに、いたく感動した記憶がある。

映画を見終わって、ふらふら歩いていると本能寺があった。
京都には、何度も来ているけれど、「本能寺に行こう!」と思ったことがない。
京都にあることさえ忘れているくらいに、思いつかなかった。
同様に、池田屋も行こうとしたことがない。
どうも、事件が起きた場所というのには、あまり興味が無いらしい。

しかし、蛤御門にはなぜか行ってみたい。
今のところ行く機会がないけれど、あそこは行ってみたい。
同じように、事件の現場でしかないのに、どうしてか?
そういえば、桜田門にも興味はない。

数年前に伊豆に行った時、江川太郎左衛門が作った砲台跡に嬉々とした記憶がある。
ただの「跡」だというのに、どういうことか?
それも砲台でしかない。比較的、どこにでもありそうなものだ。
でも、砲台跡を見た時、彼の過労死について考えてしまった。

江川太郎左衛門というコンテキストと織田信長というコンテキストの違いはなにか?
あまりよくわからない。

本能寺は、ただ通り過ぎた。
「おおー、あれが、あの本能寺ですか~」と言って立ち止まることはなかった。
ただ、「小さいね」と「街中なんだね」とつぶやいただけだった。

ところで、その本能寺。
どうして、織田信長はあんなところで寝泊まりしたのか?
元は、もっと大きな敷地だったらしいが、それにしても、あそこかよ・・である。

ここで、質問をいれてみる。
「もし、経営者が浮気をしていたら、どういうところに泊まるか?」

目立たない所が基本だ。
しかし、魔が差してくると、東京ステーションホテルとか丸の内ホテルに泊まる。
実際、知り合いに、こういうホテルで発見されている人はいる。
まー、奥さんに見つからなければ、知り合いは「まー、いっかー」ということだろう。

しかし、その奥さんが東京に遊びに来ていたら・・・・。
もちろん、用心するだろう。
それでも、用心しないというのは、よほどナメテかかっているとしか思えない。
もちろん、そのナメテかかっている人もよく見かける。
そして、ドラマ的に発見されてしまう・・という事件も聞く。

弟を騙して殺した兄チャンにしては、本能寺の件は不思議だ。
浮気経営者同様にナメテかかったのか?
それとも理由があったのか?

一応そんなことを考えながら、本能寺を通り過ぎた。
書いていて思ったんだが、この題材って、小説家がいろいろ書いていそうだな・・。

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