月: 2016年9月
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/09/23(金) 08:46

ポートランド

来週は、ポートランドで1週間を過ごす。
毎度のごとく、ジェットコースターのような忙しさなのに、さらに1週間潰れるので、なんだか訳のわからないことになっている。

経営的な意思決定も必要な状況だというのに、落ち着いて考えている暇もない。
ただし、起きてくる事象はその”兆し”を入り口に確実にジワジワやってくる。その静かな足音は予想通りに向かってくるので、その足音の大きさに合わせて対応していけばいいとは思っている。要は覚悟だけなのだ。

でぇ、ポートランド。
ここで一番見たいのは、inevitableである。
私たちの生活や経済にも、静かな足音は確実にやってきていて避けられない。
ただし、それがどういう方向に向かていくか。その材料はだいたい見えている。
その一部を見てこよう・・というツアーである。

正直、すべてを見て、すべてを経験することは不可能だけど、その一部でも体験はできることだろう。
14名の大所帯。モンゴルの草原じゃないので、どんな風に動けるのか心配だったりもするけれど、当社初の視察ツアーなので、不備があったらお許し下さい。
まー、毎度、アドリブで作っていくタイプなので、今回も出たとこ勝負で楽しみましょう。

【TAROの日記】

2016/09/13(火) 08:34

パラリンピックを眺めて・・

今日も右手だけで打っている・・。
早く、そうすればよかったと思うがイライラもする。
仕事の効率の悪さたるや・・・・。きっと思い切って休んだほうがいいのだろう。そして、その時間に音声入力の対応をいろいろ試行錯誤する。それがいいのだと思う。

ところで、毎朝、パラリンピックがNHKでやっている。
オリンピックにもほとんど興味がない人間なので、パラリンピックも同様だけど、ちょっと違和感。
オリンピックに出る選手は、オリンピック前からスポットライトを浴びている人が多いので、私のような興味のない男でも「へー、あの人メダル取ったんだー」とか思うが、パラリンピックの選手がメダルを取っても、元々知らない人なので、ただ普通にテレビ画面を見ている(聞いている)自分に気づく。

マスコミは、「パラリンピックを盛り上げよう!」とか「パラリンピックも大事です」とか、選手の努力とか、いろいろ正義を語っているが、やるべきことをやっていない・・ってことだよな。
口で言うだけで、放送枠の多くはオリンピック選手に使って、パラリンピック選手の紹介は中途半端なのだろう。
私のようなオリンピックにも興味がない人間が、それなりにオリンピックを選手は知ってるのだから、同じ事していれば、私の認知度は違うはずだ。
だから、我々大衆に、シンプルな愛国心や道徳心を求めれる態度には、嫌悪感を持つ。

それはそれとして、パラリンピックの選手たちはどうやって絶望感を乗り越えたんだろう。
私なんて、腱鞘炎一つでかなりの絶望感の中にいるわけで、そういう彼らの生き様を知りたいよな~。
テレビでもそれなりに放映しているのかもしれないけど、露出度少ないのでキャッチできない。
今のところ『リアル』くらいなんだよな、そこら辺を知る個人的な手立ては・・。
毎朝少し試合を見て興味出てきたら、本でも探してみますか(きっとあるだろう・・)。

【TAROの日記】

2016/09/12(月) 08:32

腱鞘炎

腱鞘炎に悩んでいる。
もう一ヶ月を超えた。
好きなギターが弾けない・・・・・・。

いろいろやってみるけど全然治らない。
患部は左手中指。
突然、ゴンザレスが弾きたくなって、ひさしぶりにピアノを弾いたのが直接の原因。
ただ、楽譜を弾いていれば問題もない。しかし、キーが♭G(F以外が黒鍵)で、コード進行がとても美しくて、ついつい適当なアドリブ(めちゃくちゃ弾き)をはじめてしまう。
これで指に力が入ってしまって、一巻の終わり・・・・・・。
腱鞘炎になってみると、パソコンのキーボードを叩くのにも、かなり指が酷使されていることにも気づく。

そして、ギターが弾けないのは地獄である。
さすがに我慢も限度が来て、左手の人差し指だけ弾き始めてしまった。しかし、それでは終わるわけはなく、当初は軽いモードのお勉強と思って遊んでいたのに、いつのまにかファンクとかやっていたりして、途中で思いとどまったりした・・。
それもあって、今日はいつもより痛い

今この文章は右手だけで打っている。
今になって左手禁止を課している・・というわけだが、もっと早くしておけばよかった。

そもそもが、キーボードが絶対原因で、ピアノが誘発したと思うので、そろそろ音声入力を考えたい。
しかし、それだと会社じゃ仕事にならないよなー。
困ったものである。

【TAROの日記】

2016/09/09(金) 09:18

回路

今日もdifferent pronunciation のお話。
どうも、この件について私の心は強くフックしてしまったみたいだ。

本日は、セロニアス・モンク。
最初聞いた時「ロニアス・モンク・・・」と聞こえた。
私は間抜けにも「セは発音しないんだ・・」と思った。

しかし2度目に聞くと「セ(th)ロニアス・モンク」。
最初は、Thの音が聞こえなかったようだ。

最近、こういうことがよくある。
1度目は、なんだか全然知らない単語に聞こえるけれど、2度目はちゃんと聞こえる。
例えば、camel(ラクダ)という単語を聞いた時、最初は、「アーメル」と聞こえた。
「what does アーメル means?」と聞こ返すと、相手が、「アーメル?・・・what?・・・camel?」と反応。
この2度目は、「キャメル」と聞こえる。
そして、その後はちゃんと聞こえる。
それは、なかった回路が、突如できたみたいな感じ。
セロニアス・モンクも今では「ロニアス・モンク」と聞こえたことが不思議だ。

回路というのはできてしまうと、なかった時の体験がわからなくなる。
これは英語のhearingに限らない。
何もかもがそうだ・・。

仕事も、それぞれの回路の開き具合で決まる。
何が見えるか、何が聞こえるか、何を良いと思うか、何を恥ずかしいと思うか。まー、そんなものが重なっていく。それで成立する。

上記英語のお話は、回路が2度目で開いたお話になっているけれど、通常は2度目くらいじゃ開かない。
だから、人は何度でも同じことを言われ続けることがオチになっている。
前にロクでもないことがインストールされていると、それを抜くのも用意じゃないからなおさらで、ネット以後、ロクでもないことのインストールの機会は事欠かない。

以前、ギターの初心者がネット上の情報を見て、Amペンタトニックを使ったフレーズを持ってきた。
そして、「これをやりたいので、やってみてください」と言ってきた。
私は、「今の段階でこんなの弾くと、変な癖ついて下手になるよ」と言った。
私のこの言葉を、その人がわかったのは最近のことである。あれから3年くらい経ったような・・。

【TAROの日記】

2016/09/08(木) 08:33

VS○○

もう10年前くらいになるが、『VSおじさん』というラジオ企画を持ち込んだことがある。
ラジオ局の反応は良い印象だったので、その気になっていたけれど、その後何も言ってこない・・。
私も忙しいうえに、ドンドン新しい事を仕掛けていた頃なので、そのまま忘れてしまった。

※ただし、私たちが当たり前にしているビジネスのルールとは違う価値観を持っているところには二度と近づかないと決めた記憶があるので、意思決定の速度の遅さとかに面倒くさくなった・・のかもしれない(記憶不鮮明)。

『VSおじさん』は、10代の子どもたちと毎回世間話をして、世代間ギャップに驚くという趣旨で、子どもたちはテレホンショッキングのような”友達の輪”形式で回そうと考えていた。
もちろん、単なるエンタメを思考していたわけではなく、そこにはいろいろと考えていることがあった。
やっていたら面白い企画が次々生まれた可能性があるので、今考えると少しもったいない感じもするが、やっていたら身体がもたなかったかもしれない。

ところで、昨日経験したcall trainがコルトレーンだったことで、私は日本人の発音と外人の発音の違いをオタッキーに集めたいという衝動に駆られた。
そこで、そんなことを朝の英語の話相手に提案すると、毎日お互いにアルバムの紹介をしよーということになった・・、というかよく英語がわからなくて、こっちは「毎日ミュージシャンの名前を教えて!」と言ったつもりだったのに、そんなことになっていた。

でぇ、一日目。
彼が取り出したのは、『John Coltrane And Johnny Hartman』。
私は一瞬、「あれー!」である。
見たことはあるが、聞いたことがない。
生粋のジャズ好きならば聞いてないということはないだろうが、それほど『ballads』を食さない私には、縁のないアルバム。
私を含めた一般日本人にとって、この時期のコールトレーンは、クインテットである。
きっと、『ballads』好きでも、このアルバムを聞いていない人は日本人には多いと思う。

・・・ってなことを、通じたか通じなかったかは別にして、言い放ち、妻が聞いてそのままなっていた『undercurrent』のジャケットを見せた。言わずと知れた、ビル・エバンズ(エバンスではない)とジム・ホールの名盤である。

ところが彼の反応は、「しらーーーん!」。
えーーーーーーー!である。
何で『John Coltrane And Johnny Hartman』を紹介する奴が、これを知らんのだ。
Why don’t you know this albumである。

でも、面白い。
音楽の情報、常識も、それぞれの生活圏の差でこれほど大きいのだ。

そういえば、この間会ったポートランド出身の女の子(25歳)の口からは、ジョニー・キャッシュの名前が出た。
日本の20代でジョニー・キャッシュを知っている奴がいたら余程の奴だ。皆無に近いと思う。

そこで、昔の企画『VSおじさん』を思い出した。
常識のギャップの面白さよ!である。

私は喜々として、明日紹介しようと思うアルバムを数枚取り出した。
今日は、ジャズだったから、その流れで行くかな・・?などと思いつつ、菊地成孔の紹介とかはかなり難しいことになるぞ、と思った。

追伸
ジョアン・ジルベルトの正しい発音を聞いたが、あまりにも上記ギャップが面白くて、忘れてしまった。
そういえば、彼はカエターノを知らなかったな・・・・・。ここは強く推奨せねばならない。
リオ五輪開会式で歌っているジルベルト・ジルを谷村新司と顔が似ている・・と言っているアホなテレビ番組があったが、テレビは話にならないが、日本人はまだ大丈夫だ・・と言いたいので、リオ五輪開会式談話もやっておきたいところ。きっと認識ギャップにお互い卒倒するかも・・?

【TAROの日記】

2016/09/07(水) 08:34

コールトレーン

コールトレーン・・・と言われて、凍てついた・・。
何のことかわからん。

call train?
汽車なんて呼べないだろ・・。

でぇー、少し経ったらピンときた。
コルトレーンのことだ。

誰が、コルトレーンと呼んじゃったのかわからないが、カタカナ英語には問題が多い。
マイルスだってマイルズらしいし、ポール・マッカトニーだってポール・マカートニーじゃないと通じない。

この間、ギリシアに行ったけど、アテネなんてどこにもない。アッヘンズである。
ウィーンはヴィエナでしょ。
どうして、ウィーン少年合唱団なんだ?

これは知らないよりも問題が多い。
アテネなんて一生行けないかもしれない。

だいたい、仮に外人と話すことがあるとして、私にできることは好きな音楽の話くらいである(なぜか、音楽の話だと、聞こえるし、話せる・・)。
しかし、ミュージシャンの名前が通じないんじゃどうにもならない。

どうして、ちゃんと現地の発音にしなかったのかはわからないが、この国は毛沢東を「モウタクトウ」と読む唯一の国だから、全部そういうノリなのかもしれないし、そもそも精神的な鎖国が続いているからかもしれない。
何も工夫などいらない。聞こえるとおりにカタカナにすればいいのに、どうなっているのか?
なぜに、アテネでウィーンでドイツなのか?

・・とここまで書きながら思った。
アッヘンズがアテネになるのは相当意図的だ。
ジャーマンがドイツもそう。
そして、どうしてそうなっちゃったのかには何らかの意味があるはずなのだ。
そして、その理由を知りたくなる。
デレク&ザ・ドミノーズがデレク&ドミノスになっちゃったり、ザ・マンキーズがザ・モンキーズになっちゃうのは、単なる日本人の癖が出ちゃっただけだろうが、ジャーマンソーセージをドイツソーセージと言わないのだから、意地でもドイツって呼ぶのはなにか意味があると思えて仕方ない。

いずれにして、本来の音に変えるのは大変だ。
今まで、コルトレーンって言ってたのに、コールトレーンって案外言えないのだよ。やっぱり、call trainって文字が浮かんじゃうからね・・。

【TAROの日記】

2016/09/06(火) 08:30

不動産本

相変わらず不動産投資本がたくさん出回っている。
今日も新聞を読んでいると、不動産投資本の大きな広告。
私は、反射的に、この広告に反応する人がかわいそうだなーという感情が湧いてしまった。

別に本をけなしたいわけではない。だいたい読んでないし、読むこともない。
どうも、そそるタイトルを見て、「こういうのに人は反応するんだな~」と思いつつ、「でも、反応する人ってかわいそうな人たちだよな」などと急に気分がわきあがってきてしまったのだ。

世の中には、必要なものと必要じゃないものがある。
そして、それは人によって違う。

例えば、新興宗教は一般的には必要なものではない。
でも、必要な人もいる。
こういう話はすぐに騙した騙されたの話になりやすいが、そうではない。需要と供給である。今村昌平は『日本昆虫記』の中でさりげなくそれを示していくれている。
さらに極端に言うならば、相当デタラメなことにだって、不思議と需要はあるものだ。

この話、これ以上話を進めていくと、どこかからパッシング的なものが降ってきそうなのでやめておくけれど、広告を見てじんわりと粛々と「かわいそうだなー」という気持ちが湧き上がってきたことは事実で、それは私の思想とか考えとかとどこかで関連しているのだとは思うけど、結構自然に感情的にこみ上げたのだった。

ところで、そういう本はどういう人が必要としているのだろうか?
当然、不動産の専門家ではない。
不動産の知識がゼロの人でもない。
まー、その真中ということになる。

あ、これもこれ以上話を進めると、何か降ってきそうなのでやめておこう。

・・こうして、ネットにはあまり良識的な意見というのは載らないようになっている・・なんて書くと、さらに、「おまえは、自分は良識的と思っているのか!」などとやられ、そんなことを言ってくる人に、リベラルアーツの話から始めていたら日が暮れて、何を言おうと、結局、常識ってなんだ!ってところで話は行き詰まるので、まー、どうでもいい。

ここは、「世の中ってのは、かわいそうだなーと思われている行為が案外多い」というところで、まとめておこう。

追伸
以前、近くのリゾートホテルで、おじさんが若いビキニの女の子とジャグジーに入っているのを見た(この間、鰻屋でも似たようなのを見た)。
それを見た私は、かわいそうだなーという気持ちが湧いてきたけれど、でも、おじさんは楽しいはずで、かわいそうだなーなんて他人が思うのはどうでもよいに決まっている。
んー、おれは、実にどうでもいいことを書いているんだな~と反省している。何も書くことなくて変なこと書いちゃったなー。
ところで、そのおじさん。きっと今のオレくらいの年齢?おじさんをおじさんと言うおじさんも、かわいそうな存在だわ・・。

【TAROの日記】

2016/09/05(月) 08:34

時が経てばわかる

Time will tell.

英語でも、やっぱりこういう表現なのか・・と笑った。

この言葉は、このまま戦略論と言えるが、あんまり念頭に置く人は多くない。
人は、刹那である。

逆かもしれない。
多くの人が刹那だから、この戦略が使える・・とも言える。
毎度のことだが、みんなが利口では競争が激しくてたまらない。

競争っていうのは、昔からそれほど変わっているものではない。
「厳しい、厳しい」というけれど、”競争度”というのはそれぞれのフィールドで決っている。
それは、市場参加者の利口度および北朝鮮度の変数と言ってもいいだろう(言葉の説明は、あえてしませんのでご容赦を)。

しかし、アメリカの生産性が落ちている・・という論もあるように、私たちはとんでもなく辛い環境化にいる。
専門家の間では、生産性が落ちている件について、いろいろYESとNOが煙をまいているけれど、なんてことはないと思う。課題が複雑になっている・・という話だろう。
生産性は、上がっている。でも、課題はどんどん複雑になっている。だから、現在の生産性程度では、追いつけなくて、結論、生産性は下がる。

でも、そうだということは、克服は近いということではないか?
近いという時間感覚は、私の人生で見ると長い(遠い)となってしまうけど、おそらく近いのだ。
課題はさらに難しくなっていく。
刹那の集まりゆえに、競争なんてたるいものでしかない・・のだけど、課題の変化が私たちを苦しめる。
そして、そんな時もTime will tell.である。
just wait and seeな秋だなー。

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