月: 2008年1月
【TAROの日記】

2008/01/31(木) 05:20

降臨4

「・・・自分にとってのツェッペリンが問題なのではなく、ツェッペリンにとって自分がなにであるかが問題なのである。そのことに全員が気付いたとき、本当にツェッペリンは復活したのである。信じられないが、本当にレッド・ツェッペリンは復活したのである」

渋谷陽一氏のツェッペリン復活コンサートのレポートはこの文章で終わります。

この一文は名文です。
この文章には、評論家と言うよりも一人の経営者としての渋谷陽一氏の思いがあるのではないでしょうか?

「自分にとっての”自分の実績”が問題なのではなく、”自分の実績”にとって自分がなにであるかが問題なのである」
と読み替えてみましょう。

人間ある程度生きれば、何らかの実績があります。
そして、今もいろいろな形で戦い続けています。

また、個人の実績の評価と収入は乖離するものです。
収入が多いから実績も高いというものではない。そこも重要です。

ちょっと、構造主義の思考の逆転に似ていますが、自分は従で実績が主と言う思考は、いろいろ考えを広げるきっかけになるような気がしてなりません。

自分が過去に行ってきたコト。そのコトにとって自分はなにであるのか?
この問いはじっくり考えてみたい問いです。

【TAROの日記】

2008/01/30(水) 05:19

降臨3

覚悟と準備で必ず「降臨」するかはわかりません。

渋谷陽一氏は、
「あくまでも彼ら自身がツェッペリンであろうとする覚悟と準備がない限り、ツェッペリンのマジックは”降臨”しないのである」
と書きました。

来るかどうかわからないけど、覚悟と準備(努力と読みかえられますよね!)が必要条件ということですね。

この言葉は重いですよーぉ。

覚悟と準備は、経験が増えるほどに減ります。
減らないように努力はしても、一度何かを得たら人はそこから自由にはなれません。

そういう点で、ツェッペリンの3人は過去の経験でいろいろ失ったんでしょうね。
若いうちに多くのものを得て、その後いろいろ失った。それが必要だったというわけです。

他人事だとカンタンに言えますが、自分に置き換えると失いたくはありません。
そこが問題なんだよなーぁ。

・・・ということで明日に続きます(この方法を今年から実験的にやっていますが、思考の継続は案外苦しいです・・)

【TAROの日記】

2008/01/29(火) 05:19

降臨2

「ツェッペリンは曲に宿り、ツェッペリンはグルーブに宿っているのである。それを導き出すのはメンバーだが、あくまでも彼ら自身がツェッペリンであろうとする覚悟と準備がない限り、ツェッペリンのマジックは”降臨”しないのである。そのことに、ようやく彼らは気付いたのである」
と『ロッキングオン』で渋谷陽一氏は書いています。

「降臨」
いい言葉ですね。

この言葉を読んで、「あ、自分にも”降臨”って昔昔にあったなー(もう、10年以上前です)」と思いました。
そして、「今は、それがない」とも思いました。

凡人でも「降臨」ってあるわけですよね。
ただ、困るのが「降臨」したら、「降臨」した自分が「自分」と思う勘違いです。
それが、ずっーっと続くと思っちゃう。でも、そんなことないんですよねー。

「ジミー・ペイジは作れたはずである。しかし、彼はツェッペリンどころか、そのイミテーションさえ作れなかった・・」

ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジは、結構早くこのことを思い知っちゃたんですね。良いことです。
それで、「降臨」の概念ができた。・・・と私は思います。

では、続きは明日に・・。

【TAROの日記】

2008/01/28(月) 05:18

降臨1

『ロッキングオン』2月号に掲載された渋谷陽一氏のツェッペリン再結成コンサートのレポートを読みました。

オークションで1000万円をつけたコンサートの内容は期待を裏切らない内容だったようです。

しかし、期待半分不安半分というのがファンの本音だったと思います。
過去に行われたペイジ=プラントのライブでのツェッペリン・ナンバーは、まったくツェッペリンではなかったという評判でしたから仕方がないですね。
そういうリスクの高いコンサートに1000万円を払った人は凄いと思います。

ところが、ファンの不安を裏切り、ツェッペリンは降臨したようです。

んー、うらやましい。
一人の庶民が見ることなんてできませんから、最初から諦めている話ですけど、やっぱりうらやましい・・・・・・・。

1970年代には、サブカルの一つでしかなかった音楽が今では宝石並みになっているわけで、何が価値を上げるかなんて誰もわからないですね。

そういえば、ポリスのマカオ公演を最高の場所で見るツアーが販売されましたが、少しずつこうした宝石も庶民の手の届くなるものにはなっているようです(私も、2月のポリスのコンサートはかなり良い席で見る予定です)。

渋谷陽一氏のコンサートリポートで気になったのは、「降臨」という言葉でした。

                                 (つづく)

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2008/01/25(金) 05:03

クレーマーの心理5

************************************************
今週は当社のスタッフの方々にお送りしています。
こんな場所で訓示みたいなことをたれてすいません。
************************************************

さて、最後になりました。
まとめます。

「お金を頂戴して怒られるというのは人間として最低である」
というのは、当社の行動基準の一つですが、怒っている人が直接怒ってくれないという風になると、この基準はまったく意味がなくなってしまいます。

心理学で言う「マイナスのストローク」という奴ですね。
カンタンな言葉で言えば、「無視される」ということです。

私たちが一人では成り立たないというのは自明です。
ですから、誰からも無視されたら生きられません。

『仮面ライダー電王』のもう一人のライダーである侑斗は、カードを一枚使うごとに人々からの記憶がなくなっていくという設定でした。

存在していても、他者から存在が認められなければ、存在しないのと一緒です。

人という存在の面白いところがここにあります。
そして、このテーマは多くの哲学者が考え続けたことでもありました。

当たり前のことですが、会社はお客様がいなくては存在できません。
そして、お客様の記憶に残ることを続けなければ、忘れられていきます。

さらに、約束を破ればお客様の記憶から即座に抹殺されます。

会社の倒産とは、お客様による抹殺なのです。
確かに、社長の放漫経営などによる倒産もありますが、怖いのは抹殺による倒産です。
この倒産だけは復活がありませんから・・。

そして、こうした周辺に、どうして存在するのか?の問いが隠れているというわけです。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2008/01/24(木) 05:02

クレーマーの心理4

************************************************
今週は当社のスタッフの方々にお送りしています。
こんな場所で訓示みたいなことをたれてすいません。
************************************************

今回のクレーマーの心理をちょっと考えてみましょう。

・このクレーマー(ボクのこと)は、自分の心が揺れないことを優先。
・クレームを言うと過去の怒りなども出てきて収拾がつかなくなることを非常に恐れている
・言うことだけ言って、相手からアプローチは許さない(時間を潰されたくない)
・したがって、基本的に、今後利用をしないという態度に徹している。

自分で言うのもなんですが、これは真のクレーマーです。

電話などで怒鳴るクレーマーよりも怖い人です。

最初から、電話の相手に何を言っても仕方ないと思っているのですから始末が悪い。
考えてみると、玄関が傷ついたことさえ相手には言っていません。事実だけを冷静に言うだけですから、こっちの怒りなんてそれほどわからなかったと思います。

確かに、こちらの怒りの解消のためには、誰かをサンドバックにするのがいいのですが、そんなこともどうでもいい・・と思えるときがあります。特に、自分の日常を守ることが優先だと特にそうなります。

つまり、今の自己愛を起因とするクレーマーの問題は、次にはこういう形に移ると思われます。
誰もが、クレームの心理の問題などを知識として知ることも普通になってくる、そして、自分の生活をより楽しく過ごしたいと考えるようになれば当然のことです。

ふざけたことをしていれば、笑って切られる。そんな個人優先の時代が来るんです。
それが自己愛型社会の究極の形でしょう。

資本主義とは、「約束」と「信用」から成り立ちます。
そして、今は、その「約束」と「信用」が商品になっているケースが多くなってきました。

そして、それが商品の根幹部分ではなくても、私たちはお客様に「約束」をし、それを達成した「信用」で商業をさせていただいていることにかわりはありません。

それができなかったら資本主義から排除される。そういう道筋しかないのです。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2008/01/23(水) 05:01

クレーマーの心理3

************************************************
今週は当社のスタッフの方々にお送りしています。
こんな場所で訓示みたいなことをたれてすいません。
************************************************

そういうわけで電話を入れました。

伝票の電話番号(横浜でした)に電話をし、「クレームの電話なので責任者を出せ!」と言って昨日のことを言いました。

相手は慣れている感じで、好印象のまま対応しますが、こっちは長々話していると怒りがぶりかえすので、今回の事実と今後佐川急便は仕事でも私生活でも一切使わないことだけを宣言しました。

相手は、「対処して折り返し電話します」と言いましたが、「電話は要らない。これ以上人の時間を奪うものではない。すでに、おたくのドライバーは私たちの大事な時間の計画を壊している。これ以上、何を邪魔しようというのか!」と言って電話を切りました。

こっちは、怒りがぶり返さないようにすることが肝心。
くだくだ付き合って入られません。

すでに、彼らが行ったことは取り戻せないのです。
確かに、人が死ぬこともなければ、誰かがケガをしたわけでもない。
しかし、彼らは、何の商品も提供せずにお金だけを回収したのです。
そして、その商品での弁済は不可能です。
できることなんて、損害賠償くらいでしょう。
「時間指定」とはそういう商品です。

電話の相手は、対処しやすいクレーマーだと感じてほっとしていると思います。
対処も適当の可能性もあるでしょう(まぁ、そんなことはこっちにはどうでもいいことですが・・)。
でも、本当はこういうクレーマーが一番怖いわけです。

さて、私たちにも佐川急便の「時間指定」と同じような商品があると思います。
今回の佐川急便のドライバーの行ったことは断罪ものですが、誠実に対処しながらも同様の事態が起こることもあるでしょう。当然、約束の重要性を甘く考えた断罪すべき事態も誰かが起こすかもしれません。

自社で、こうしたことが起こる状況を少々考えてみてください。

私たちも、過去に有料メルマの配信を遅延したことなどがありました。
佐川急便の「時間指定」とは商品の性格が違いますが、約束を守らない仕事であったことに変わりはありません。
愛読している週刊誌が、子供の頃、雪などが原因で遅れて発行されると悲しかったでしょう。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2008/01/22(火) 05:59

クレーマーの心理2

************************************************
今週は当社のスタッフの方々にお送りしています。
こんな場所で訓示みたいなことをたれてすいません。
************************************************

昨日の佐川急便事件の続きです。

佐川急便のせいで、60kg以上の荷物を階段の上り下りをしてエッチラオッチラと運こびことになったものの、こういう怒りの消化は心得ているので、アンプのセッティングをせっせと行ううちに忘れていましたが、母屋に戻ってみると妻が怒り心頭。

この重い代物により、玄関に傷が入った、時間無視を非常識と立腹していました(まぁ、彼女も怒りは長く続かないほうなので、それきりでしたが・・)。

翌朝、電話でクレームを言うことにしてその日はワインを飲んで酔っ払いました。金曜日の夜は楽しまなくてはいけません。

でぇ翌朝。正直、クレームのことなんて忘れてました。
だって、クレームを言って、得するのはこっちではなし。佐川急便の方です。
それに電話で話しているうちに、再び怒りが大きくなるのは見えています。

別に佐川なんて使わなければいいだけ。仕事でも一切使わない。それだけでいいわけです。
どうせ、黙っていたら、そのドライバー君はもっと大きな事故を起こすはずです。

時間という商品が売りの「時間指定」を何とも思っていない輩です。「約束」「信用」ということがてんでわかっていない輩です。まぁ、ボクがクレーム電話を入れなくても人生の結果は見えています。

佐川急便自体を好きでない消費者が多いことも認知していますから(佐川急便は知らないだろうなー)、問題はこっちの精神衛生上の問題のみ。そうすると電話をしないのが得策です。

しかし、妻に電話すると約束しちゃったので、かけないわけにはいきません。
あんまり気が進まなかったけれど、かけることにしました。

では、また明日。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2008/01/21(月) 05:58

クレーマーの心理1

**************************************************************
今週は当社のスタッフの方々にお送りします。
ホームページで訓示をたれる気もありませんが、たまにはこういう形もいいでしょう。
**************************************************************

金曜日の日に、土曜日午前指定の荷物が2つ我が家に届いていました。
一つは何ということはないのですが、一つは修理に出したメインアンプ。重さが60kg以上の代物です。

金曜日に帰宅すると、玄関には巨大な箱が横たわり、家族の怒りが目に浮かびました。

お腹がペコペコだったけれど、この巨大な物を離れの書斎に運び(汗だくです)、設置をしました。

運送会社を調べると佐川急便。

「あーやっぱり」と思いました。

インターネットのカゴ落ちの原因の一つに、佐川急便しか運送会社の選択がないというのがあると聞いていましたから・・。

その話を数年前に聞いたとき(当時は、センサーを貼ってこんなことばかり研究していました・・)、あまり消費者の心情がわかりませんでしたが、「なるほどなー、こういう経験を積み重ねるとそうなるのね」と思いました。

では、続きは明日・・。

【TAROの日記】

2008/01/18(金) 05:11

養老さんのインタビュー4

養老さんはインタビューの中で、「日本のサラリーマンは総じて面白くないですね」と言っています。

こうしたことは、養老さんに限らず多くの人が言うサラリーマンの枕言葉みたいなものですね。
まぁ、組織の論理に従わないといけないところがありますから仕方がないですよね。

ただ、私はサラリーマンの時、誰もがサラリーマンを辞めると思われていたようなので、従っていなかったのかもしれません。
でも、本人はいたって真面目に従っていたつもり。ですから、こういうのは体質の問題かもしれません。

つまり、組織の論理に従う人の受け皿が会社で、そういう器にそうした人たちの力を糾合することで、一人ではできない大きな力が出るという風に考えることもできますし、私はそうだと思っています。

勤めている会社が潰れる可能性が高い時代の今、サラリーマンという選択はリスクだらけ。だから、脱サラの方がリスクは少ないという考えも確かだと思いますが、その考えが普遍的かというと疑問です(まぁ、そういうことを言う人が普遍的にそうだ!と言っているわけではないですけど・・)。

養老さんはサラリーマンに参勤交代を勧めているわけですけど、どうなんでしょう?
それで活力が出るかどうかは別問題かな?だって、逆にのんびりしてしまう可能性の方が大です。
それに田舎は田舎で空論が跋扈する場所ですからねー。
でぇ、そういう考えの方が大手を振ってしまうところがあります。

後、地方の力のある人が補助金を引っ張ってくる所なんて露骨ですしね~。
建設業が多いために、建設業の気分がマジョリティーですから、それになじめないと辛いですしね~。

田舎は田舎で美化されすぎですよ。
私の友人に、自分の故郷を憎んでいる奴がいますが、その気持ちも少しはわかります。
本当は、こういう奴が地方の改革をするといいのかも?
「地元が好き!」なんて言う奴がやることは、何か空虚なものが多いですからね・・。

・・こんなこと書いているとキリがないですね。
日経新聞の養老さんのインタビューを見て、何となく思ったことを書きました。
都会と田舎は、どんなに分ける気がなくても、やっぱりどこかに線があります。
誰が見ても二元的な存在。

でも、地方の美化はウソ。
むしろ、地方の方がダメです。だって、未だに古いイニシアチブと理想論ばかりが目につくんだもの。
そういう点では、都会暮らしに疲れた人や単なる夢想家ではなくて、いきのいい都会人に来て欲しいですよね。確かに、五感を蘇る場の空気はありますから・・。

2008年1月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
ページトップヘ