【TAROの日記】

2008/01/17(木) 05:51

養老さんのインタビュー3

養老さんがインタビューでお話になっていた。「田舎にいると眠っていた感覚がよみがえる」という話について考えてみましょう。

田舎にいると何が蘇るんでしょうかね?

私は田舎側の人間なので、何が蘇るかについてはよくわかりません(火曜日にも書いたように、差については気づいていますけどね・・)。

ただ朝や休日に田んぼの畦道を山を眺めながら歩いていると入ってくる微細なエネルギーのパワーにはいつも驚いています。
もしかしたら、アレが蘇るものかもしれません。
アレは、ただ登山に行ったりアウトドアをして得られるものとは少々違いますから・・。

それと、何とも言えない「どうにもならなさ」。
アレも都会ではあまりありません。何せ便利ですから・・。

田舎もセブンイレブンができたりして、不便さは減っていますが、それでも「どうにもならなさ」は多く残ります。
正月なんて、雪堀りからはじまって、午後は夫婦で雪囲い。否が応でもムダな仕事をしなければやっていけません。そして、そういうものはたくさんあります。

雪や雑草を楽しめるのは外の人だけ。当事者には災難以外の何ものでもありません。
そういうことや、人間関係の閉塞性から、多くの人が出て行った。それが田舎です。

でも、その「どうにもならなさ」って非常に必要なものなんだとよく思います。
人は飛んではいけないんだと思うのです。
非常に無責任な自己実現賛歌の中には、都合のよいことを前提としたポジティブシンキングがあるでしょう?
その弱さって見えますよね。

養老さんが蘇ると行ったものの中には、そんなことも含まれそうです。
幸田露伴が言うところの「惜福」みたいな感覚でしょうかね・・。

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