【TAROの日記】
降臨42008/01/31(木) 05:20
「・・・自分にとってのツェッペリンが問題なのではなく、ツェッペリンにとって自分がなにであるかが問題なのである。そのことに全員が気付いたとき、本当にツェッペリンは復活したのである。信じられないが、本当にレッド・ツェッペリンは復活したのである」
渋谷陽一氏のツェッペリン復活コンサートのレポートはこの文章で終わります。
この一文は名文です。
この文章には、評論家と言うよりも一人の経営者としての渋谷陽一氏の思いがあるのではないでしょうか?
「自分にとっての”自分の実績”が問題なのではなく、”自分の実績”にとって自分がなにであるかが問題なのである」
と読み替えてみましょう。
人間ある程度生きれば、何らかの実績があります。
そして、今もいろいろな形で戦い続けています。
また、個人の実績の評価と収入は乖離するものです。
収入が多いから実績も高いというものではない。そこも重要です。
ちょっと、構造主義の思考の逆転に似ていますが、自分は従で実績が主と言う思考は、いろいろ考えを広げるきっかけになるような気がしてなりません。
自分が過去に行ってきたコト。そのコトにとって自分はなにであるのか?
この問いはじっくり考えてみたい問いです。
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