月: 2016年2月
【TAROの日記】

2016/02/29(月) 08:30

何を削ればいいんだい?

ヒョンなことから初オペラ体験をした。
さらに、ちゃんとオーケストラを聞くのも初めてに近いので、オノボリさん気分で聞いた。
一番前の席だったのでとても贅沢な時間だった。

これは癖になる。
元々月に数本もライブや芝居、落語を見ているが、オペラやオーケストラが加わるのは間違いない。

ところで内容。
まずは、バイオリンのユニゾンの音に感動。
そのバイオリンの音にピッコロ、フルートの音が絡むのが気持ち良い。

最初はケンカしているように聞こえた管と弦の音も気づいてみたら一体化。これが凄い。最早一つの楽器だ(あのケンカは演出?それともエンジンかかる前の混沌?)

パーカッションのリズムがはじまって間もなくズレた。
さらに中間部でも数回0.3拍(?)くらい早い場面があったけれど、そういうのもいい。
多数の人間がドキドキしながらやっているのが伝わってくる。

特に、パーカッションは難しい楽器だと思った。
音数が少ないから、あれは相当つらい楽器だ。
だから、トライアングルのオフ気味な音には、すごく感心した。
あれは、相当な精神力を要すると思った(今回、トライアングルに一番感動)。

時々、リードを指揮者が取っているのか、ステージ上の歌い手が取っているのかわからないような場面もあって、もっと演奏にと詳しかったらそういうのもわかって見れたのに・・と思えた。

オペラの演出がまたいい。
私は、古臭いことを永遠続けているのだと勝手に思っていたが、ちゃんと現代人が楽しめる演出が随所にされていて、3時間半はあっと言う間だった。

こんな面白いものを今まで知らなかったというのは残念無念。
もっと凄いのが見たいという欲求が起きてきた。
こりゃ、止まらないな・・。

さて、代わりに何を削ろうか?
これが問題だ。
24時間、365日。
この分配に、毎日悩み、毎月悩み、そして毎年悩む。
それも年々悩みは深まる・・・。
新しい興味が増えちゃうのは困ったところだ。
そうでなくても、今年も新しい取り組みが多いのでなおさらである・・。

【TAROの日記】

2016/02/26(金) 08:36

それしかない

明日はバンドの練習だ。
しかし、メンバーのうち2人は来ない。
さらに、一人は終わりの1時間前に来て、私は逆に3時間前に帰る。
どうにも練習にならないのは見えている。

1年間の練習の日程は決まっている。
みんなが合意で決めている。
ところがいろいろ起こる。勘違いもしてしまったりする(私です。すいません)。
それでこうなる。
まー、どこにでもあるお話だ。

さらに、メンバー間で取り組み方に違いはあるうえに、上達の速度も冷徹に違ってくるから、フニャーっとはじめた遊びの割には、軽いストレスチックなところもある。
まー、これもどこにでもあるお話で、いつか来た道だ。

この間G+を見ていると、バンドのグチが大量に書かれているのがあって、とても共感して大笑いしてしまった。
部活のような絶対的統制がないもの・・というのは、そこらへんの塩梅が面白い。

明日は、一応、新曲を合わせる。
まだ仕上げの段階ではないから、大きな流れをつかむだけ。
そもそも、実質3人しかいない(それも3時間だけ)から、まー合わせてみるだけになる。
個人的には、7曲はほぼできていて、1曲はギターソロのコピーに苦労し、1曲は、ギターソロの暗記を放棄(覚えられん・・)、1曲はもう一人のギターのやる気待ち。そして。1曲はやるんだか、どうなんだか・・。

でも、ダラダラ同じ曲をやっているよりいい。
すごく大変だけど、楽しむにはそれしかない。

バンドの面白さは、この「それしかない」というのがたくさんあるところにある。
「それしかない」を認めてジワジワ行くのがいい。
これが一番の快楽だと思ったりする・・

【TAROの日記】

2016/02/25(木) 08:36

闘争心

すごい雪である。
個人的には、今年一番気分悪い雪である。

暖冬のうえにあまり新潟に居ないので、私が新潟のイヤーーな感じの雪を体験するのは、今年はじめてかもしれない。

さらに、気分的に、冬はもう終わったというのもある。
だから、天を仰いで思うのは、「もう春なんだから、降るなよー」ということ。もう私の心の中には、厳冬期に対する闘争心はまったくないのである。

人間は、一度闘争心を失うとこんなものである。
後は野となれ山となれ、ただ具合の悪いことが起きないように祈るだけである。

妻から「鳩時計」と呼ばれている私が、チックタックと毎日同じことをほぼ同じ時間にやり続けているココロみたいなものはそこにある。
ジワジワと前に進む気分というものは微細なもので、それを失うのは簡単なことなのだ。

でぇ、ジワジワというのは、ほとんど結果が変わらないわけだが、どこかで化けるのでじっと耐えていることの形容で、このジワジワは地味だけど、相当な闘争心がないと続かない。

ぱっと花火を上げるのには、闘争心などまったくいらないけれど、ジワジワというのは闘争なのだ。
何と戦っているかといえば、そりゃ、この世界に私を投げつけた奴に決っている。

でぇ、そいつに対する闘争心は煮えたぎっているわけだけど、雪に対しは何もない。今年はもう負けるだけである。そして、怨嗟の気分を表出するだけだ。オレの闘争の邪魔をするな・・と思うだけで、それはやっぱり負けているのだ。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/02/24(水) 08:37

『マンスリーCD』

ここ数週間、過去の『マンスリーCD』を聞く苦行を強制されている。
もう10年以上やっているので全部なんて聞けるわけはないが、2011年以降のものをチョイスして聞かされている。

それにしても、自分の声を大量に聞かされる・・というのは辛い。
今日も朝車の中で2011年12月の音声を聞いてきたが、もうゲップが出そうである。
さらに、来週からは2012年分に突入である。あー、あーって感じなのだ。

聞いている理由は、昨年の『20+1周年記念』の計画の中で『マンスリーCD』の一部を一般販売することになったから。
しかし、昨年は忙しすぎる・・と逃げまわり、今年は逃げられなくなってやっている。
でも、今年は、昨年よりもさらに忙しいので、結局、先送りはいけない!という毎度の当たり前を身体で体験中というところだ。

ところで、2011年の『マンスリーCD』は震災とともにはじまった・・という感じだ。
そして、結構、普遍的な経営に役立つ視点を話している。
その話は別に震災と絡める話でもないのだが、震災という悲劇があったために、より意味が立ち上がっていた。

そして、これがそのまま2016年にも役立つようになっている・・と思った。
普遍的なことを言っているのだから当然なのだが、2016年=坤の年にはよく響くと思った。

そういうわけで、過去の『マンスリーCD』をお持ちの方は聞いてみてください。
ちなみに、3,4,5月分がいいと思います。

【TAROの日記】

2016/02/23(火) 08:32

ケムール人

2月も終わろうとしている。

今のところ新潟には6日しかいない。
ブログを書くのも久しぶりだ。

東京にマンションを借りて10年以上になるけれど、最近やっと「東京の生活のようなもの」が定着をしてきたような気がする。

「東京の生活のようなもの」は「新潟の生活」とは大いにベクトルが違う。
“のようなもの”なんて言っているのはそこのところの気分がある。

その気分を一言で言ってしまえは”向上”ということになると思う。
仕事でもないし、生活でもない。
もちろん、仕事に行っているわけで、大いに仕事をし、同時に大いに遊んでもいると思うけれど、そこかしこに”向上”という要素があり、その流れを敷衍して生きているなーと思う。

「東京の生活のようなもの」の周辺を見てみると、いろいろな分野のサポーターが自分の周りに集まってきていることに気づく。
そして、そうしたサポーター込みで自分の人生になっているのだ。

晩年・・と表現したらいいのか、ちょっと違う感じもするが、壮年というのもニュアンスが違うので、ここでは晩年としておくけれど、晩年というのはこういうことなのだな・・と思う。

ガムシャラに働いてきてみたら、次のガムシャラ君たちが私をサポートしてくれていて、私はケムール人のように彼らの人生の一部を吸収して、自分の人生を作り上げている・・ってことになっていた。

なるほどー。
自分も若い頃から、人の人生の一部になっていたのかもしれない。
そして、今もそうなのかもしれない。

『ウルトラQ』のケムール人の回のラストは、当時、幼稚園児だった私に衝撃を与えたが、今は、「あーそういうことなんだ・・」という気分を与えてくれたりする・・。あの消えたおじさんは元気なのだ、きっと。

【TAROの日記】

2016/02/12(金) 08:32

微分世界の拡大

相場が凄まじく一方に動いている。
まー、ここまでは描いていた通りなので驚きはないが、その早さには驚く。

先月の『まーけ塾』の最中に、日銀のマイナス金利政策の導入の発表があった。
私が話している最中に、Oさんのスマホに情報が入ってきて、そのことを教えてくれたが、私は無反応だった。

とんでもないウルトラCとは思ったが、影響はそれほどない・・としか思えなかった。
そうとしか思えなかった理由は、あまりよくわからないけれど、大きな川の流れは変えられないと思えたらしい(ここらへん、いつも自分でも自分の反応や行動がわからないことがあるので、こんな客観的物言いになる)。

案の定、一時円安に振れるものの、予想通りに逆に円は切り上がっていった。
その動きも、とにかく早い。
なにか、微分の世界が拡大してしまったような・・・。そんな印象を持つ。

そして、相場ばかりではない。
微分の世界の拡大はいろいろなところで起きていて、私たちは変化率の川の流れを肌で感じている。

先週、『Dファクトリー2.1』である人が言った。
「世の中の流れって、止めることできませんかねー」

これは、一般人の心からの本音だろう。
対応しても対応しても、追われている現実に、こんなことも言ってみたくなるのはわかる。

でも止まらない。
無常である。

それも、単に無常なのではなく、変化率を増している。
今の状況では、「無常」という言葉さえ牧歌的だ。

予測力をつけるなんて意味はない。
要は対応力。

今回の相場、私の周辺にもかなりの大勝ちをした人たちがいる。
しかし、意味はない。
大勝ちしたということは、現在、ポジションが単純になりすぎていることを意味するからだ。
要は、対応力。
それを前提にしたポジションを組み上げておくべきだろう。

【TAROの日記】

2016/02/10(水) 08:33

時間配分

寒いので起きるのに少し抵抗があるけれど、6時前には起きるようにしている。

私の住む村では、朝6時にキンコーンカンコーン!と鐘が鳴るので、その音が鳴る前に何かをはじめているかどうかで、その日一日の状況はだいたい決まってくると言える。

それにしても、今月に入ってからは朝の忙しさは今まで以上になっている。
一つ付け加わったことがあるからで、付け加えるには、何かを止めねばならないというのに、止めないで付け加えたから、朝のラッシュは異常状態になっている。
しかし、こんなことを続けていても、何かが中途半端になるだろうから、早急に整備が必要で、明日の休みは、その整備に使おうと考えている。

ところで、昼間の仕事は少し余裕が出てきた。
昨年11月ころから1月までにかなりの仕事を前倒しした効果がではじめてきた。
これは、今月から付け加わったこと対策として事前に対応して置いたからだが、時間配分が間違っていた。んーー、なんでもやってみないとわからないものだ・・。

そういうわけで、今の私の時間配分は歪になっている。
まー、仕方がない。
何でも、朝にやっておいた方がいいに決っているのだから、これを変える気はない。

そうするとどうなるか?
おそらく昼間にできた真空地帯が埋まっていく。
・・というか、すでにそれははじまっていて、真空地帯にはジワジワと新しい仕事が侵攻をしている。

んーー、これは4月くらいにはとんでもないことになっているな・・。
んーー、これは4月くらいにはとんでもないことになっているな・・。

何回言ってみても状況が変わることはないので、今年の景色はもう見えてしまった。
後は、それがどれだけの成果になるかであるが、成果なんてどうでもよろしい。要は、どれだけ納得しながら美しくやるかだ。

今は、そういう点で、暗中模索中。
まだ型は100%見えていない。
今月中には、型が見えはじめるとは思っているけれど、どうなるか?

まー、あれだな、次の10年の仕込みがはじまったことだけは間違いない。
どんどん大変になるのは、若くなっているからだろう。ボブ・ディランはそう言ったもんね。

【TAROの日記】

2016/02/09(火) 08:31

次の経済

もう5年くらい経つのかどうか・・。
4年前かもしれないし、6年前かもしれないが、売り上げを目標にする時代は終わっているよね・・なんて話を盛んにしつつ、でも、頭ではわかっているけど実感ないよな~と言っていたものだった。

売上至上主義、利益至上主義の宗教、価値観から離れるのは、頭ではわかっていても、おそらく無理だろーと思っていた。
でも、同時に、どんな感じで新しい思考が育まれ、私たちの心がコロッと変わるのかは楽しみでもあった。
そして、その変化は、2020年くらいに起こるのだろうか?くらいに思っていた。

しかし、そんな変化は、すでに来ている。
・・というか、2年前くらいから、それが普通になった。
その変化はとても自然で、今となると前の感覚がわからない。

当社が、数値目標を廃止して、すでに4年が経つが、そのタイミングは絶妙だったと思う。
実感ないけど、やってみるかー!という感じで、やってみたわけで半信半疑だったけれど、とても塩梅がいい。

そして、昨年あたりから「次の経済」が見えてきた。
世の中が言う「次の経済」は、シェアリングエコノミーとかファンディングの話が中心だが、そんな流れとは別の所でも、コトは起きていて、それはそれは面白いことになっている・・と思っている。

そして、今年も一ヶ月半くらいが過ぎて、どうも「経済」というのが、今まで言われていたような意味で「経済」というのが無理になってきたような気がしてきた。

それについては、機関投資家も焦っていて、例えば、シェアリングエコノミーの評価に悩んでいたりするわけだが、そんな悩みもすり抜けるようなコトが起きていると思うし、そもそも、お金さえあれば消費できる・・という件についても怪しくなっている。

あー、いいー朝だ。
面白くなってきたなー

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/02/08(月) 08:30

挑戦権

新潟は晴れている。
晴れの日の雪の朝は気持ちが良い。
今年は雪が少ないせいで余裕もあるからか、雪景色がいつも以上に美しく見える。

そして、久しぶりの新潟で、このブログも2週間ぶりにくらいに書いている。

先月一ヶ月は、怒涛の一月間だった。
少なくみても二ヶ月分は生きた。
そんな感じがする。

ここで「生きた」という表現に、自分で納得する。
状況は、激流に流されているように見えるが、私は生きている。心臓の鼓動とともにある・・と言えばいいだろうか、そんな実感がある。

今年もあっという間に過ぎることは、経験上承知のことだが、今年は何かが違う気がしている。
何かコントロールを覚えた感覚があって、今まで以上に「粛々感」がある。

コントロールを覚えた・・というのは表現を変えると、「守備範囲が明確になった」ということになる。
守備範囲は今までもわかっていたつもりだが、何を前に進め、それをどうやってやるかがさらに明解になっている。

この感覚を手に入れたのは、約3年半のメンテナンスによってギターの腕が元に戻ってきたのも大きいかもしれない。それと仕事がどこかでリンクしているようなのだ。
ギターの方は、今、結構メンドーな曲に挑戦しているが、挑戦権は得ていると感じている。

そして、今、実務では、次の挑戦権の獲得に、毎朝悪戦苦闘している。
今の興味のありどころは、守備範囲を踏まえて、守備範囲の拡張を狙っていること。いわゆる、挑戦権を獲得する挑戦権を得た状態なのだと思う。

今月は、何ヶ月分生きられるだろうか?
別に、何ヶ月分・・などという尺度はどうでもいいが、時間は濃いほうがいいに決まっている。

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