月: 2014年8月
【TAROの日記】

2014/08/29(金) 08:36

上達システム

うれしいことがあった。

家で、「あーよかった、よかった・・」と言っていると、長男が「親って大変だな~」と言う。
そこで、私は言った。
「オレだって、親は初めてやってるんだ。何回もやれるものじゃないから、試行錯誤なんだよ。お前も、あんまり初心者を悩ませるなよ!」

人生でやることは、重要なことほど、一回きりの初めて勝負・・・ということになっている。
基本的に、失敗は許されないように見えてしまう。

しかし、人生の多くのことは、失敗して上達していくシステムになっている。
だから、失敗の利用度で、その人の成長度が決まる。

おそらく、一回きりの初めての勝負も同様で、根本的には上達システムが稼働しているはずだけれど、当事者にはそれがわからないので、一喜一憂することになる。
本当のところは、結果に一喜一憂しないで、上達システムを正常に稼働させておくべきなのだ。

ところが、上達システムを稼働し続けることは、案外難しい。
そこには、ある種の根性がいる。
私は、現在も、あることがうまくいかず、気分が少し悪いのだが、根性で、上達システムを稼働させている。少し気を抜けば、負けてしまうのだけど、とにかく根性である。

大人の私は、根性システムの精緻な因果を理解しているから、「ここで根性」とそれでも思える。
しかし、子どもたちはこのシステムをどうやって知っていくのだろう?
言ってもわからないしね・・。

【TAROの日記】

2014/08/28(木) 08:29

物語

詐欺にあった話を聞いた。
その詐欺のことはどうでもいいのだけれど、詐欺のパターンというのは、魅力的な物語の提示からはじまる。

物語の重要性はいろいろなところで語られるようになった。
日本人が、そして人類が「大きな物語」を失ったあたりから、物語の別の利用法が目立ってきて、今に至っている・・と大雑把には言えるだろう。

私は、印象群のひとつとして物語を捉えている。
だから、エサの一つだ。
そして、これは、エサの一つなのだから、とても強力である。

宗教や詐欺、一部のマーケティング、セラピーなどで利用されるのはそのためであり、ヒトラーや連合赤軍が使ったのもそのためだ。

しかし、「大きな物語」を失った時、私たちは問われたのではないだろうか?
物語なしで生きよ。そう問われたのだと思う。

物語は強力で重要だ。そのすべてを否定するつもりはない。
しかし、私たちは物語を選択した段階で死んでいるのではないか。

本来は、逆なのだ。
私たちが選択するものではないのだ。

考えてみると、仏陀はそれを言ったのだと思う。

【TAROの日記】

2014/08/27(水) 08:33

近くにスーパー

事務所の近くに巨大なスーパーの建設が始まっている。
まだ建築ははじまったばかりなので詳細はわからないけれど、この地域で最も規模の大きなものができるように見える。
いろんなテナントの建物も出来始めていて、完成は野次馬根性丸出しで楽しみである。

このスーパーの出現で、売上が確実に落ちると考えられるところが3つある。
そのうち2つは同じ経営で、その影響も大きそうだ。

しかし、商売というゲームを、勝ち負けのゲームとして行ったら、とてもツマラナイものだなーと思う。
このスーパーの出現で、何かが変わるのかといえば、大して何も変わらない。
買い物する場所が少し変わるだけのうえに、かえって巨大なために不便になるだけかもしれない。

・・そんなこんなで、新スーパーの計算が狂えば、いい思いをするのは誰もいないことになる。

もちろん、この打ち手の先には、M&Aなどの打ち手が待っていて、それこそゲーム理論的な展開がされている可能性もあるから、この巨大スーパーの表向きの出現だけで考えられるわけではない。

しかし、ツマラナイものはツマラナイ。
新しい何かが出てきてワクワクする・・なんていうのは地方では1990年代に終わってしまっている。
もちろん、その後も新たなものは出現したし、それなりのものある。
でもね、ここまで来れば、単なる勝ち負けゲームかゲーム理論的戦略でしかないわけだから、それなり・・ってこともないことでしょう。

・・と言いつつ完成を楽しみにしているというのも、モンティパイソン的な神経かもしれない。

【TAROの日記】

2014/08/26(火) 08:26

復活モンティパイソン

復活モンティパイソンのライブを録画しておいたのを見た。

面白い者には面白い。わからん奴にはまったくわからない。・・という毎度の王道ネタがステージで炸裂。
これを見て笑っているのは、かなり変なんだろうな・・と誰もが自覚しつつ笑っているのだろう。

数年前に、いとうせいこうや松尾貴史が、モンティパイソンをみんなで楽しむ会・・みたいな?ライブをやったことがある。
昨日見た録画では、その松尾貴史やいとうせいこうが解説で出演していた。

松尾貴史がゲバゲバ90分とモンティパイソンは放映開始が数日しか違わないと番組の解説でも言っていたけれど、その話を聞くまで、私はずっとゲバゲバ90分は、モンティパイソンを真似ているのだ思っていた。

この2つが同時に、世の中に現れたというのは凄いことだと私のような者には思える。
1969年のあの時に、どうして、こんなのがイギリスと日本で生まれてしまったのか・・?

でぇ、それは、その後、笑う犬の生活とか今のライフに続く。

いとうせいこうが、確かテリー・ギリアムだったかな・・?に会った時に、「あなたがたの影響を私はとても受けました」と感謝の言葉を言ったら、「それはすまないことをした。謝る」と言われたと番組の解説でも言っていたけれど、世界中に、影響を受けた奴らは大量にいる。
もちろん、私も謝って欲しい一人だ。

【TAROの日記】

2014/08/26(火) 08:26

復活モンティパイソン

復活モンティパイソンのライブを録画しておいたのを見た。

面白い者には面白い。わからん奴にはまったくわからない。・・という毎度の王道ネタがステージで炸裂。
これを見て笑っているのは、かなり変なんだろうな・・と誰もが自覚しつつ笑っているのだろう。

数年前に、いとうせいこうや松尾貴史が、モンティパイソンをみんなで楽しむ会・・みたいな?ライブをやったことがある。
昨日見た録画では、その松尾貴史やいとうせいこうが解説で出演していた。

松尾貴史がゲバゲバ90分とモンティパイソンは放映開始が数日しか違わないと番組の解説でも言っていたけれど、その話を聞くまで、私はずっとゲバゲバ90分は、モンティパイソンを真似ているのだ思っていた。

この2つが同時に、世の中に現れたというのは凄いことだと私のような者には思える。
1969年のあの時に、どうして、こんなのがイギリスと日本で生まれてしまったのか・・?

でぇ、それは、その後、笑う犬の生活とか今のライフに続く。

いとうせいこうが、確かテリー・ギリアムだったかな・・?に会った時に、「あなたがたの影響を私はとても受けました」と感謝の言葉を言ったら、「それはすまないことをした。謝る」と言われたと番組の解説でも言っていたけれど、世界中に、影響を受けた奴らは大量にいる。
もちろん、私も謝って欲しい一人だ。

【TAROの日記】

2014/08/25(月) 08:33

疲れた身体で遊びの話をしつつ身体的話

5年ぶりに、サマソニに行った。
そのため、先々週の土曜日から出張。そして、昨日帰ってきた。
疲れすぎて、声も出ない感じである。・・が、バンド練習もしたから、遊びすぎなのかもしれない・・。

ロバート・プラントは、意外にもよかった。
事前に、NHKでやったライブを見ていたので、期待していなかったが、いきなりツェッペリンのオリジナルアレンジではじまっちゃったんだから、たまらない。
ただ、私の周辺の客層は、有名曲しか知らんような子どもたちで、イマイチ盛り上がりにかけていたかな・・。

&有名バンド陣をいくつか見たけど、んーーーという感じだった。
良かったのは、ヴィンテージトラブルと矢野顕子だった。
ヴィンテージトラブルは次の新譜に期待だし、矢野顕子のバンドのドラムはとても気に入った。

自分のバンドはというと、かなり良くなった。
しかし、アマチュアの悲しいところで、練習不足が祟る場所は確実に祟るようになっている。必然なんだけど、それに遭遇すると「あーあー」と思う。ただの練習不足なんだから、何回もやればいいだけなんだけど、そこがアマチュアである。

個人的にも上記の通りだけど、右手は完全に復活した。
その分、左手でイライラするけれど、それでも2年半もかけて、右手が元の感覚に戻ったのは嬉しい限り。努力のしがいがあったというものだ。

まだ半身なれど、片方が元に戻ると、少し状況がスローで見えてくる。
演奏に余裕が出る・・という現象は、こんな身体感覚で起こる。

まだ少しだけど、「見る私」も感じられるようになる。
ただし、そうなるとイライラも増える。ダメな私を見ることになるから仕方ない。
でも、、このスローな感覚がいい。
仕事も同様で、好調なときは、この感覚がある。

本の原稿が最後のダッシュにかかっている。
書き終わっているけれど、今回は事例の挿入でここから時間がかかる。
スローな感じで、一気に終わるといいなーと思う。
今日からダッシュである。

【TAROの日記】

2014/08/12(火) 08:29

久しぶりに夢を見た

夢を見た。

夢の中で知らないオバサンに、本のゴーストーライターを頼まれる。
私は、「1億円払うなら、やってもいい」と答えると、おばさんが「じゃー頼む」と簡単に言うので、慌て、「いやいや、1億円じゃやらない」と答えた。
おばさんは、「じゃーいくらだったらやるんだ?」と聞いた瞬間、頭の中で「3億円」と浮かんだけれど、「あー、金額なんてどうでもよくて、やりたくないんだー」と思っているところで、目が覚めた。

変な夢である。
一応、本など書いているけれど、文才はないと思っている。
書かせてもらえるだけで、ありがたいことで、人の文章を責任をもって書くなどあり得ない。

ところで、夢の中の雰囲気には、「この仕事に乗ると、あんたも有名になるよ」的な感じがあって、おばさんは、それをエサに私を釣ろうとしているようだった。でぇ、そんなエサは大嫌いなので、なおさら仕事を断ろうとしていたような感じの夢だった。

この間、あるお客様が「岡本さんて、最近、出てないねー」という世間話に遭遇したらしい。
そこで、「え、俺、先月も会ったよ」と答えたそうだが、その話がその後どうなったかは知らない。

その話を聞いて、私もそんな話の材料になるのか・・と笑ってしまった。
そもそも、最近も昔も”出た・・”というつもりはない。
確かに、一時本は売れた(もちろん、あんなものはバブルである)。
しかし、だからと言って、なにか特別なことをした記憶はない。
むしろ、いろんなことを断ってきたと思う。誤って、雑誌などの取材を受けてしまったのは後悔しているけれど、あれは人間関係が絡んだり、好奇心が絡んだりしたので、まー、仕方がなかったと思っている。

後は、だいたい断ってきたし、それでよかたっと思っている。
そして、そんな依頼は続かない。今も時々あるけれど、断る回数も年5回くらいになってきている。その現象をも持ってして「「岡本さんて、最近、出てないねー」という表現になるのなら、それはそのとおりだ。
でも、表向きの現象は変わってないはずなんだけどな~。人の印象とは面白いものだ。

夢の中のオバサンは、何だったのか?
一体何を誘っているのか?
ちょっとひっかかるんだよな・・。

【TAROの日記】

2014/08/11(月) 08:27

土曜日は、会社のバーベキューだった。
毎年、我家の庭で、うまい肉を食べる・・という趣旨でやっている。
今年は、村のサマーカーニバルと重なって、花火付きだった。

村の花火は、人が少ないうえに、四方八方が獣道や田んぼの畦道なので、結構、打ち上げ場所の近いところまで行ける。
それも、そういうことをしようという人もいないので、進入禁止の境界で警備をしているおじさんと世間話をしつつ、ビールを片手に大の字で楽しめる(他には誰もいない)。

その最後のビールがいけなかったのか、昨日は二日酔いで時間をムダにした。
何もできずに一日が終わるのは悲しい。

だいたい午後2時から10時近くまで飲んでいたわけだから、二日酔いになって当たり前。
外で飲むとすごく飲めてしまうのも災いだ。

若いころは、二日酔いは二日酔いでしかないけれど、年をとってからの二日酔いは、静かな自殺をしているような感覚がある。
そういうわけで、現在のモードは「もう飲みたくない」という気持ちで溢れている。

しかし、酒のない人生って、どうにも寂しい感じがする。
何をしていたって、楽しさを数倍にしてくれるのは酒だよな~とあまり飲めなくなった今では、痛切に感じてしまう。

そうえいば、最近は、酒を飲む前に、納豆菌や酵素を飲む人が周りに増えてきた。
みんなで一緒に年を取ってきているんだなーと思う光景で、飲む前に薬を分けあったりしている。

でも、そこまでして飲む・・というのが正しいのだ。
静かな自殺であろうと、酒は飲まねばならぬのだ・・と今日は飲みたくなけど、そう思うのだった。

【TAROの日記】

2014/08/08(金) 08:26

ふるさと納税

ふるさと納税の限度額を2倍にする方針・・とニュースでやっていた。

「マジか?」と思った。
この制度はナンセンスだと思っている私には、制度の縮小ないしは変更なら理解ができるけれど、拡充というのはあまりにもおかしく見える。

ふるさと納税は、元々は東京都への納税額の一部が地方に回ればいい・・という趣旨があるのだろう。
しかし、上越市市民の私が、プレゼントの肉欲しさに、他の町村へ寄付をすると考えれば、単に貧乏財政の町村の税金分取り合戦でしかない。分捕り合戦のツールに、ふるさとの特産品が使われているわけである。

私たちは、寄付した分の金額がほぼ全額が戻ってくるうえに、特産品が手に入る。
見方を変えれば、特産品の肉を買って、その全額が自分の住む市町村と国から還元されるというわけだ。
もし、私の住む上越の市民が、みんなでこれをやれば、市の財政はかなり危機的なことになるだろう。

こんなおいしい話はないわけだが、これがまともな話のわけはない。
こういうまともではないことが、社会保険なども含めて行われている・・というのに、私はのんびりと日本国民を続けている。それしかないからだ。

別に、ふるさと納税などどうでもいい。ヒエラルキーの奥の方が民主主義の末期的な症状を見せている今、個別のことをあーでもない、こーでもない・・と言っても意味がない。そして、民主主義というのは、抜本解決を苦手にしている制度だから、万事休すの可能性さえある。

アホな制度で、私はただで肉を食い、上越市と国は少し貧乏をする。これが民主主義なのだ。

【TAROの日記】

2014/08/07(木) 08:26

幸せ

私の住む街は、ラーメンが旨い地域だと思うけれど、新潟県人の宣伝ベタで、全然知られていない。
この地域に多いスタンダードなラーメンがあって、私は今でもこれにかなうラーメンはないと思っている。

だいたい、最近のラーメンは、背脂を入れることを筆頭に、「ちょっと変わった」に逃げていると思う。
「おいしい普通のラーメン」こそが王道だ。
そして、この地域は、その王道ラーメンの旨いのがいろいろ食べられるところだった。

ところが、最近人気があるのは新興の変化球ラーメンの店。
そういう店に列ができる。
ついでに、スタンダードな王道ラーメンを出してくれた旨い店も元気がない。
簡単に言いきってしまうと、昔の旨さがなつかしいくらいに味が違うのである。

ところが、最近、趣味でやっているような変なラーメン屋を知った。
ここの欠点は、趣味趣味すぎて、せっかく、こっちが気に入った味を、どんどん研究して変えていってしまうところにあるけれど、ここ3年ほどは、ラーメンといえば、最早ここしか私は行かなくなっている。

そのラーメン屋が今年も限定ラーメンを怒涛のように放っている(夏の恒例)。
毎日違う限定ラーメンが「これでもかー!」と出てくる。
そして、これがどれも旨いのだ。

昨日は、スケジュールに「24歳?」と書かれていた。
「一体どんなラーメンか?」と店に行くと、「2005年復刻」とあった。

この店がそんな前からやっているとは知らなかったが、その頃の味を復刻した王道ラーメンが出てきた。
うれしいのは、この店はここ1年、全粒粉の麺に変えてしまったのだけれど、麺も昔のままに出てきたこと・・。

そして、口に入れて大感激。
この味は、あの幻の店○○の味ではないかい!
まさか、21世紀に再び食べられるとは・・。
私は妻に電話した。「今から走れ!限定13杯だから、あと8杯だ!」

昨日は、このことだけで全身幸せだった。
恐ろしや!ラーメンである・・。

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