2014/08/04(月) 08:27
クーラーの音が嫌いだ。
暑いと仕事にならないから、職場では仕方がないけれど、それにしても・・と思う。
そもそも、クーラーの音のせいで大事な音が聞こえなくなる・・なんてことは誰も考えていない。
日本人だけのことなのかわからないけれど、この集団の平均的な姿は、音に鈍感だ(このことは本多勝一も指摘している)。
だから、スキー場で、流行歌がガンガンかかっている。
海でも同様だ。
せっかく自然を楽しみに来ているはずなのに、どうして地上の、それもあまり程度が良いとは思えない音が大音量でなっているのか・・と若いころはよく思っていた。
山板で雪山に登り、下りでスキー場のゲレンデに向かって降りる時、遠くから音楽が聞こえてくるのにも嫌な思いがしたものだった。
ただし、不思議なのは、リフトのガチャガチャ言う音は、なぜか気にならない。
最初に植え付けられたからか、高校時代にバイトをしたことがあるからか、リフトの音はゲレンデの風景になっていたりする。
だから、クーラーの音が夏の景色の原風景になっている日本人が多いのかもしれない。
しかし、音とは微妙で、いろいろなことを表現してると思う。
そして、それも環境だ。
その環境が、クーラーの音に代表される現代的な騒音で、別の風景に変わっていることが、私たちの心に影響を与えないわけはない・・というと大げさか?
私は、若い頃、山の師匠に、雨が降っても雨具のフードはしてはいけない・・と習った。
大事な音が聞こえなくなるからだ。
実は、昨日、大事な音を見逃していることに気がついた。
もちろん、クーラーのせいだ。
たかが音だけど、まずは、そういうことを大事にすべきではないか・・。
そうでなければ、世の中なんて、扇動者に振り回されるだけのものに思えてしまう。
・・と言っても、つまらない扇動者に鈍感なのも日本人という集団の特性かもしれない。
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