月: 2012年3月
【TAROの日記】

2012/03/30(金) 08:29

明日からシンガポールなのだ。

5日ほど、シンガポールに行く。

単なる家族旅行だけど、2月15日の陥落後の視察の気分だったりする。

12月の真珠湾、マレー沖海戦に続き、今は順調日本が、6月にドツボに嵌る・・というようなピクチャーを根拠もなく言い続けている私だったりするわけだけど、そんな気分の一貫での旅である。

そういうわけで、またまたブログを書かない日が続く。
きっと、google+には、フラフラ何かを書くかもしれない。

シンガポール方面は、最近の裁判などでも明らかなように、当局に外堀を埋められようとしている。
最近、あっちで法人を設立して・・云々という手の話がさらに盛んだけど、いかがなものかと思う。

金融は良い。
しかし、それ以上のこととなるとどうなのかね。

世の中には、海外脱出を図ってよかった・・という話は聞こえてくるが、その逆はあまり聞こえてこない。
しかし、ちょっと考えてみればわかることだけど、基本的に市場経済にいるわけだから、差はないようになっている。
あらゆる変数が調整されて、どっちも同じ。むしろ、くだらないことにエネルギーを使ってムダだった・・ということに帰結するようになっている。
もちろん、短期では損得が明確に出る。短期ならね・・(笑)

そういうわけで、純粋な観光をやってくる。
もちろん、いくらかな思惑は持って行くけどね・・。

【TAROの日記】

2012/03/29(木) 09:04

観察者(=傍観者)の限界

傍目八目とはよく言ったもので、自分のことはわからないが、他人のことはよくわかる。

では、第三者の視点は全て正しいのだろうか?

観察者の洞察は、それぞれの立場、それぞれの能力から見えるという点で、当事者よりも優れている時がある。
しかし、一人の観察者が、すべての観点から正しい解を出せるわけではない。あくまでも、ある点で当事者よりもすぐれた洞察が得られる場合があるというだけである。

新聞を見ていたら、『コンサルタントになっていきなり年収650万円を稼ぐ法』などという毎度毎度の本が出版されていることを知ったが、650万円程度を自慢する神経は、とりあえず不問にしておくとして、”いきなりコンサルタント”というのは、根本的に何かを勘違いしているなーとあらためて思う。

まー、こんなことはどうでもよいのだが、今日は本当に何も書くことが思いつかなかったので、こんなことを題材にしている。
ただ、せっかくなので、もう少し書く。

当事者には感情がある。
観察者には感情がない(他人の気持ちなんてわかるわけない。私は「わかる。わかる・・」という言い回しが嫌いだ)。

物事の判断とは、いつでも感情が伴う。
しかし、観察者は、その感情のただ中にいない。
それが有利に働くこともあるが、おそらく多くの場合は、それは問題がある。

世の中で、傍目八目が通用するのは、単に浅いところで、みんなが満足しているだけだからだ。

傍目八目・・とは単にそういう意味でしかないと思う。

世の中には、「傍目八目ビジネス」が多くある。
それは占い師から評論家、床屋のおばちゃんまで人に意見する多くの商売がそうだ。
場合によっては、課長とか部長なんてものも含まれるだろう。
しかしね、そんなものはそんな程度なのだ。
「でも、それで救われました」というような経験は、競馬の予想詐欺でたまたま当たってしまったことと何も変わりはない。当たらない方が良いことというのは結構多いのだよ(笑)

【TAROの日記】

2012/03/28(水) 08:27

街の衰退

一昨日、新潟市に久しぶりに行った(ことは昨日も書いた)。
そして、古町という旧繁華街を少し歩いた。

“旧繁華街”と書くくらいだから、その衰退は目を覆うばかりだ。
しかし、この古町を、私が楽しく闊歩していたのはつい最近のことだと思う。
1980年代、古町はまだ繁華街だった。
記憶では1990年代もまだまだ繁華街だったように思う。
異変は21世紀からやってきた。つい最近のことなのだ。

私が住む上越市の旧繁華街だって、80年代はまだまだそれでも・・だったように思う(もちろん、私が言うところの「3階建て論」ははじまってはいたが・・)。
完全に、バンザイがはじまったのは90年代に入ってからだ。やっぱり、つい最近のことなのだ。

もちろん、変化は水面下でちゃくちゃくと進み、それがある時現象として現れるわけだけど、その現象が現れてからの見える景色は加速的だ。

街を見ながら、そんな衰退の加速を止めるにはどうしたらいいのだろう?なんてことを考える。
実は、この件については、それなりの答えは出ているわけだけど、その答えに100%納得はしていない(というか、することができない)ので、こういう景色を見ると考えてしまうのだろう。

それにしても、世の中の衰退の早さの恐ろしさよ!である。
私たちの人生は短いが、繁栄なんてもっと短いのだ。
なんだかんだと言いながら、私は10年以上、可もなく不可もなく(しかし、その”可もなく不可もなく”が世間一般常識よりも恵まれすぎていることを考えるとありがたすぎることだったりするけれど・・)過ごしている。そりゃ、おそらく凄いことなのだ。
その形容には、”踏ん張る”という言葉が、一番相応しいだろう。それと、司馬遼太郎が言うところの鎌倉武士の気分の拝借もできるかもしれない。

さて、今日も踏ん張って、今年も踏ん張って、残りの全部を踏ん張りますか・・。

【TAROの日記】

2012/03/27(火) 02:01

異世界

今、新潟市から帰還。

昔の職場の同期が50歳になって退職を決意(?)
お別れ会を周辺4期くらいまでの後輩たち行うというので、乱入することにした。

でぇ、仕事を終えて、強い雪が降る中を高速を突っ走り飲み会に途中乱入する。
乱入したのはいいが、誰が誰だかわからない。
むこうは、「おかもとさーーーん!」って言っているけど、『釣りバカ日誌』に出てくるような課長然とした風貌のおじさん達の集団が異様に見えた。
おじさん達は、おじさん達で、わけのわからんカッコをした50才親父に違和感を覚えたと思う。
それぞれの異世界同士の遭遇である。

しかし、サラリーマンをこんなに束で見たのは、18年ぶりだと思う。
彼らの慣習的な飲み方や会話に付き合うというのは、新鮮だった。
自分も昔はそれをやっていたのかもしれないが、もはや過去過ぎて覚えていない。

それにしても、飲み会の景色は、本当に本当に異世界だった。
なにもかもが違う。そして、自分が辞めた必然性も感じた。
さらに、彼らが一つの組織の環境の中で、最適化していく不条理も感じた。
私は、彼らが若かった頃しか知らない。
それは良いところもあれば悪いところもあったかと思うけど、彼らのオリジナルだったことだろう。
そして、そのオリジナルは今も身体のどこかで機能はしていると思うし、そういう面も感じた。
でもね、基本的に自由にやっている奴とは何かが違うのだ。
世界から見れば、部分最適。しかし、彼らから見れば、全体最適。
これは一つの賭けだ。
この最適化が死ぬまでうまく機能するかどうか・・という賭けだろう。
それも、本人達はそれがわからない。

もちろん、私も同様だ。
彼らよりも動的な世界で生きている私だって、やはり、環境に最適化している。
ただ、私にはその自覚がある。
この違いは、実は、かなり大きいと思うのだ。

・・と言いながらも、私が普段接することのない慣習と会話を鏡にしながら、私を見る・・というのは面白い。
自分の客観化という点で最高の方法だろう。
それも、100%気を使う場でもない。それどころか、みなさまが気を使ってくれて、私はいつものマイペース。これは感謝しなくてはならない。

終わってから、退職する同期の家に乱入。
久しぶりに午前1時まで飲む。
そこでは、20代の頃の大バカなことを、そのまんま50代版でやっているような雰囲気になっていた。おそらく、この人たちとは、、あの一瞬の20代の頃のノリを、その時々のできる範囲で反復していくのだと思う。そして、それはそれでアリだろう。

真面目な会話はほぼなし。
互いに、背景の差はよーーくわかる。
だから、そこに踏み込む必要はない。
みんながみんなそれぞれに生きている・・。

【TAROの日記】

2012/03/26(月) 08:37

上から雪が降ってくるので腹が立った

朝から雪である。
「まだ、降るのか・・・」と怒りがこみあげてくる。
好きで雪国に住んでおきながら、勝手である。

今年は、雪国の花は遅そうだ。
今の状況では、春なんか一生来ない感じがしてしまう。

でも、それでも春は来る。

四季というのは予測が可能だから、なんでもないように思えちゃうけど、「それでも春が来る」ということがわかっているというのは凄いことだ。

世の中は無常で、常に流転していて・・・ということがわかっているわけだけど、私たちは通常四季と同じような予測ができないで藻掻き苦しむ。
そして、それについて考えても仕方がない。
冬の真っ最中の人に、「それでも春が来る」なんて言葉は無意味だ。
私なんて、今日の雪ごときにも怒りが出るくらいなのだ。

人類は、こうした状況に対して、対応策を考えた。

“最悪”を考える。

これが人類の考えた対応策だ。
しかし、この対応策には、コストがかかる。
だから、人類は、”折り合い”ということを考えざるを得なかった。
そして、目の前の”折り合い”と”最悪”という心の準備のセットで暮らすことを覚えた。

しかし、人は勝手である。
“最悪”という心の準備は、春や夏が続くと忘れてしまう。
好きで雪国に住んでおきながら、勝手な私は人類の一般的な親父なのだ。

そして、この勝手な人類は、バカなことを考える。
“折り合い”に対するコストや我慢さえも忘れてしまうのだ。
そして、矛盾したことを平気で言い出す。

財政難はイヤ。消費税増税もイヤ。

こうした発想が大手をふるう。
そして、「だって、まず財政再建でしょ」と最もらしいことを言う。

ヒトラーはこういう人の気分を利用して政権を取った。
今なら、「財政再建!!減税!!」とか「原発全廃!!電気料値下げ!!」とか「年金支給増、掛け金削減!!」と言うんだろうな。
そういえば、似たような感じのことはすでに民主党がマニフェストに書いたな。
そして、みんなが民主党に投票した。
「アホか!」という私の態度に、「それでは政治は変わらないじゃないか!」と言う人もいた。
それでも、民主党はマシだった。
矛盾した政策は無理・・ということを世間にさらした。
ヒトラーのように強引に戦争による解決は図らなかった(図れなかった)。

しかし、「無理」をさらしておきながら、なんなんだろうね・・。
今でも続ける大衆迎合の態度は・・。
プラトンが見たら笑うな。
あ、笑う前に一言言うか。「もう運命は決まっている」と・・。

【TAROの日記】

2012/03/23(金) 08:45

またまた・・・、長い出張だった

・・・・そういうわけで、ブログもお久しぶりでした。
今年に入ってからは、こんな感じが続いているなーぁといろいろ考えてしまいます。

今回の出張では、一日だけ時間が空いてしまったので、ギターを持ってフラフラと観光地のホテルに泊まってきました。
風呂に入るのと、メシを食う時以外は、暇なので、ずーっと弾いて遊んでました。
よく考えると、東京のマンションで一日時間をムダにしているのと変わらないわけですが、まーいいでしょう。人生はそんなものです。
でぇ、3月は、ほとんど家にいませんでしたが、まーいいでしょう。それもそんなものです。

出張中、ヴェンダースの新作『ピナ』を見ました。
ピナ・バウシュに捧げた3Dの映画です。
私が彼女を知ったのは、フェリーニの『そして船は行く』が最初だったと思いますが、それはそれは印象に残るものでした。
ヴェンダースが描いたピナの生き方(表現)というのは、「業の肯定」ということでしょう。立川談志と同じなのです。

トリアーは『メランコリア』で、人の業に惑星をぶつけて木っ端微塵にしましたが、談志やピナは、それを肯定するところからはじめ表現の中に畳み込んでいきました。

惑星をぶつけてまで、木っ端微塵にしようと思うトリアーの気持ちはよくわかります。
私も、ある面で、人の業を憎む者の一人です。
でも、業の存在そのものをあえて隠そうとする社会のあり方にも違和感を持ちますから(みんなそうでしょうね)、「業の肯定」という命題はとても魅力を感じます。

そして、そんな気分の延長で思うことは、理想なんて幻想だということと、そんな幻想に振り回されるかい!!という軽い決意です。

だから、「何やってるんだろー、オレ」というのは嫌いじゃない。むしろ、そのマヌケ度が好きです。それが「人生はそんなものだ」ということなのだとも思います。

【TAROの日記】

2012/03/09(金) 08:27

社会におけるPILは何?

Google+で、勝手にフジロック出場者を誰にするかで盛り上がっている(相手する人は若干数名)。

すでに、レディオヘッドを筆頭に、スペシャルズ、ジェームズ・ブレイクなど、好きな者にはたまらない第一弾の発表があった。

しかし、レジェンドと最近表現されている古参ミュージシャンの発表はまだ。
そこで勝手なことを言い放っている。
2012年を眺めてみると、音楽の世界は大変充実したところにあると思う。
あの不毛の80年代がウソのようだ。
そして、90年代だってリハビリだったのではないだろうか?
だから、フジロックははじまるべき時にはじまったイベントだと思う。
それも、日本でのWOMADの撤退の後に必然的に生まれたイベントだと思う。
WOMADではマーケットが小さすぎたけれど、オルタナという枠組みに変えたら、市場がとても大きかったのだ。
そして、周縁を巻き込み、本体が周縁になっていった。
これは未来なんだろうな。

最早、オルタナという言葉さえ古くなりそうな、でも、オルタナって本質的にいつでもオルタナだから、形式美に入らなければ永遠だ。
今の音楽が面白いのはそこにあって、今の社会がつまらないのもそこにあるのだと思う。
社会は、PILやソニックユースなどの衝撃に驚きながら、それを受け入れなくてはならない。
では、社会におけるPILは何だろうか?
ちょっと目を広げれば、そんなものばかりのはずだ。
そして、そんな目で見ると、ITなんて、くだらない80年代だ。音楽がわからない人はボディコンをイメージすればよい(言い過ぎか?)

【TAROの日記】

2012/03/08(木) 08:36

安定の上

長女が帰郷中だった。今日帰る。
そこで、昨夜4人で酒盛りをする。
長男は修学旅行で不在。
最近は、5人が揃うことが珍しくなってきた。

その酒盛りの場には、なぜかギターが2台に、ベースが一台。
必然的に酔っぱらうと手が伸びる。
次女が弾き出すので(次女は酔っていない)、その指の動きを見ながら勝手に合わせると、「後ろから合わさないで・・」などと怒られるので、テレビのパフュームと合わせて遊ぶ。トータス松本とも合わせて遊ぶ。そんなことをしていると、次女はテレビゲームをはじめ、妻は酔っぱらっていろいろ怒っている。それを長女が「うるさい!」と言っている。

このどこか壊れちゃっている光景は、昨年の正月にスタッフがみんなで押し寄せた時と似ている。
みんなが酔っぱらって勝手に勝手なことをする。その秩序の無さが悪くなかった。
それが、家族4人しかないな場で起きた。
ただ、みんなが勝手なだけなのだけど、妙に落ち着く。
自分の家だから当たり前だけど、この光景に人間の本質的なものを感じる。

人は、安定感の上では、妙に活動的なのだ。

逆を言えば、秩序とは不安定の上に成り立つものなのだろう。
そして、人それぞれの安定感の差が秩序に対する反応を生む。
私が秩序を嫌うのはそのせいだ。
そして、うちの子供も必然的にそうなるんだろうな・・。

【TAROの日記】

2012/03/07(水) 09:30

春の新潟は好き

やっと春。
雪解けの気分がよい。
これも雪国だけの特権。
それにしても、今年は雪解けの景色を見てるだけで、冬の苦労が反芻される。それにしてもひどかった・・。

また来週から長い出張だけど、春の新潟でゆっくりしない手はない。あまりにももったいないと思う。たまには山菜採りにも行きたくなってきた。
だけど、3月の新潟は後数日しか経験できない。これは大事なリソースを無駄にしていることに等しいな・・。

足下のリソースこそが大事なのはわかっている。しかし、どうも無駄になっている。
どうも、動かないことの方に大きな価値がある年齢と時代になったようだと再確認中・・。

【TAROの日記】

2012/03/06(火) 08:36

朝ドラ

出張中にNHKの朝ドラにはまった。
今回の長期主張でも毎日見た。
ただ、新潟にいる時は8時に家を出るので見れない。
それで、帰ってきた今日から朝ドラを諦めていたら、車の中で見れるのに気づいた。便利な時代になったものだ。

本日の朝ドラは、開始からいつものボトルネックのBGM。
林檎のテーマ曲は、そろそろ飽きているが、このBGMが良い。

考えてみれば、ヴィム・ベーンダースがライ・クーダを起用して、印象的な映像を作ってから約30年。今では朝ドラのBGMである。

・・・ということを考えていたら、昨日の娘達との会話を思い出した。
今回の東京事変の解散ライブで、私がギターのリフがとても気に入った曲があった。
1-5-3と下がっていって、そこから半音下がって、1-4ー♭3と展開し、5に戻って、3-1-3を繰り返すフレーズ。これが気持ち良いのだ。CDでは、それほど印象的ではないフレーズが、ライブでは音が前に出てとても気持ちよかった。

そこで、家に帰ってから、ギターでそのフレーズを遊んだ。
そして、帰郷している長女に、「このフレーズ、いいよなー」と同意を求めたところ、「何それ?」と言われた。彼女はベーシストだからだな・・と納得して、ギター弾きの次女に聞かせても、同じ反応だったのだった・・。
ライブで感動していた彼女たちは、私が胸キュンしたフレーズをまったくキャッチしていないのだった(ショック!!)

だから、朝ドラのボトルネックなんて、おそらく大半が気にしていないのだな・・と思った。
あと一ヶ月すると、毎朝のボトルネックが聞けなくなるのは残念だ。
当分、デレク・トラックスでも聞いてリハビリになるのかな?と考えている。

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