日: 2012年3月27日
【TAROの日記】

2012/03/27(火) 02:01

異世界

今、新潟市から帰還。

昔の職場の同期が50歳になって退職を決意(?)
お別れ会を周辺4期くらいまでの後輩たち行うというので、乱入することにした。

でぇ、仕事を終えて、強い雪が降る中を高速を突っ走り飲み会に途中乱入する。
乱入したのはいいが、誰が誰だかわからない。
むこうは、「おかもとさーーーん!」って言っているけど、『釣りバカ日誌』に出てくるような課長然とした風貌のおじさん達の集団が異様に見えた。
おじさん達は、おじさん達で、わけのわからんカッコをした50才親父に違和感を覚えたと思う。
それぞれの異世界同士の遭遇である。

しかし、サラリーマンをこんなに束で見たのは、18年ぶりだと思う。
彼らの慣習的な飲み方や会話に付き合うというのは、新鮮だった。
自分も昔はそれをやっていたのかもしれないが、もはや過去過ぎて覚えていない。

それにしても、飲み会の景色は、本当に本当に異世界だった。
なにもかもが違う。そして、自分が辞めた必然性も感じた。
さらに、彼らが一つの組織の環境の中で、最適化していく不条理も感じた。
私は、彼らが若かった頃しか知らない。
それは良いところもあれば悪いところもあったかと思うけど、彼らのオリジナルだったことだろう。
そして、そのオリジナルは今も身体のどこかで機能はしていると思うし、そういう面も感じた。
でもね、基本的に自由にやっている奴とは何かが違うのだ。
世界から見れば、部分最適。しかし、彼らから見れば、全体最適。
これは一つの賭けだ。
この最適化が死ぬまでうまく機能するかどうか・・という賭けだろう。
それも、本人達はそれがわからない。

もちろん、私も同様だ。
彼らよりも動的な世界で生きている私だって、やはり、環境に最適化している。
ただ、私にはその自覚がある。
この違いは、実は、かなり大きいと思うのだ。

・・と言いながらも、私が普段接することのない慣習と会話を鏡にしながら、私を見る・・というのは面白い。
自分の客観化という点で最高の方法だろう。
それも、100%気を使う場でもない。それどころか、みなさまが気を使ってくれて、私はいつものマイペース。これは感謝しなくてはならない。

終わってから、退職する同期の家に乱入。
久しぶりに午前1時まで飲む。
そこでは、20代の頃の大バカなことを、そのまんま50代版でやっているような雰囲気になっていた。おそらく、この人たちとは、、あの一瞬の20代の頃のノリを、その時々のできる範囲で反復していくのだと思う。そして、それはそれでアリだろう。

真面目な会話はほぼなし。
互いに、背景の差はよーーくわかる。
だから、そこに踏み込む必要はない。
みんながみんなそれぞれに生きている・・。

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