月: 2008年1月
【TAROの日記】

2008/01/17(木) 05:51

養老さんのインタビュー3

養老さんがインタビューでお話になっていた。「田舎にいると眠っていた感覚がよみがえる」という話について考えてみましょう。

田舎にいると何が蘇るんでしょうかね?

私は田舎側の人間なので、何が蘇るかについてはよくわかりません(火曜日にも書いたように、差については気づいていますけどね・・)。

ただ朝や休日に田んぼの畦道を山を眺めながら歩いていると入ってくる微細なエネルギーのパワーにはいつも驚いています。
もしかしたら、アレが蘇るものかもしれません。
アレは、ただ登山に行ったりアウトドアをして得られるものとは少々違いますから・・。

それと、何とも言えない「どうにもならなさ」。
アレも都会ではあまりありません。何せ便利ですから・・。

田舎もセブンイレブンができたりして、不便さは減っていますが、それでも「どうにもならなさ」は多く残ります。
正月なんて、雪堀りからはじまって、午後は夫婦で雪囲い。否が応でもムダな仕事をしなければやっていけません。そして、そういうものはたくさんあります。

雪や雑草を楽しめるのは外の人だけ。当事者には災難以外の何ものでもありません。
そういうことや、人間関係の閉塞性から、多くの人が出て行った。それが田舎です。

でも、その「どうにもならなさ」って非常に必要なものなんだとよく思います。
人は飛んではいけないんだと思うのです。
非常に無責任な自己実現賛歌の中には、都合のよいことを前提としたポジティブシンキングがあるでしょう?
その弱さって見えますよね。

養老さんが蘇ると行ったものの中には、そんなことも含まれそうです。
幸田露伴が言うところの「惜福」みたいな感覚でしょうかね・・。

【TAROの日記】

2008/01/16(水) 05:28

養老さんのインタビュー2

今週もワン・テーマでいろいろ書いていきましょう。
あまりこれをやりすぎると、ブログっぽくなくなるので控えめに、でもテーマ選びが楽なのでそれなりにやっていきます。

昨日紹介した養老さんのインタビューでの「参勤交代」という言葉は、実行している当時者として新鮮でした。
年の半分くらいを東京などで過ごすことの罪悪感のようなものがあったのですが吹っ飛びましたね。

それと、地元でどっぷりの方々との間で起こる思考ギャップはいつも避けられないことのですが、「参勤交代」という言葉のおかげで、島津斉彬みたいな気分になることができました。

別に東京に行くことが開明的とは思いません。
むしろ、次の動きの種は地方にある。これは間違いないことです。
でも、善し悪しを抜きに思考ギャップは避けられませんから、少しイメージを変えられるというのはありがたいことです。

もしかしたら、「参勤交代」って悲惨なものではなかったようですね。昔の大名もきっと楽しんでいたんでしょう。斉彬のおじいさん重豪なんか相当楽しんでいたんじゃないかな?

しかし、そうした流動化が一般的になったときに、村の機能ってどうやって守るのでしょうか?
村の機能は、水の管理からはじまり、共同的な作業があって初めて成り立ちます。

だから、私のような人間は、家にいる家族と村の方々の下支えがあって初めて両方の生活が可能になっているわけです。
都会から村に入ってカンタンに過ごせるほど実は世の中甘くない。これも事実ですよね。

【TAROの日記】

2008/01/15(火) 05:08

養老さんのインタビュー1

『日経新聞』1月7日に養老孟司さんのインタビューが掲載されていました。

ー サラリーマンも田舎に暮らして、参勤交代しましょう ー

・・・・・みたいなお話。

サラリーマンも田舎暮らしと都会での会社勤めを交互に行う。そうやって生活した方が五感が刺激されていいよ!というお話です。

なんてことない。私は、この参勤交代人生をもう15年くらい続けています。
田舎暮らし大好きで、山を見ながらぼーっとしていますが、それだけでは死んでしまいます。
都会の刺激もやっぱり必要。コンサートや演劇だって見たいし・・・。

ただし、交通費は凄いです。一年で何百万円使っていることか・・。
決算の時に、数字を見るとクラクラしますね。
それに15年も続けているから、もう数千万円は使っています。
もちろん、都内にマンションは楽勝で買えていますね。

でも、都会に住みたいかと言えば、絶対に嫌です。
私のような人間は、東京で一ヶ月連続暮らすことになったら、呼吸困難で死んでしまうのは間違いありません。

養老さんは、田舎で暮らすと眠っていた感覚がよみがえると言っていますが、田舎側の人間に言わせますと、それが失われる恐怖というがあるわけですね。

都会の方々の全てを知っているわけではありませんが、都会の方々がそれを失っていることには、田舎側は気づいています。
これは、口ではうまく言えないんですが、もう致命的に思えます(田舎側の人間から見ると・・)。
致命的というのは、本質的にわかりあえるのは難しい・・という点で致命的だなーと思うんです(つまり、言葉にはできないんですね)。

でも、都会は大好き。
そして、時々疲れますが参勤交代はいいです。これは日本が狭くなったことで可能になったライフスタイルです。
そろそろ、日本の中だけではなく、世界を使ってで行うべきライフスタイルなんでしょうね。

インタビューだけを見ると、養老さんの意見は理想論のように見えますが、今の日本では可能になっているんです。
きっと、発想の問題だけですね。

【TAROの日記】

2008/01/11(金) 05:57

わからないことは考えてはいけない

・・・というのが結論でしょうか?

朝から、「時間」なんてことを考えて失敗したと思っています。
&このことを考えるには、相当コアなボキャブラリーが必要になるのは見えていて、結局、私なんぞには考えられない問題なんだと思います。

しかし、「時間はない」(=時間の相対化)は、自分の相対化にもつながるので、生きる手段として有効かもしれません。

私たちが、壁にぶち当たる原因の一つには、自らを相対化できないところにあります。
時々、非常に優秀な人が、「あらー、足つこんじゃってるよー、この人ー」って感じるような言動を取っているときがありますが、いつも自らを相対化できれば、そういう墓穴は掘らなくてすむわけです。

そういう点で、過去の自分と今の自分を分離して考えることができたら、トラウマだとか苦手意識だとか好き嫌いとか、みんな吹っ飛んでいきますからね。
こんなことを書いているのは、今、『荘子』を読んでいるからかもしれませんが、老荘思想ってのは、結局そういうものなんだな・・と思います。

「あれは、あれ」「これは、これ」という感覚。
これが時間の相対化の身体化なんだろうな・・。

突然、「時間はない」なんて話からはじめてきましたが、まぁーそういうことなんだと思います。

未来が向こうからやってくる感覚も同様。
未来から意味を置く・・という人間の機能が全開になった現象なんでしょうね。
あれも、「あれは、あれ」「これは、これ」ですね。

短文のため、強引な結論のもって行き方でありますが、そんなことで・・。

【TAROの日記】

2008/01/10(木) 05:56

時間という観念4

新年から「時間」なんてテーマにしてしまい、めんどーな迷宮にはまりこんでしましました。後悔をしています。

・・・が、いつもこうやって後悔しながら続けるのが私のクセなので続けます。
考えてみると、仕事のほとんども後悔しながら続けてるよな~。

今日は、昨日の『仮面ライダー』話の続きにしようかと思ったけれど、ちょっと息切れ(おいおい、結局、毎日、ノラリクラリと別のこと書いてないかい?)。

ただし、『仮面ライダー』話の続きは、もう少し表現をやわらくくして(できるの?)、『週間 岡本吏觔』の方ででも書きます。
あっちは、この手の話に興味を示してくれそうな方の存在を確認しているので、もう少し突っ込んで書けそうですから・・・。

でぇ、ブログは、軽くいかないといけません。
チョークの落書きが、哲学になると変でしょ。同じように、ちょっと変なことを3日間も書いてしまったと思います。
よく考えてみると、ブログってトイレの落書きに近い方がいいじゃないかなーなどと4日目にして思うのでした(今更なにを言ってる!)。

トイレの落書きって、名作が多かったですよね。
今は、見ることが少なくなったのが残念です。

人は、公衆のトイレでさえ、表現媒体に変えてしまう。生まれながらの表現動物なんですねー。
そして、『週刊 岡本吏觔』で書くと言った「仮面ライダー」のもう一つの布石もそこにあります。

自分が記憶することと人が記憶することの優先順位。「仮面ライダー電王」はここら辺を物語の中でうまく描いたと思います。そして、そこが一番のテーマだったのかな?(きっとそうでしょう・・。まだ終わっていないからわかんないけど)

さて、後悔しながら、後一回、このテーマを続けます。

【TAROの日記】

2008/01/09(水) 05:27

時間という観念3

とりあえず、時間をあると考えて・・・。←別にフツーか?

その時間のことを考えていたら形而上学に至り。
「つまり、時間こそがあなた!」なんて言い放っておく手を思いついていたけれど、これはそれほどカンタンではない・・・・ということで、違う話にはぐらかしたのが前回。
でぇ、そのままはぐらかし続けます。

『仮面ライダー電王』は、興味深いお話。
テーマは、「時間」。
実は、今回の仮面ライダーは3クール目に入った頃からとても興味深い要素をちりばめ始めた(一つ一つはあんまり記憶にないけど・・)。

問題は、これを最終回までに整理しきれるかだけど、基本的にお子様番組だから無理でしょうね(でも、面白いですよ!)
新年に入っての一回目は「時間=記憶」と収斂させようとしているようなので、ここら辺で納めちゃうんだと思われる。

でも、「時間は記憶なんだよ」と言い放たれるのは入り口としては悪くない。
仮面ライダーに出てくるイマジンという怪物たちには、記憶はなかった。
それが主人公と出会うことで記憶に出会い、時間を得る。

彼らは、元々、人間のトラウマを道具に時間を自由に移動する生き物。
移動の道具は、トラウマという記憶なのだ(ここら辺、話の軸が破綻せずに番組が進んでいて感心感心)。

出来事というものはバラバラにしか存在していないのだけど、記憶によって出来事が整列させられていて、記憶によってラベリングされている。
イマジンは、そのバラバラの出来事(それはすべて並列のもの)を記憶をたどって移動する。
その移動生物には、当然、時間は相対的なものでしかなく、その相対性をもて遊ぶ。

ところが、主人公と出会ったイマジン4匹は、非常に微妙な存在となる。自分自身が記憶を持ってしまうのだ。現在、放映分では1匹が消えてしまい(つまり時間を失い)、3匹は消えそうな状況である。そして、お別れは近い。この後、放映中の出来事は主人公の記憶からなくなるのかな?

もし、自分の記憶がなくなったら、確かに時間はなくなる。
しかし、それで時間が相対的なものだ・・とも言えない。
絶対的な流れから自分だけが脱落した・・と考える方が普通でしょう。

だから、時間=記憶というのはどうもねー。

ところが仮面ライダーにはもう一つの布石がある・・。

【TAROの日記】

2008/01/08(火) 05:16

時間という観念2

さて、時間問題に踏み込むと、形而上学のスタートラインに立つ気がする・・という気づきは実に良い気づきじゃないか!と一人ほくそえんで昨日はやめにしてみた(だって、気楽に書きだした話が、難しいほうに行っちゃって困ちゃたんだもん・・)。

でぇ、エライ話になってきてしまったんで、話を変える(おいおい!)

「未来は向こうからやってくる」というのは、私周辺ではずいぶん当たり前の話。
当社の「無意識セミナー」にご参加いただいた方々の中にも、体験者はけっこういる。

私たちの一つの経験には、時間は未来からやってくる・・というのがあるわけ。
つまり、何も時間は過去から未来に流れているわけではない・・・と感じるときがあるのだ。

調子の良いときは、未来からこの身が引っ張られるという体験もする。
あの体験は時間が一方的に流れていると考えたら理解できない体験だけど、時間は一方的に流れちゃいないと我に返ってしまうと当たり前の経験になる。

この話が「時間がない」という話と関係があるかというとないけれど、とりあえず私たちの一つの常識に風穴を開ける体験ではある。
そして、どうもまったく別の軸がどこかにある。または、そもそも軸なんてない。という思考の入り口を作る。

これはもしかして「軸」の問題?

んー、そうかもしれない。

とりあえず、さらに話を複雑にして収集つかなくなりそうなので、今日は逃げる・・。

【TAROの日記】

2008/01/07(月) 05:47

時間という観念1

素人にはわかりかねることだけど、物理学の世界では「時間はない」ということになっている。

時々、「そうだよなー」と思える時もある。
でも、よくわからない。

それどころか、正月三日間をあいかわらず無駄に過ごした身としては、「時間」は実感することはあっても、ないとは思えない。

色の問題はわかりやすい。
色はない。
あるのは周波数。
しかし、人は周波数から色を感じる。

実は私たちの世界はカラフルではないけれど、カラフルに感じるのだ。
つまり、色というのは情報。
プログラムで色指定を「fffthj078」なんてやるのと同じ。

しかし、時間については、そこまで飛躍しては考えられない。
だって、今の自分と過去の自分の継続性に踏み込むことになりそうだから。そういう思考をするには大きなジャンプが必要で、なかなか身体が言うことを聞かない。

いずれにしても、この問題は形而上学のスタートラインに立ってしまうことになるのでは?
「私って誰?」という月並みな質問に・・・・・・。

私って誰?
自分って何?

そして、「自分」という思惑ありげな記号の先に得体の知れないものを感じる。

【TAROの日記】

2008/01/04(金) 05:06

最近は、「あけ・おめ」と言うようで・・

さて、2008年になりました。
自堕落の三が日が終わり、また仕事モードの日々です。

昨年同様、三が日の午前中は、『メジャー』を見るので終わってしまい、なんだか時間を取られた気分ですが、これで『メジャー』の3シーズンがつながって、訳わかんない部分がなくなったのはなにより。これで息子の解説がいらなくなりました。

しかし、2年連続で大事な自堕落の時間の三分の一ほどををアニメを見て過ごすというのは、どうも気に入りません(見ておいて、何を言ってるか!)。

そういえば、かまくらも作らされたので、肉体労働までしてしまいました。

結局、そうした景色もあいかわらず・・。
何の進歩もない様を見せ付けられた三日間でったみたいですねー。
『セカンドライフ』で行った「年末放談」のセミナーで、偉そうなことを言ったのが少々後悔であります。

まぁ、また地球が一周して、地球ちゃんの動きに付き合ったってことにしておきましょう・・。
今年もよろしくお願いします。

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