【TAROの日記】
2016/12/09(金) 08:35
12日
なんとなく、のんびりと、やめそうになりながらも、『ポケモンGO』が続いている。
コンプリート癖が強いので、こういうのはハマる質ではあるけれど、一生懸命はやっていない。
それでも、止めようかと思うと、アメリカでケンタウロスをゲットとか、コイキングが集まりだして、ギャラドスをゲット・・とか、軍艦島でライチュウをゲット・・というような少し興奮することが時々あって今日まで続いている。
目標は時々変わる。
最近は、瀕死の重傷を負うポケモンたちを直したくてクスリのゲットが優先(田舎では、それも簡単に手に入らない上に、こっちが欲しいと思うと玉ばかりが手に入る)。
その前はハイパーボールを200個以上所持すること(アホでしょ。今260個所有)。
その前は・・・という感じで、あまり、ポケモンそのものを集めようとしていない。
そんなノラリクラリをしていたら、12日に新しいポケモンが投入されるという。
まだ、149匹中114匹しか捕まえていないのに・・・・。
ここんところ、田舎でもやたらとポケモンがゲットしやすくなったので、予想はしていたけど、早々に来てしまった感じ。
これにて溺れて、脱落・・・となる可能性は高い。
娘達なんてとっくにやめてるし、続けているこっちの方がおかしいのだ。
とりあえずは、コインを500手に入れるまでは続けると思う。
しあわせタマゴのセットを手に入れたいのだ。
あれ?
そんなもの手に入れたら、さらに続けちゃうじゃないかよ・・。
【TAROの日記】
2016/12/07(水) 08:33
お願い to young people
『君の名は』が凄いことになっている。
私は封切り三日目くらいに見たので映画館は空いていたけれど、今は混んでいるのだろう。
新海誠の処女作から見ている者にとって、今回の作品はとても期待したし、期待通りだったけど、「あのなー」ってところもある微妙な作品。だけど、ヒットするのはメデタイことだ。
特に映画館に若者が戻ってきたのがうれしい。
『シンゴジラ』『君の名は』以後、映画館の若者率は飛躍的に高くなっている。
さらに、アニメの良作が続く。
例えば、『聲の形』
原作を読んでいた次女は、「原作読んでると、アニメはどうも」などと言っていたが、アレはどう見ても原作を超えている。
さらに、『君の名は』が鈍感すぎる音に関して、とても敏感な作品だ(聲だから当然か・・)。
途中のバッハの使い方に喜んだんだけど、このアニメは、『マイジェネレーション』ではじまっている。いいセンスだと思う。
でぇ、若者たちは、そういうアニメだけではなく、いろんな映画に大量に出没している。私は何が起きているのかと少し戸惑っている。
しかし、恵比寿ガーデンシネマで『男と女』を見た時は笑った。
いつもどおりの景色。老人たちの憩いの場となっていた。
まー、そんなものね・・。
でも、これをきっかけに、良質な作品が若者たちをだまくらかして、もっと奥深い世界に誘い、老人だらけの『岩波ホール』を昔のように若者で溢れさせられたらなーと思う。
最近は、老人しか見ていないから、歴史に残るような良作が散見しているのに話題にもならない。これはあまりにももったいない。これから何度もリバイバルしたっていいものもあるのだから、若者たちよ発見してくれー。お願いだー
【TAROの日記】
2016/12/06(火) 08:37
蕎麦
休日に、長野の蕎麦屋に入った。
東京で旨いとされる蕎麦屋のものと似たようなものだったが、コシが強くて好印象だった。
ツユも悪くなかった。
特に、ツユは長野の蕎麦と考えると、かなり良いかもしれない。
長野ではあまり旨い蕎麦は食えない・・というのが私の経験。
おそらく、地元の人は旨い蕎麦を食していると思うが、旅の者はありつけない。
長野の観光地の蕎麦もレベルが上って良いものもあるが全体の印象はかなり悪い。
「信州そば」とか「信州味噌」とか、長野県人はネーミングで全部持って行っちゃうのがお得意・・という印象がある。
そして、そんな印象からか、ちょっと旨いレベルでは喜ぶ気はないし、私自身は結構旨い蕎麦を食べてきたのでなおさらだ。
だから、休日に食べた長野の蕎麦は私の中では絶賛に近い。
その長野と新潟の県境で採れる最高のそば粉で作った素晴らしい蕎麦がある。
ちなみに、店では食べられない。
この蕎麦を毎年手に入れて食べるのは、私の幸せの一つになっている。
秋のうちに山で取ってきたクルミの出汁で作ったツユにとても合う(長野に行くと、クルミ出汁を味噌で味付けた甘いものが出るが、あれは、私はダメである。あれとはまったく別物)。
その最高の蕎麦を、今年から作らないと連絡が入った。
高齢のため、やめることにしたそうだ。
「今年のはじめに食べた蕎麦が最後だったのか・・」と天を仰いだ。
同時に、近くに代わるものがないか探した。
一応あったので、試してみることにしたが、どうなることやら・・・・・。
また旨い蕎麦がなくなった。
これにて絶滅。
今まで食べてきた極上の蕎麦の一つ一つを思い出す。
山鳥で出汁を取った強いツユでないと合わない強烈な蕎麦から、喉越しだけで勝負の蕎麦までいろいろあったなー。
今度、いつ最高の蕎麦に出会えるものか・・。
東京に、1軒好印象の店はある。
とりあえず、あそこが当分の繋のような気がする。
もう一つは、自分で打つという方法。
実は、20代は少し蕎麦を打っていた。
世の中に、自然薯蕎麦というのがあるが、私はアレを信じていない(少し入っているのか・・?)。
山で取ってきた自然薯で蕎麦を作ると、あんな感じではない。
久しく自然薯も掘っていない。
あれは見つけるのは簡単だけど、掘るのが大変なので、もう何年も避けている。
でも、旨いものを食べるには汗をかくしかないらしい。
最早、そういう時代なんだなーと思う。
【TAROの日記】
2016/12/05(月) 08:37
『特別セミナー』終わる
今年も終わった・・。
現在、疲れすぎて、何もやる気がしない。・・・けれど、仕事は鬼のようにたまっているのでやらねばならぬ。
今年の『特別セミナー』は少し趣向を変えて、1冊の本を作るつもりでやってみた。
実際には本には絶対にできない内容なれど、少し本のような構成を意識して組み立てをしてみた。
でぇ、終わってみると、本になるなーと思った。
もちろん、本にできるのは骨組みだけで、大事な内容ほど入れ込むことは不可能。だけど、一つのコンテンツになっちゃった感じである。世の中であふれるほど適当に語られている「あの件」について、体系的に落とし前もつけられたと思ってもいる。
参加したみなさまは上級者が多いので、こんなもの聞かないでも一応わかっていることだったとは思うけど、まとめにもなったし、死角にも気づたと思う。後は、毎日、意識していってもらえたらいいでしょう。
後は、本気度の差だもんね。
・・・・と気分は1年が終った感じ。でも、目の前は凄いことになっていて、すでに来年のこともかなり気になるし・・。
今週もいろいろ締切が多いな~。
こんなことしてないで、とにかくやるしかないね・・。
【TAROの日記】
2016/11/29(火) 08:37
ミシュラン2つ星に怒る!!
昔、「旨いものを食う会」というのをやっていた。
二ヶ月に一度ほど、旨い店でバカ話をして食す。楽しい会だった。
この会は、『Dファクトリー』がはじまった頃、自然消滅をする。
旨いものを食うことが、『Dファクトリー』の懇親会で行われるようになったためだ。
しかし、『Dファクトリー』は5チーム+αをかかえ、毎月やっているのが2チーム。そんなにいつも旨いものを食っていられないから、懇親会はだんだん普通になっていった。
そんなわけで、消滅してから7年。
そろそろ、またやろうか・・ということになって昨年あたりからチョロチョロやっていて、今年から定着の兆し。
そんな兆しの中で「贅沢してやろーぜ!」ということになって、麻布十番の二つ星和食へ行く。
結論。
サイテーだった。
食材はよいに決まっているから、なおさら腹が立った。
でぇ、まー、和食屋はどうでもいい。
がんばってやってください。
たとえ、私の美観と合わないにしても、その過剰さを好む人はいるでしょう。
噂によると、「業界人」という人たちの御用達らしい。
私たち、普通の人、ちゃんと家庭の味で舌のベースを作った人には無理ですが、あーいう過剰な人たち向きなのでしょう。
そして、私は過剰さをとても嫌う質なので、すいませんが縁がありません。
翌日、NHKに某有名フレンチのシェフが出ていた。
私は2回しか食べていないけど、この人の料理は好きだ。
引き算が絶妙。
微妙な塩加減は、興奮モノ。
つまらぬ創作を排除した潔さは、テレビに映る人柄にも出ているように思えた。
「適当」という言葉がジョークで使われていたけど、あれはジョークじゃないね。
ところで、腹が立つのはミシュランの調査員である。
これで裏切られること2回目。
おそらく、あいつらの舌はスーパーの惣菜で育ったのだと思う。
まー、そんな出自は、本人の責任ではない。
しかし、ああいう仕事につくのはどうなのか?
まー、人は皆自分が中心だ。
この文章を書いている私もそうで、自分の舌を中心に吠えている。
私の嫌う過剰こそが王道かもしれないし、それが「おいしい」の基準なのかもしれない。
・・・と書いても、そうは思えない。
あの時の料理、特に最後の名物料理は、食する者をバカにしているとしか思えなかった。
ただし、ミシュランってのは、JーPOPみたいなものなんだから、そういうことは言いっこなしよ!と言われたら納得である。
何も言うことはない。
でぇ、きっとそうなんだね。
文句を言って悪かった。
これ以上はかかわらないから安心してくれ!
【TAROの日記】
2016/11/11(金) 08:35
400mトラック
世間は、トランプがどうのこうのと騒いでいるが、私はそれどころではない。
もう目の前の仕事だけで手一杯。死にそうである・・。
・・・とこんなことはいつも言っているので、言い飽きていそうなものだが、毎度訪れるピンチは、いつでもどこでも新鮮である。
いやー、しかし、今回はかなりヤバかった。
さすがにどうなるかと思ったが、なんとか乗り越えて、後はここ数日の仕事のチェックをするだけになった。
明日から当分新潟には帰って来ない。
三週間くらい、あっちこっちを飛び歩く。ついでにバンドの練習もある。
そして、今年も終わりだ。
また、1周が終わる。
1年が400メートルトラックだと気づいたのはいつの頃だったか?
最初は一直線だったものが、どこかでトラックになった。
マラソンでは、コースを走り終えトラックを1周して終わるが、どうも人生では、0歳からはじまったコースは30歳くらいまでで終わって、そこからトラックに突入。そこを何周もするようになっているようだ。
私はそんなトラックを回り、あー、次の1周だ・・と思っている最中である。
子供の頃、1500mとか嫌いだった。400メートルトラックを4周とちょっと。これがスピードも距離もそれなりで一番嫌だった。
でも、私は、今までトラックを1500m走のように走ってきたと思う。
そして、案外、そんな速さでも何周もできるんだなーと感心していたりする。
欲は欲を呼ぶ。
一つの欲は、一つの努力を伴い、努力の成果は次の欲を呼ぶ。
1500m走にはそんものはないが、人生にはそれがあるから続いていく。
実は上がりはないのだと思う。
だから、欲望を持って死ねたら幸せなんだろう。「あっちにはなにがあるんだー?」って好奇心を持ちながら死ねたら最高なんじゃやないかなー。
【TAROの日記】
2016/11/10(木) 08:37
重なるハーちゃん
世の中がトランプ勝利でヒーヒー言っている。
ニュースで専門家は語る。素人も語る。
「あれ、トランプって、政治経験ゼロなんじゃないの?」
彼らの語りを聞いて私はそう思う。
外交の専門家という人が何を語ったって、意味はないはずである。
語るとしたら、トランプの知人とかトランプのことを記事にしたことがあるジャーナリストくらいしかないだろう。
素人はあいかわらずいけない。
「街に行ってインタビューしてこい」と命令するやつが一番悪いと思うが、テレビから素人の意見ってなくすことができないものだろうか?
そういうのも聞きたいと思う人には、ネットがある。そこには選挙時のトランプも怯むような意見がたくさん載っている。
でぇ、そういうのが民主主義なんだと私たちは今回教わった。
1933年も同様だったんだろうな。
さて、トランプ。
私は、なぜか彼がカニを食べて食中毒で死ぬと思っている。
どうも、頭のなかでハーちゃんと重なるのだ。
・・と言っても彼は、ハンサムではなく、どっちかって言うと悪党顔。
でも、ハーちゃんが重なる。
もちろん、歴史上の人物を生でみたわけではないけれど、私のハーちゃんは、あんな感じだ。
でぇ、次にキューちゃんとフーちゃんがくるのかなー?って思っている。
この幻想を取り払いたいのだが、当分、無理な感じがする。
【TAROの日記】
2016/11/07(月) 08:47
軍艦島で考えた
『ワイガヤ』で、軍艦島に行った。
1974年まで、これが稼働していた・・というのは驚きだ。
しかし、私が子供の頃の日本はそういうものだったのだと思う。
親戚のおじさんなどが勤めていた場所は、こういうものに近かったような感じがする。
案内人の解説では、ストの話がまったく出てこなかった。
しかし、2.1ストの頃には、この場所も荒れていた可能性はある。
ただ、生活全部を丸抱えのこういう場所でどんなことがあったかは、ちょっと想像ができない。
世界は、いろいろなものが支えないと成立しない。
それは今もそうだ。
しかし、最近は、過剰に人権が叫ばれて、世界の機能は低下している。
まー、どっちを選ぶかのお話で、世界の優先順位が変わったという理解でいいのだろうが、優先順位を考えないでリベラルなことだけを言いまくる人は多い。
・・・と、まーいろいろあって、時代の優先順位は、夢になった。
今日のNHKは、ニュースでは言ってはいけないような、夢を言っていたな・・。
もう、こんな程度のことはアリなのだろう。
そう言えば、オリンピックを軸にして、いろんな夢を語ったNHKの特番もあったなー。
夢の一部は実現するだろう。イーロン・マスクなんてインストールの一発でそれをやろうとしている。
でも、土は残り、汗も残る。それが現実だから。
そこを基準に考えると、イカサマの見分けもある程度できるのかもしれない・・。
【TAROの日記】
2016/10/28(金) 08:36
そういうわけで、香り
別に書くこともなくて、強引に「音」のことを書いて、
さらに、書くこともなかったので、「光」ってことにして書いてみたので、今日は「香」で書いてみるか・・である。
企業の香り戦術は、最近、ウザさも感じられるけれど、匂いは強力だ。
私だって、新車の香りは好きだし、シティホテルの香りも心が満ちた感じになる。
あれらが、人為的に振りまかれていることを知っていても、やっぱりいい。
ただし、最近、そういう戦術を取る企業の香りの傾向が似てきているのは気になる。ちょっと、ウザい。
アパレルとかは、使わない方がいいんじゃないだろうか?
香りさえ過剰になっている昨今ってことなのだな・・。
改めて、「香り」ということに視点を当てると、浮かぶのは子供時代の景色だ。
母の匂いは当然として、子供時代のシーンは匂いとともにカプセルに封印されているような感じがある。
カプセルの中の画面は仄かな香りと共にあるのだけど、その匂いは目の先にあるけど思い出せなくて不思議な感じだ。
最近は、汲み取りの車はほとんど見なくなったけれど、子供時代の香りの記憶は、アレが一番だったりする。
近くにSB食品の工場があって刺激臭がすごくて、工場の前を走って通ったものだ。
田舎に行くと、牛を飼っている家が多くて、牛の排出物の匂いも凄かった。
パン屋の工場の匂いとか良い香りの思い出もあるけど、嫌な香りの方が懐かしい。
でぇ、その思い出全体を包む香りがあるんだけど、それは母の香りと共にどこかへ行ってしまった。
死ぬ間際にもでも思い出すのだろう。
・・ってこで、香りって普段は意識はされないけれど、それぞれの人生にとって重要なものだと思う。
香水くらいはいいけれど、企業が洗脳的に香りを使うのは、掟破りだと思うんだよな・・。
【TAROの日記】
2016/10/27(木) 08:35
光
光が過剰になって、もう何年も経つ。
街の光が山奥にも侵入してきて、そのせいできれいな星空が見えなくなってからどれくらい経つだろうか?
都会の人たちは、昔の星空なんて知らないので、ちょっと山に入って、それなりの星空を見れば感動してくれるけど、あんなものは話にならないくらいにダメである。
そして、日本では、相当な山奥に入っても、昔の星空を見るのは不可能だ。
もしや、街の光がまったく入らない・・なんてところがあったら教えて欲しいけど、ないだろうなー。
飯豊山あたりでも、最早ダメなのではないだろうか?
視界は微妙だ。
我が家は田舎なので、それなりに星空が見えるけれど、見る場所で美しさはまったく違う。
たかが家の光でも、数メートルの違いで、美しさは段違いだ。
そして、我が家の畑の一番奥の所は、星がきれいに見えるポケットスポットになっている。
その特別な空間は、微妙な光の侵入加減の違いでできているようなのだ。
光を過剰にしたのは、私たちの欲求だ。
資本主義はそれに答え、さらに煽った。
なんでも、加減とか強弱というのが大事だけど、資本主義は加減を嫌う。
実は、商売では、加減と強弱はとても重要なファクターだけど、その総体である資本主義はそれを嫌う。
ここが私たちの住む世界の面白い塩梅で、この塩梅が勝敗を決めていると私は思っている。
光の侵入は、資本主義の総体同様に暴力的だが、我家の庭のように、その侵入が少し弱まる場所はある。
資本主義にもそういうところがあって、その場所を見つけると、ずいぶん面白いことになる。
そういうのをブルーオーシャンなどとセンスの悪い言葉で表現する者もいるけど、そういうものとはちょっと違う。
あーいう後付は韓国の学者に好きに喋らせておいて、私たちはそういう言葉を使わないというのがミソなのだ。
光は暴力的だけど、無限ではない。
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