【TAROの日記】
2008/04/07(月) 05:40
境界線(1)
「自分」という境界線。
この境界線が強固なものではないことを知ることが時々ある。
久しぶりに、そんな時期に突入したかも?(春だからか?)
「揺さぶり」は、時に大きく、時にジワジワとやってくる。
そういえば、『仮面ライダー龍騎』の鏡の国では、仮面ライダーのベルトがないと体が泡になってしまったけれど、あんな感じだな。
「あなたは誰?」「私は誰?」
という問いは、こうした境界線の危うさから生じるのだろう。
これは、きっと「自分」の液状化現象なんだろう。
次のために準備。新たな「自分」の獲得。
そういったことの始まりなんだと思う。
【TAROの日記】
2008/04/04(金) 05:46
カラオケ(5)
・・とカラオケについて勝手なことを書いてきましたが、今も日本の正しいサラリーマンにとってカラオケは”たしなみ”の一つなのでしょうか?
演歌しかない時代とは違い苦痛は少ないかも知れませんけど、アレがサラリーマンの”たしなみ”として今も君臨しているとしたら悲しいですね。
でも、時代は変わっているんでしょうか?
今はそれほど強要されている雰囲気を感じません。
当社のスタッフも時々カラオケボックスに行っているようですが、どうもアニメソングを合唱している状況のようで、私なんかがサラリーマン時代に憎んだカラオケとはまったく別のもののようです。
そういう点じゃ、今の若者たちは幸せですね。
ちゃんと正しい利用の仕方で楽しんでいる。良いことです。
でぇ、同時に、カラオケはより携帯電話に近い性質になっているのかな?
しかし、いつも大音量でステレオを聞いて育ってきた私に偉そうなことがいえるのかどうか?
それも、この年になっても大音量でステレオを聞いていますからね。
考えてみると、カラオケや携帯電話、ステレオといった個人的嗜好のツールは、正常な人間を統合失調症的気分に誘う道具なのかな?
間違いなく、明治時代あたりの日本人が見れば、私たち現代の日本人は、誰もが統合失調症に見えるかも?
パソコン相手に、こうして文章っているのも、そんな症状の一つかもしれません。
【TAROの日記】
2008/04/03(木) 05:20
カラオケ(4)
ところが、携帯電話の話では誰もがわかってくれそうな話もカラオケになると、「ちょっと考え過ぎじゃなーい!」「たのしもーよー」なんて言われるのが落ちです。
そして、そういう人の方が正しいでしょう。
でも、あんまり好きじゃない人の考えているところには、こんな感じの思考があるよ!というのも事実です。
ただ、そういう考えを全て踏まえて、それでも・・と考えたとき、カラオケをいかに「自己愛表明増幅蔵置」から解放してあげられるかを考えたいなーと思います。
たとえば、4つくらいのグループが飲んでいるスナックで、AグループのXという男が、カラオケをエンターテイメントの道具として使い切って4つのグループ全員から喝采を浴びるなんて場面もありうるわけです。
こういう場合、カラオケは単純な「自己愛表明増幅蔵置」ではなくなって、とってもお茶目なツールに変身します。
しかし、こういう境界線がめんどくさい、だから近づかない。
でも、みんなでカラオケ楽しみましょうね!という場でただボーッとしているわけでもないというのが個人的なスタンスで、そのスタンスでいたら、全然歌うことがないということになって今日に至っています。
46歳のおじさんでカラオケを歌った回数少ないコンテストというのをやれば、ベスト100くらいには入る自信ありますね。
【TAROの日記】
2008/04/02(水) 05:11
カラオケ(3)
たとえば、若者が多い飲み屋さんで、おじさんが演歌を永遠と歌っているというのも、大きな独り言に近くないでしょうか?
それは大げさにしても、カラオケという道具を真ん中にして遊ぶ約束事がある場合、たとえばカラオケボックスに友達と行くというような場合は、テレビゲームを一緒にやるのと変わりませんから、何ら問題がないんですけど、スナックのような場所で好きな歌を大音量で歌うということは、知らない人の周りで大きな独り言を言う少年と大して変わらないと思うんです。
周りが全部知り合いの場合も、”自分の話”だけを話しまくる自己愛の強い人間とあまり変わらないかな~という思いが残ります。
さらに、人に無理矢理カラオケを強要する人は、「オレが歌いたいんだよ!」というメッセージをそうやって伝達しているわけで迷惑以外の何者でもありません。
考え過ぎかも知れませんが、お店でカラオケという図には、いつもそんなことを瞬間的に思っちゃうものがあります。
つまり、携帯電話を小声で話してすぐに切ってしまう人と同じような態度になってしまうんでうね
【TAROの日記】
2008/04/01(火) 05:04
カラオケ(2)
他人の携帯電話がどうしてあれだけ気になるのか知ってますか?
敏感な人は、他人様の集合したところでは自然に声が小さくなりますが、そんなことを全く気にせず大きな声で携帯電話をしている人も良くいます。
敏感な人はどうして、自然に声を小さくするんでしょう?
時々、山手線に乗っていると、ずーっと独り言を言ってる人がいます。
この間も、窓際で、ずっと山手線の車掌の言葉をそらんじて言っている子がいました。
「次は原宿~」なんてボソボソと言っているわけです。
当然ですが、彼の周辺には人はいません。一般人が一歩後ずさるの当然です。
得体の知れないものという判断をされちゃえばそんなものでしょう。
携帯電話で話す人は、そういう人と外形的な状況は何も変わりません。
独り言を大声で言っているという状況を作っているわけです。
これが気にならないは人はいませんよ。
しかし、だんだん気にならない人が増えているようです。
だから、自分が携帯電話で話すときも大きな声になるのでしょう。
でぇ、カラオケなんですけど、ちょっとこの携帯電話に通じるような気分ってあるんですよね・・。
【TAROの日記】
2008/03/31(月) 05:58
カラオケ(1)
会社で初めてカラオケを歌わされてしまった。
昔からいるスタッフは、ツチノコを発見したように大喜び。
んー、好きじゃないのだよ~。
「こういうところ(スナック)で、カラオケするのって久しぶりですか?」
と聞かれて、考えてみる。
自分でビジネスをはじめてからカラオケしたのは3回だけか・・・。
そもそも、歌うような所に行かないから歌うようなシュチエイションにならないもんね。
ただ、曲を見ていると何でもあって、昔のように演歌しかない・・なんて状況にはない。
そういう点では、恵まれた時代になったもんだ。
ところで、どうしてカラオケをあんまり好まないんだろう?
【TAROの日記】
2008/03/28(金) 05:31
街(5)うちの村
行政の統合で、上越市という名前になってしまいましたが、そんな行政の強引さは無視して、誰もが”村”と言ってますんで、やっぱり私の住むところは”村”です。
ただ、意外に、”村”は個性がないかもしれません。どこも田んぼがあって、緑がある。それだけ。後は雪が降るか降らないか・・。そんなものでしょう。
地方都市は、マクドナルドやイオンやヤマダ電機などに景色を破壊され、同一化をしていきました。
私が昔住んでいた街にも1987年にマクドナルドがやってきて、その頃から街は個性を失っていきました。
当時、「やだなー」と思ったものです。
しかし、マクドナルドなどが来る前の景色にも個性はなかったのかもしれません。
東京や天理市、奈良・・・といった個性的な街とその他の地方都市&村という対比しか日本にはなくて、そこに地方の個性を求めるのは幻想かも?
ただし、食べ物は別。
街に個性があるのではなくて、食べ物に個性がある。
そして、それを毎日食べている人間に個性がある。ということかな?
家に帰れば、”ふきのとう”がそこらじゅうに出ているはずー。もう、濃い味の東京料理はいやだーぁ!!
【TAROの日記】
2008/03/27(木) 05:31
街(4)東京
意外にも、春の東京はいいですね。
私が春の東京を良いと思ったのははじめてかも?
違いは何でしょう?
これはカンタンです。
ここのところ、東京にずーっといるから・・・。
かわいそうにも、自宅に帰れないんですねー。
だから、新潟の春を味わっていないわけです。
新潟の春を味わっていたら、東京はただのコンクリート都市だけど、さすがに東京にずっといれば、春は春らしく、気持ちよいのだと知りました。
”いいとこどり”というのは寂しいということでしょう。
東京は、ライブを見て、映画を見て、買い物して、うまいものを食う所としてだけ最高なのではなくて、まだまだいいものはたくさんある。
でも、”いいとこどり”をしてるので、本当の東京はいつになってもわかりません。
東京って一生わからない都市なんでしょうね。
そして、だから面白い。
【TAROの日記】
2008/03/26(水) 05:29
街(3)キッザニア
豊洲のららぽーとにある『キッザニア』。
話題の場所ですが、行ったことありません(子供と一緒じゃないと入れません)。
年間800万人ほど訪れているんだそうです。
まぁ、天理教の信者が4回訪れれば、800万人になってしまうのでかわいいものかもしれません(笑)。
ここでは、子供たちが80種類の仕事をし、キッザニアで使えるお金を稼ぎ、そのお金を使えるそうです。
子供の体験学習をエンターテイメントにしちゃったメキシコの会社は偉いですね~。
日本の成功を皮切りに、スペイン、ポルトガル、インド、中国、インドネシアなどでもオープンするそうです。
これから最も売れるのは”体験”。
キッザニアはその嚆矢の一つ。
街は、どこも体験都市になっていくべきなんでしょうね。
天理市なんて、そういう点ですごい体験都市なるかもしれません。
奈良だってそうですわね。
「全都市キッザニア化」っていいかもしれません。
【TAROの日記】
2008/03/25(火) 05:28
街(2)奈良
奈良に行く。
少し早かったけど、春~新緑の季節の奈良は大好き。
こうした自然の中に大きな都市があった。それは日本人として誇りですね。
法隆寺や唐招提寺に行くと、必ず、「秘仏」というのが出てくるんだけど、仏教の概念に「秘仏」というのがあるのは面白いところ。
昔の人は、どうして「秘仏」を作ったのか?
「秘仏」が入っているハコの中が仮にカラッポでも何ら問題はないですわね。でも、ちゃんと中は入っているらしい・・。
なんで、一生懸命を作ったものを隠しちゃうのか?
仏教専門家ではないので、よけいなことはいえませんが、ここが面白いと思うんです。ヒッチコックの映画と構造が一緒なんですもん。
今、私たちには、こういう「秘仏」が必要なんですよ。
問題は、「秘仏」は外から突然くるものなので、自分で「コレを”秘仏”にしよー」ということじゃないところですね。
ところで、奈良って日本で2番目にホテルが少ない県なんですって。
修学旅行にあぐらをかいているうちに、むちゃくちゃ遅れてしまったらしいです。
あぐらはかきたい。でも、あぐらはかけない。
仏教都市が、その基本を忘れちゃったんだから仕方ないですね。
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