日: 2011年12月21日
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2011/12/21(水) 08:40

やっと帰還。

12月だというのに、まったく事務所にいることができない・・というのは困った。
やっと帰還で、年末仕事へ。
ボーナスもまだ決定していない。

出張中、東京の街を定点観測してみたけど、動きは悪くない感じ・・というか例年よりも勢いを感じる街もある。
ただ、年配の消費が緩い印象を受けた。
今の時代は、若者は時代に鈍感。年寄りは時代に敏感・・というところなのかもしれない。

日本の先行きは、こうした景色を斑に描きながら堕ちていくのだろう。
来年は、少々マシな感じに見えてきたけど、時間が進むほどに状況は悪くなる。
何もしない・・とうのはそういうことだ。
ガルブレイスの言葉なんて、今の日本の政治家には無意味である。

今月は対照的なライブを見た。
新聞社主催的な雰囲気、そして、よくわからないで来ている客が多いライブ。
そして、私を含めた多くが一人で来ている変な客ばかりだったライブ。
前者は、2100万円のギターの展示を筆頭にお祭り的で、雑誌でも提灯記事が目立ち、
後者は、「また、進化したら帰ってきます」と一言だけ。これで活動休止なのに”今日が最後”という雰囲気は皆無。

そういえば、映画もそうだ。
典型的なシネマからシネマトグラフまで見た。
21世紀に、シネマトグラフが見れたのは驚いた。
表現の世界は、面白くなっている。
そして、シネマトグラフの先の方へ強引に分け入った映像も見た。
なかなか、面白いことになっていると思った。
あえて、ミュージシャン名も映画名も書かない(映画名は、どうせ、メルマで出てきます)。タイトルよりも現象の方を強調したいので・・・・・・。

理想に徹底的にこだわったホテルにも行った。
名前は聞いていたが、あれで儲かるのかと不思議になった。
食い物は、間違いなく、ロブションよりもよかった。
今度は、仕事をしに1週間くらい行きたいもんだ・・。

まだらな景色は、小さくなっていく市場が単純に小さくならないことの結果だろう。
何もかもが、個性的に縮んでいく。

評論家は、目の前のものを無機質な物体として見るが、複雑なものは単純な無機質ではない・・と私が言う必要はないだろう。
個性的な収縮が、多層的に起こる社会は、おそらく悪くない世界だ。
そして、要は、小さいところにいることだ。これは自明だろう。

私たちは、現実社会で、シネマトグラフを見る。
人生も社会もそんなものなのだ。

でも、そんなもの上で演出できる個性の可能性は多様であり、実行も難しくはない。
収縮とは、深耕でもあるからだ。

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