2011/12/22(木) 08:31
昔の勤め先の定年で退職した先輩と現役の後輩と飲むことに突如なった。
でぇ、行った。
もう10年以上会っていない人たちだったけれど、全然そういう気がしない。
まー、10年以上を長い・・と認識していたことが間違いで、10年以上なんて短いのだろう。
そんなこんなで、「お久しぶりね」という挨拶もほとんど適当で、後は昔と同じように飲む。
今考えると、不思議だが、だれも近況を聞く者がいない。
昨日まで一緒に仕事をしていたかのように、別にふつーにバカ話をして酒が飲めるのは悪くない。
そもそも、私は自分の近況を話すのが嫌いだ。
なんと言っても、わかってもらえない感があるから・・。
何を話しても自慢に聞こえそうな気もしちゃうし、言語の共通性にも疑問を感じるから、どうしても苦手なのだ。
だから、それがほとんどなかったのはうれしいかったけれど、意外な伏兵がいた。
一人の方から、TPP問題について議論をされたのだった。
しかし、すでに引退をしている方の情報認識は、ヒューリスティックとポジション・トークの塊である。
私は、反対でも賛成でもない・・というか「わからない」の認識しかしていないので、その人の主張はどうでもいいのだが、仕事柄もあり、あいまいな事実認識や単なる感情から発した事実認識(「空想」と呼んでおります)には、どうしても反応をしてしまう。
だから、会話にまったくならない。デタラメ言葉コミュニケーションなのだ(この意味は、当社の『組織コミュニケーションセミナー(上級)』(第八回)の参加者にはよくわかると思う)。
私は、酒を飲みながら、デタラメ言葉ワークをさせられたのだからかなわない。
私は、10分ほど適度に突っ込みを入れてお相手をしたけれど、たまらなくなって言った。
「もうやめましょう。事実認識が穴だらけで意味がない」
あー、あー、言ちゃった・・である。
でも、まー、これがコミュニケーションである(これもセミナー参加者には、もはや、自明ですね)。
酒を飲み終わってから、無性に、知的会話がしたくなった。
本当に、歴史を肴に丸一日語り合って遊ぶかね?>Tさん
最新のコメント