【苦しめTAROお仕事LIVE】

2012/01/20(金) 08:56

裏付け

毎度同じ書き出しでイヤになるけど、久々に新潟に帰ってきた。
ながーーい出張で、途中風邪も引いたので、本当に辛かった。
でぇ、出張前に組織に対する不満も出たので、さっき朝礼でちょっと爆発もした。
そんなわけで、疲れているし、風邪の後遺症もあるし、「こんな組織ダメだ!」と捨てセリフも吐いたところなので気分が悪い。

出張は辛かったけれど、とても内容の濃いものとなった。
毎度の『年頭セミナー』を軸に、まー、いろんなことをしたり、させられたりした。
印象としては、幅がとても広がっている感じがする。
そうしたせいもあって、談志家元が、イリュージョンなんて言葉を言い出した気分がほんの少しわかるような気分になっている。

残念ながら、談志のイリュージョンの意味はわからない。
彼は、フロイトなどを引用して説明をしているが、この言葉の意味は彼以外には、本当のところはわからない。
だから、私が、彼を引用するのはあり得ないけれど、そのあり得ないところの行間みたいなところで、ちょっとそんな気がした(もちろん、勘違いだとは思うよ!)。

出張中、バンド遊びをした。
課題曲を持って、”バンド”という枠組みで演るのは、30年ぶりであった。
当然ながら、思ったように指は動かず腹も立ったが、そこそこ演れる可能性を見たので満足した。
メンバーにセミプロがいたのが大きかったわけだけど、この遊びの復活は、かなりうれしい誤算だった。

今回の出張中の仕事とバンド遊びの共通項は、身体性である。
毎度毎度の”身体性”への言及になってしまうけど、やっぱりそこだ。

身体とは、”裏”である。
この”裏”とは「裏付け」という意味である。
身体は、無意識であり、影であり、裏である。そして、その意味は「裏付け」なのだ。
私の身体感は、今までは、”無意識”の一言。自分の”無意識”との対話装置としての”身体”というのが、位置づけだった。

しかし、そんな薄っぺらなものではないのだ。
“無意識”とは、「裏付け」であり、その「裏付け」を育てるものは、身体なのだ。

楽器は、「裏付け」がないとできない。仕事ももちろんそうだ。
たかがEのコードを、ガーンと一発鳴らすだけでも、そこには、とんでもなく「裏付け」が伴う。
一発の音の振り下ろしで、振り下ろした右手がどこにあるか、その場所は、まんま人生の行く先なのかもしれない。大げさかもしれないけれど、「裏付け」というのはそういうことだ。

アドリブという「自由」では、それがさらに如実に表れる。
「自由」は、「裏付け」のない者には、与えられない。「裏付け」なきままの「自由」はデタラメだ。当たり前のことである。

・・・・・・・とここまで書いて思ったが、この文章は、メルマやニュースレターの原稿みたいになってきたので、ここで書くのを中止することにした。

複雑系の社会では、これが”たしなみ”です。お許しを。CHAO!!

「裏付け」へのコメント(6件)
  1. 内容がすごいです、感動しました。
    どこにって、・・・・すべてに。
    この文章のすべてに!

  2. 内容がすごいです、感動しました。
    どこにって、・・・・すべてに。
    この文章のすべてに!

  3. 「理論」で割り切ることの多い仕事をしています。しかし、データを取捨選択し「理論」で割り切ることができるようになるまでには、10年以上の、実験で手を動かすという下積みの仕事が必要でした。
    今、レポートを読んだだけで、その組織のレベルがある程度わかるのは、手を動かした経験があるからです。最近は効率だらけで、そういう下積みをさせることを組織が嫌がるのですよね。

  4. 「理論」で割り切ることの多い仕事をしています。しかし、データを取捨選択し「理論」で割り切ることができるようになるまでには、10年以上の、実験で手を動かすという下積みの仕事が必要でした。
    今、レポートを読んだだけで、その組織のレベルがある程度わかるのは、手を動かした経験があるからです。最近は効率だらけで、そういう下積みをさせることを組織が嫌がるのですよね。

  5. 岡本さんが、身体性についてコメントするのを見たり聞いたりする度、まず第一にメルロ・ポンティの「私は私の身体である」という言葉に、私の脳の検索エンジンがかかるようになっているみたいです。
    年の初めから、頭を使う予定は無かったのですが、岡本さんの1/6のシュミラ-クルの件にコメントした後、無性にボードリヤールが読みたくなって、10冊程読み返していたら、前回ひっかからなかった言葉とかが、ひっかかってきて「何コレ」って感じになってしまいました。で、ひっかかる言葉に引きずられるように、昨年の戦略スケッチの10月11月12月の岡本さんの巻頭言を、引っぱり出して読み合わせをしてたら、さらに「うわぁ、何コレ」って感じになって、かなりいっぱいいっぱいな感じになってところでしたが。でもって「裏付け」です。まるで量子力学のようなボードリヤールの世界から、また元のせまい場所に戻って、自分が小動物であることを確認しなくては。冒頭のメルロ・ポンティから、次に検索にひっかかった岡本さんの赤い本(私は岡本さんの本を色で分類している)を読み返していたところで、強力にひっかかって来た言葉は、以前マーカーでなぞってた箇所なのに、なぜかもう一度マーカーでなぞってしまいました。章の扉に岡本さんが散りばめるように引用した言葉です
    −他人の知恵はわれわれ自身の血でなぞられないかぎり、無味乾燥なものにとどまる。われわれは本質的に世界から切り離された存在である。食いつかれ、ひっかかれてはじめて世界を認識出来るのだ −エリック・ホッファ

  6. 岡本さんが、身体性についてコメントするのを見たり聞いたりする度、まず第一にメルロ・ポンティの「私は私の身体である」という言葉に、私の脳の検索エンジンがかかるようになっているみたいです。
    年の初めから、頭を使う予定は無かったのですが、岡本さんの1/6のシュミラ-クルの件にコメントした後、無性にボードリヤールが読みたくなって、10冊程読み返していたら、前回ひっかからなかった言葉とかが、ひっかかってきて「何コレ」って感じになってしまいました。で、ひっかかる言葉に引きずられるように、昨年の戦略スケッチの10月11月12月の岡本さんの巻頭言を、引っぱり出して読み合わせをしてたら、さらに「うわぁ、何コレ」って感じになって、かなりいっぱいいっぱいな感じになってところでしたが。でもって「裏付け」です。まるで量子力学のようなボードリヤールの世界から、また元のせまい場所に戻って、自分が小動物であることを確認しなくては。冒頭のメルロ・ポンティから、次に検索にひっかかった岡本さんの赤い本(私は岡本さんの本を色で分類している)を読み返していたところで、強力にひっかかって来た言葉は、以前マーカーでなぞってた箇所なのに、なぜかもう一度マーカーでなぞってしまいました。章の扉に岡本さんが散りばめるように引用した言葉です
    −他人の知恵はわれわれ自身の血でなぞられないかぎり、無味乾燥なものにとどまる。われわれは本質的に世界から切り離された存在である。食いつかれ、ひっかかれてはじめて世界を認識出来るのだ −エリック・ホッファ

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