日: 2012年1月23日
【TAROの日記】

2012/01/23(月) 08:30

昔の種と今の私

「風穴」は、ひょんなところから開く・・・のか、それとも予定されているのか?

この疑問は、人生をやっていると、よく感じることだ。
そして、精神世界大嫌い人間の私でも、おそらく、ひょんなところから・・というのは現象であって、予定されているらしい・・と毎度感じる。

最近、開いた「風穴」で言えば、予定のスイッチが入ったのは、7年前または、22年前あたりだと思う。
開くまで時間はかかるけど、ひょんなところから開いてしまって、それは予定されていたのだ。

ところで、今、私の身に起きた「風穴」は、遊び関係である。毎度、毎度のギターである。
先週、バンドを遊びでやることになる。どうして、バンドがはじまってしまったかは、もういい加減で、それこそ、ひょんなところからである。そして、そんなものだから、やった曲も、初見でできるような曲ばかり。私たちは、まったく練習もしないで集まった。

ところが、それがきっかけになって、この土日、私は仕事の合間に、JAZZのアドリブ分析に結構時間を割いてしまった。「げろっぱ!」と叫んで、E♭のリフを永遠にかき鳴らして遊びもした。さらには、課題曲探しと称し、仕事をしながら、多数の曲を聞いた。選んだ曲は、練習しないとできない一曲。最早、先週集まって、適当にやっている次元にはいない。
この状況がどれだけ続くかわからないけど、そんな風になってしまった。
実は、ある方面からも、バンドのお誘いがきていて、その話自体は宙ぶらりんだけど、「なんだか、時期が来たらしい・・」と思っている。

遊びのことはどうでもよいけど、こういうことは、仕事でもよくある・・、と言うか、いつも、こんな感じに、ひょんなとこからはじまり、初見で軽く仕事をして、最後にはまる・・というのがパターンである。
種は、いつでも、かなり前に蒔かれている。そして、いつ蒔かれたかを考えると、ほとんどが、高校、大学時代であることに驚く。実は、あの10代後半から20代後半に、ほとんどのものが蒔かれているのである。

だから、現在の私は、昔の私をスクリーンで写した存在でしかない・・・とよく思う。
もちろん、種は、育てなくてはならない。今の私というプレイヤーに意義がないわけではない。
昔の私が種を蒔き、今の私がプレイする。したがって、私がやっている作業に、新しいものなんてほぼなく、多くが思い出すという作業に、「経験」という強力な香辛料がふりまいたものである。

しかし、「経験」という香辛料の価値はデカイ。これも痛感中。

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