【TAROの日記】

2012/04/13(金) 08:31

物忘れと老眼

物忘れがひどくなって困っているのは、今にはじまったわけではないが、
物忘れと老眼はとても不便である。
それもよくなることは絶対にないのだから致命的だ。

しかし、フロイトによれば、傘を忘れることにだって積極的な意味があることになるのだから、
物忘れと老眼にも積極的な意味があるのかもしれない。

50歳になってそろそろ半年になりそうな私には、ある種の諦めがあって、ボケについてはとりあえず整理が終わっている。
呆けというのは、おそらく、自我の尊厳の防衛である。おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられないから、ボケる。周りは迷惑だが、本人にとっては悪くないことなのだ(と思う)。
同様に、物忘れと老眼にも積極的な意味があると思うわけだ。

では、どんな積極的な意味があるだろうか?

一つは、若いときと同じ気になって同じ事をするのはやめな!という体の防衛の効用がある。
そう考えると、私なんかは、やることがまったくなくなってしまうけれど、ガキの頃からやっているいろーーんなことを卒業していく時期のお知らせなんだろう。

そういえば、楽譜なんてまったく見えないうえに、暗譜も不可能になっているから、本当にコードくらいしか見なくなっていて、テンションとかも適当に入れるという非常にJAZZ的な案配になってきている。
もしかしたら、ビバップというのは、そんな案配からはじまって、そのうちその世界で凝っていって、私ごときではわからないような世界になったのかもしれない。

そんな風な、手抜きが逆に複雑を作るというのは時々ある(ビバップはそうじゃないけど・・)。
私なんて、シンプルイズベスト、田舎は楽ちん!!と言って田舎に引っ越したのに、引っ越した年から急激に東京の仕事が増え、しまいには、マンションを借り、事務所も出す羽目になっている(ちょっと違うか?)

・・・・・・・

ところで、物忘れと老眼の効用なんだが、こういう風にブログを書くということを止める口実にもなるし、仕事をやめる口実にもなるし、まー、いろいろと年のせいにできることは多い。

若いときは、若さのせいにし、年を取れば年のせいにする。
まー、そんなものだな・・。

「物忘れと老眼」へのコメント(4件)
  1. ボケの効用を「自我の尊厳の防衛」と置き、具体的には、
    >おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられない
    という指摘は、全くその通りだと同意するが、
    もっと深刻には、死の恐怖から眼をそらすこと、という気もします。

  2. ボケの効用を「自我の尊厳の防衛」と置き、具体的には、
    >おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられない
    という指摘は、全くその通りだと同意するが、
    もっと深刻には、死の恐怖から眼をそらすこと、という気もします。

  3. 身体について起こる事象は、受け入る部分が多いですが。それでも、『老』を感じる瞬間に遭遇したら「来たなSOS野郎(SOSとは、私が勝手に老化現象のSymptoms Of Senilityの頭文字を取って命名)」とにっこり笑って、身体改造を考えて遊びます。気分は、古い型から新機種への変更の様な感じで。何年か前に「『老後』は20世紀の遺物だ」と岡本さんが言い切ったのを聞いた時から、私の『老』への意識はそんな感じです。

  4. 身体について起こる事象は、受け入る部分が多いですが。それでも、『老』を感じる瞬間に遭遇したら「来たなSOS野郎(SOSとは、私が勝手に老化現象のSymptoms Of Senilityの頭文字を取って命名)」とにっこり笑って、身体改造を考えて遊びます。気分は、古い型から新機種への変更の様な感じで。何年か前に「『老後』は20世紀の遺物だ」と岡本さんが言い切ったのを聞いた時から、私の『老』への意識はそんな感じです。

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