【TAROの日記】
大衆化2014/09/18(木) 08:29
「バカだねー」とか「ダメだねー」は気にならない。
ある種の偏見もどうでもいいと思っている。その偏見からいろいろ言われたり、信用されない・・というのもOKだ。
しかし、十把一絡げで括られるのは好きではない。
例えば、「サラリーマンだよなー」というのは好きではない。まして「大企業サラリーマンだよなー」という表現は言ってみたいのが本音だけど、やっぱり好きじゃない。
中小企業・・という括りも好きではない。
さらに、規模などで序列を作るのは、なお嫌だ。年収で人の序列を作れないのと同じだ(私は、有名企業に勤めているツマラナイ奴とか年収が高いツマラナイやつを数人知っている)。
しかし、そうした括りは避けて通れない。
そもそも、そうした括りや序列を利用した慣例やシステムは多い。その方が便利だからだ。
ところが、そうした便利な尺度が、価値そのものになっていく。絶対化してしまうのだ。
ところが、ところが、さらにところが、困ったことに、最近の世の中の変化が、その尺度を無効にしているというのに、価値観だけは厳然と残っている。
だから、昔は一部の天才だけが経験した社会の偏見を多くの人が経験するようになってきた。
これはある種の「天才の大衆化」とも言える(もちろん、薄まるけれど・・)。
大衆化が起きているということは、ある時期を過ぎるとカードは全部裏になるはずだ。
今起きている大衆化はこればかりではない。
たくさんある。
その大衆化されているコトの意味を考えると、随分、厳しい世界が待っているなーと思わざるをえない。人間の体力に限界があると思うんだが、大丈夫か?と人類を心配してしまう・・・。