2016/04/11(月) 08:31
今年はツイていた。
東京でも田舎でも桜の満開を堪能。
いつもは、東京でも田舎でも桜のタイミングに嫌われていたので気持ち悪いくらいである。
そんな桜の見頃を堪能したことで気づいたことがある。
世の中、桜だらけなのだ。
え、ここにも?というところに桜がある。
東京では渋谷の桜に驚いた。
町並みの夜桜はとてもきれいで、こんなところに桜があったのかと驚いた。
私には、目黒川の桜よりきれいに思えた。
出店がないだけで、こっちの方が良い。
私の田舎の家の周辺も桜だらけだ。
元々、軍隊があった頃に、桜を推奨した土地柄だけに桜はそこらじゅうにある土地だが、それにしても桜の増殖度が凄い。
きれいだから、文句はない。
これでいいと思うが、やっぱり違和感はある。
どうして、こんなに桜が増えたのか?
さらに、我家の庭の桜も大きくなってきれいな花を咲かせてくれた。
「なんだい、お前の庭にもあるんじゃないか!」って突っ込まれても、「はいそうです」しか言えない。むしろ、来年あたりから木の下で宴会ができると喜んでいる・・。
新潟の事務所近くの桜も5年後には、相当凄みのある景色を見せてくれそうだ。
もう植えてから10年くらい経っているのだろうか?
うちの桜が20年以上経っているはずだから、そんなものだろう。
20年前か・・。
1990年代である。
当時の日本も暗かったが、みんな夜明けを見ていたと思う。
DAWNな気分が強かったと思う。
でも、今はDUSKな気分のほうが強そうだ。
数年後、日本はもっと桜だらけになるだろう。
桜はこれからどんどん大きくなって、ピークを迎える。
その時、私たちはどんな気分でいるのだろう?
見えるものの美しさは心の中で決まる・・というようなことを言ったのは誰だったか?
数年後のピークの桜が美しいか、それとも空虚に思えるかは、その時次第だが、私のような皮肉屋には、空虚に見える可能性が大きいように思える。