2017/10/23(月) 08:52
数年前に、ダブル・トリオのライブがあった。ロバート・フィリップのいないキング・クリムゾンである。確か、クリムゾン・プロジェクトという名前だったような・・。
ご本尊が二年前に、『スターレス』や『レッド』『太陽と戦慄』などをやってくれちゃったんで、今や色あせてしまった記憶だけど、あれはあれでよかった。なにせ、私たちの禁断状況はピークに達していたのだから・・。
そのダブル・トリオのライブでは、その日のライブ音源(未編集)を販売していた。「へー、そんな時代なんだー」と思いつつ、注文をした。
数日後。楽しみにしていた音源を聴いて驚いた。まったくダメダメなのだ。もちろん、あの超絶のプロたちなので、凄いことは凄いのだけど、実際のライブの八掛けどころか、50%のパフォーマンスもなかったように思う。
録音されたものとステージのパフォーマンスの違いは了解していたつもりだったけど、その違いは考えている以上だった。当たり前のことだが、私たちは音だけを聴いて感動しているわけではなく、ある種の”場の共有”をしているのだ。
でぇ、そんなこともわかっているつもりでいるけれど、実に、わかってはいないのだ。あらゆるパフォーマンス、仕事、その他諸々・・・が、そこで成り立っている。清水博先生の「卵理論」を思い出す。
ところで、私たちのライブ映像が編集されて届いた。編集が素晴らしいのでラストで少し感動した。しかし、これほど見ていて辛いものはなかった。あがっていたとはいえ、あれはないわ・・・・・。
それでも、当日は異常に盛り上がった。その差は、まさに、私たちがダブル・トリオで経験したことと同じなのだろう。私は心の中で言い訳した。「プロだって、生録音はダメダメだったもんね・・」
んー、言いながら虚しい。
おそらく、きっと、いや絶対、次はイケると思うよ。
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