カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2014/08/11(月) 08:27

酒

土曜日は、会社のバーベキューだった。
毎年、我家の庭で、うまい肉を食べる・・という趣旨でやっている。
今年は、村のサマーカーニバルと重なって、花火付きだった。

村の花火は、人が少ないうえに、四方八方が獣道や田んぼの畦道なので、結構、打ち上げ場所の近いところまで行ける。
それも、そういうことをしようという人もいないので、進入禁止の境界で警備をしているおじさんと世間話をしつつ、ビールを片手に大の字で楽しめる(他には誰もいない)。

その最後のビールがいけなかったのか、昨日は二日酔いで時間をムダにした。
何もできずに一日が終わるのは悲しい。

だいたい午後2時から10時近くまで飲んでいたわけだから、二日酔いになって当たり前。
外で飲むとすごく飲めてしまうのも災いだ。

若いころは、二日酔いは二日酔いでしかないけれど、年をとってからの二日酔いは、静かな自殺をしているような感覚がある。
そういうわけで、現在のモードは「もう飲みたくない」という気持ちで溢れている。

しかし、酒のない人生って、どうにも寂しい感じがする。
何をしていたって、楽しさを数倍にしてくれるのは酒だよな~とあまり飲めなくなった今では、痛切に感じてしまう。

そうえいば、最近は、酒を飲む前に、納豆菌や酵素を飲む人が周りに増えてきた。
みんなで一緒に年を取ってきているんだなーと思う光景で、飲む前に薬を分けあったりしている。

でも、そこまでして飲む・・というのが正しいのだ。
静かな自殺であろうと、酒は飲まねばならぬのだ・・と今日は飲みたくなけど、そう思うのだった。

【TAROの日記】

2014/08/08(金) 08:26

ふるさと納税

ふるさと納税の限度額を2倍にする方針・・とニュースでやっていた。

「マジか?」と思った。
この制度はナンセンスだと思っている私には、制度の縮小ないしは変更なら理解ができるけれど、拡充というのはあまりにもおかしく見える。

ふるさと納税は、元々は東京都への納税額の一部が地方に回ればいい・・という趣旨があるのだろう。
しかし、上越市市民の私が、プレゼントの肉欲しさに、他の町村へ寄付をすると考えれば、単に貧乏財政の町村の税金分取り合戦でしかない。分捕り合戦のツールに、ふるさとの特産品が使われているわけである。

私たちは、寄付した分の金額がほぼ全額が戻ってくるうえに、特産品が手に入る。
見方を変えれば、特産品の肉を買って、その全額が自分の住む市町村と国から還元されるというわけだ。
もし、私の住む上越の市民が、みんなでこれをやれば、市の財政はかなり危機的なことになるだろう。

こんなおいしい話はないわけだが、これがまともな話のわけはない。
こういうまともではないことが、社会保険なども含めて行われている・・というのに、私はのんびりと日本国民を続けている。それしかないからだ。

別に、ふるさと納税などどうでもいい。ヒエラルキーの奥の方が民主主義の末期的な症状を見せている今、個別のことをあーでもない、こーでもない・・と言っても意味がない。そして、民主主義というのは、抜本解決を苦手にしている制度だから、万事休すの可能性さえある。

アホな制度で、私はただで肉を食い、上越市と国は少し貧乏をする。これが民主主義なのだ。

【TAROの日記】

2014/08/07(木) 08:26

幸せ

私の住む街は、ラーメンが旨い地域だと思うけれど、新潟県人の宣伝ベタで、全然知られていない。
この地域に多いスタンダードなラーメンがあって、私は今でもこれにかなうラーメンはないと思っている。

だいたい、最近のラーメンは、背脂を入れることを筆頭に、「ちょっと変わった」に逃げていると思う。
「おいしい普通のラーメン」こそが王道だ。
そして、この地域は、その王道ラーメンの旨いのがいろいろ食べられるところだった。

ところが、最近人気があるのは新興の変化球ラーメンの店。
そういう店に列ができる。
ついでに、スタンダードな王道ラーメンを出してくれた旨い店も元気がない。
簡単に言いきってしまうと、昔の旨さがなつかしいくらいに味が違うのである。

ところが、最近、趣味でやっているような変なラーメン屋を知った。
ここの欠点は、趣味趣味すぎて、せっかく、こっちが気に入った味を、どんどん研究して変えていってしまうところにあるけれど、ここ3年ほどは、ラーメンといえば、最早ここしか私は行かなくなっている。

そのラーメン屋が今年も限定ラーメンを怒涛のように放っている(夏の恒例)。
毎日違う限定ラーメンが「これでもかー!」と出てくる。
そして、これがどれも旨いのだ。

昨日は、スケジュールに「24歳?」と書かれていた。
「一体どんなラーメンか?」と店に行くと、「2005年復刻」とあった。

この店がそんな前からやっているとは知らなかったが、その頃の味を復刻した王道ラーメンが出てきた。
うれしいのは、この店はここ1年、全粒粉の麺に変えてしまったのだけれど、麺も昔のままに出てきたこと・・。

そして、口に入れて大感激。
この味は、あの幻の店○○の味ではないかい!
まさか、21世紀に再び食べられるとは・・。
私は妻に電話した。「今から走れ!限定13杯だから、あと8杯だ!」

昨日は、このことだけで全身幸せだった。
恐ろしや!ラーメンである・・。

【TAROの日記】

2014/08/05(火) 08:31

66キロ台

私の体重は、62キロ~64キロの間をウロウロしているのが通常だった。
この範囲に落ち着く前は、59キロを完全キープ。ほとんど体重は動かなかった(結婚して1年間を除く。この間はすさまじく太った)。
どっちにしても痩せ型ではある。

今年の春ころ、体重が急激に減りだし、62キロがやっとの状態が続いた。
人には、「痩せましたよねー」などと軽く言われるけれど、どこか病気なのではないか・・と心配していた。

ところが7月の頭から様子がおかしくなってきた。
逆に太りはじめて、65キロという経験したことない重さを突破。

さらに、苛酷なフジロックでは、危険を察知して身体がやたらと食料を要求する上にガブガブ飲むので、、66.6キロまであっという間に太ってしまった。

「まー、毎日、軽く走れば、どうにかなるだろう・・」などと思っていたけれど、1週間走っても変化なし。
どうも、痩せる季節から太る季節になってきたらしい。
思えば、8年くらい前にも、こんな感じのことが起きて、59キロ→63キロになって定着したので、今回もそんな感じなのだと思う。

年を取ったら、痩せるよりも太るほうが健康だ・・・と何かで読んだことがある。
健康情報など賛否両論で、何を信じていいかわらない世界だけど、そう考えることにする。
一応、自分で見ている限り、見た目は変わらない。
腹もいつものように、脇のほうが出ているだけ。変化はない。

これでも標準体重というわけのわからない基準よりも、まだ痩せている。
しかし、あまりにも急激に太っていったのが不思議でならない。
「季節」と考えて納得しておくけど、何の生活態度も変わらないというのに不思議だ。
インプットもアウトプットもほとんど変わらないのに、どういうことだろう?

成長したということか・・?(笑)

【TAROの日記】

2014/08/04(月) 08:27

音

クーラーの音が嫌いだ。
暑いと仕事にならないから、職場では仕方がないけれど、それにしても・・と思う。
そもそも、クーラーの音のせいで大事な音が聞こえなくなる・・なんてことは誰も考えていない。

日本人だけのことなのかわからないけれど、この集団の平均的な姿は、音に鈍感だ(このことは本多勝一も指摘している)。
だから、スキー場で、流行歌がガンガンかかっている。
海でも同様だ。
せっかく自然を楽しみに来ているはずなのに、どうして地上の、それもあまり程度が良いとは思えない音が大音量でなっているのか・・と若いころはよく思っていた。
山板で雪山に登り、下りでスキー場のゲレンデに向かって降りる時、遠くから音楽が聞こえてくるのにも嫌な思いがしたものだった。

ただし、不思議なのは、リフトのガチャガチャ言う音は、なぜか気にならない。
最初に植え付けられたからか、高校時代にバイトをしたことがあるからか、リフトの音はゲレンデの風景になっていたりする。
だから、クーラーの音が夏の景色の原風景になっている日本人が多いのかもしれない。

しかし、音とは微妙で、いろいろなことを表現してると思う。
そして、それも環境だ。

その環境が、クーラーの音に代表される現代的な騒音で、別の風景に変わっていることが、私たちの心に影響を与えないわけはない・・というと大げさか?

私は、若い頃、山の師匠に、雨が降っても雨具のフードはしてはいけない・・と習った。
大事な音が聞こえなくなるからだ。

実は、昨日、大事な音を見逃していることに気がついた。
もちろん、クーラーのせいだ。
たかが音だけど、まずは、そういうことを大事にすべきではないか・・。
そうでなければ、世の中なんて、扇動者に振り回されるだけのものに思えてしまう。
・・と言っても、つまらない扇動者に鈍感なのも日本人という集団の特性かもしれない。

【TAROの日記】

2014/08/01(金) 08:40

ソーバットレビュー

今回のフジロックで、ソーバットレビューが出た。
70年代の伝説の関西ソウルバンドである。
確かアルバムは1枚しか出ていない。今回は70年代以来の復活らしい。
このバンドは、山岸潤史と石田長生の2枚ギターが看板だった。

残念ながら、隣のステージのジェームズ・イーハーを見に行きたかったので、最初の15分ほどしか見ることができなかったけれど、山岸潤史のギターはよかった。

今はニューオリンズ在住でもあるし、時々、日本でライブはやっているようだけど、こっちの都合とあわなくて、この年まで、彼の音を生で聞くことはなかった。だから、発見レベルに感激した。

一言で言うと、彼のギターは、観客の腕を上げると思う。
そういう音で、そういう弾き方なのだ(と私は思った)。

良い物を見ることの重要性、良き者と付き合うことの重要性を炎天下のフジロック会場で見たような気がする。

逆に言えば、つまらないものが多い世の中では、慎重に行動しなくてはならないことを意味する。ネット後の世界ではなおさらだ。

ただし、私たちの行動は、ネットのお陰で、その慎重さを少し手に入れ始めていることにも気づく。
私は、昨日あるモノを探していた。
条件としては、
まずPPC広告を出していないこと。
「すぐ」とか「便利」という言葉がないこと。
HPが型にはまったものではないこと。
お客様の声がないこと。
どこにリンクされているかをそれなりに見つけること。

こんな条件で探すと、何かを探すのも一日仕事だけれど、何とか見つけることができた。
考えてみると、ネット前の世界に戻っているのだ。

そう。これでいいのである。
昔も今も、良きものとの出会い方には、情熱がいる。当たり前のことだ。

【TAROの日記】

2014/07/31(木) 08:27

家でひとり

昨日は家でひとりぼっちだった。
息子は、大学のオープンキャンパスに行き、妻は母と犬と旅行。

夕御飯は、冷蔵庫に入っている豚汁を温めて、ご飯を食べて、ギターを弾いて遊んで、暇なので、10分ほどランニングもしてきた。
しかし、何だか、それ以上何かしたい・・ということもなくてさっさと寝る。
でぇ、9時前に布団に入って、マンガを読むけれど、3ページほどで眠くなり爆睡。
後は、朝までまったく目が覚めなかった。

朝起きて「一人になったら、こんなになっちゃうんだなー」などと思いつつ、納豆ご飯を食べて出勤。
働く場所があって良かった・・と思った。

出張中のマンションひとり暮らしは、それほど気にならないけれど、家でひとりはあまり良くない。
妻がいないことがあっても、今までは子どもたちがいてくれたので、あんまり気にならなかったけれど、もう数年すると、こういう日は年に何回かあることになる。

不思議なもので、家に誰かがいると、ひとり作業で忙しくしているのに、誰もいなくなると、何もする気がなくなる。
ウィニコットの仮説は、彼が言う以上に深淵だ。

会社もそうだと思う。
もし一人で仕事をしていたら、あんまりやらないのだろう。
誰かがいるから、ひとりでいろいろはじめる。ただそれだけのような気がする。

結局、人はだれだって依存的なんだろうね。

【TAROの日記】

2014/07/29(火) 10:08

フジロックより帰還

ヘトヘトだー。
でも、今年も楽しかった。
入場者が9万5000人ということで少なかったのもよかった。
主催者には悪いが、9万~12万人くらいがベストだよね。もう3年前のような16万人とかやめてくれー。
別に、大物なんて来る必要ないので、渋くやってもらいたいものです(ただし、今年のラインナップが渋い・・というのが日本の音楽市場の現実を物語っているかもしれない)。

でぇ、google+には、限定配信でいろいろ感想書いたので、こちらでは書きませんが、今までで体力的に最も楽だったので、その理由を上げておきます。

・暗渠の工事が進み、長靴で歩く必要がなくなった。
・同様に、歩道が歩きやすくなった。
・高齢という経験を3年過ごし、自分の守り方が上手になった(全速力、ハイジャンプなどは滅多にしなくなった)。
・ジムでお尻を丹念に鍛えてきた効果がではじめた(モモが全然痛くない)。
・あまりアッチコッチに騒がずに、昼寝をするときは、ガバーって寝た。

・・ということで、
朝7時 起床、7時5分 飯、7時50分 出発
  ~帰りが約12時で、寝るのが1時過ぎという4日間を楽に過ごせたのは収穫でしたね。

各メンバーが帰ったり倒れたりする中で、最後に僅か3人残る。
そして、12時過ぎまで、鮎と生ビールでゆったりと過ごして今年のフジロックも終了。
直前に聞いたバッファロードーターの超興奮を冷ますには、CD以上にトラディショナルな演奏をやってくれたポーグスは、ピッタシでしたね。

さてさて、来年も楽しみだ~。

【TAROの日記】

2014/07/18(金) 09:14

消費が堅調・・・という記事

消費が堅調・・・という記事に違和感を覚える。

今の日本で本当に消費は堅調でいいのか?と単純に思えてしまうのだ。
あの神武景気を失速させた金融引締めは、スエズ動乱がきっかけだった。
エネルギー価格の高騰とそれに伴う輸入超過による外貨不足を恐れてのものだったと記憶している。

当時とは違い、今は外貨保有高は潤沢だ。
エネルギーが高騰しても、すぐにどうということはない。
しかし、山岳地帯などを除けばオランダ並みの国土しかない日本。その日本にはオランダの約7倍の人が住んでいる。
ある面、商売をするには効率のよい環境にあるわけだけれど、この人口分のエネルギー消費を抱えながら、今の日本が安泰に行くには、いろいろ不具合があると思えて当然ではないだろうか?

だから、石橋湛山内閣時代の金融引締めの時と同じような発想が私には浮かんでしまう。
もちろん、当時の考え方が正しかったとは思えない(当時も議論になった)。
しかし、今度はどうかもわからない。

だからこういう時は単純に考えたい。
輸出が失速している状況下で、狭い国土の1億2000万人は今までと同じ消費習慣で生きていけるのか?

経済成長の重要性は了解している。
しかし、エネルギーという軛は気になるところだ。
私には、日本人全員が、1953年の炭鉱の人達に思えてならない。

【TAROの日記】

2014/07/17(木) 09:14

一体何日いなかったのか・・?

寝坊をした。
疲れすぎているようである。

家にも、事務所にも久しぶりに帰ってきた。
景色は何も変わらないけれど、ペースを元に戻すのは大変だ。

そういう点で、仕事は少し楽なところがある。
周りのペースが変わらないから、勝手に、強引にペースは戻る。

しかし、個人的生活と執筆はそうはいかない。
なかなかペースはすぐには戻らない。

・・・というのに、来週から出張の後は、フジロック。私たちのお正月である。
そのため、やっぱりペースは戻らない
困ったものである。

村上春樹の対談集を読んだ。
彼も、ペースをとても重視しているのを知って共感した。
ほとんど考え方は一緒。あっちは一流でこっちは凡夫だが、一流があーなんだから、凡夫はもっとそうしなくてはならない。と思った。のに。あー、困ったもんだ・・。

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