【TAROの日記】
2012/05/10(木) 08:27
資本主義
「資本主義」という普通に使っている言葉は、誰の発明か?・・ということを考えてしまった。
考えても、何の意味もないけれど、こういう普通になってしまった言葉の出自は気になる質なのだ。
しかし、ネットでこういう疑問を調べようとすると、途端に暗礁に乗り上げる。
まったく手がかりがないのだ。
・・と言っても、そんな経験はいつもしているので、ネットに対する期待は最初からない。
ネットはバカの者・・みたいな本を書いた人がいるけれど、本当にその通りだと思う。
今でも、ちょっと気の利いた言葉を入れれば、検索エンジンには何も引っかからないということは普通にある。
だれもが、自分のこだわり系のことで調べ物をしようとした時に経験することだ。
では、ネットは役立たずかと言えば、いくらかの方向性を示してくれたりすることもある。
ネットだけでは何もできないけれど、補完的役割は大きい。
まー、そんなことは当たり前のことだろう。
しかし、私が、「資本主義という言葉の出自は何?」とSNSなどで問いかけると事情は変わる。
知っている人が答えてくれる可能性が出てくる。
ただし、アメリカか何かの雑誌で、twitterは、世界の人とつながる道具ではなく、近所の人とのつながりを強化する道具だ・・という記事があったように、「私は、誰とつながっているか?」というのが重要になってくる。
言葉を変えれば、「私は、どういうコミュニティーに所属しているか?」というお話である。
ネットワーク理論では、6人で誰でもつながることができる・・となっているけれど、その6人つながりのパワーを日常で使うことはできないから、私たちの現実的なネットワークの階層はそれほど深くはない。
結局、何であろうと、私の生態系・・というのが問われるのだった。
ところで、資本主義。
私の調べでは、1902年に行き着く。
ヴェルナーの著書『近代資本主義』である。
マルクスが「共産党宣言」をしてから54年も経っている。
産業革命からは数えたら遠い未来である。
「資本主義」という言葉は意外に新しい・・・のか?
さて、私がこのことをつぶやくことで、答えが得られるような生態系にいるかどうかはわからない。
そのうち、何かの方法で答えが出る・・という変な確信があるから、それはどっちでもいいと思っている。
ただ、資本主義という言葉は、おそらく、それほど古い言葉ではなく、ある種のでっちあげなのだとは思う。
こういう言葉は便利だが、大事な本質を見逃している可能性が大きいという予感もある。
そんな匂いをかぎ取れれば、作業としては十分なのかもしれない・・。
こんなことも、ヒュイ!とネットで嗅ぎ取れたら楽しいんだけどな・・。
【TAROの日記】
2012/05/09(水) 08:38
生態系
私が、私だけだったら、私は私ではない・・などということを朝から考えてしまった。
あいにく、世の中は、私だけではない。
だから、考えてしまったことは空論だ。
しかし、そんな空論をしてみると、私というものが”自我”だというのは勘違いで、一つの生態系なのだということに気づく。
私は、私という生態系なので、妻とか子供とか部下とか友人とか・・・・いろいろなものが含まれて私なのだ。
そして、その生態系は、開放系だから、いずでも要素の入れ替えが可能で、生態系の中心である私でさえ入れ替わっている。
ところが、その中心である私は閉鎖系だ。
だから、入れ替わりを拒否する。
一部では、この入れ替わり拒否の私を”自我”と呼んでいたりもする。
「世の中は、私の鏡」という考えは世間でよく聞くお話だ。
通常、それを説明しようとすれば、投影あたりが持ち出されることになる。そして、それは、ど真ん中に正しい。
さらに、ツキトゥドゥスあたりを引用すれば、それで十分納得が可能だ。
そこに、私という生態系という考えを持ち込んでみると、もっと納得度が増すと思う。
私の大好きな状況や大嫌いな状況、大嫌いな人物も私の生態系だ。
そして、生態系の要素の入れ替えは可能だ。
生態系は開放系だから、”自我”という勘違いがない限り、可能性も柔軟だ(無限ではない)。
調子が悪いという感覚は、この開放系の閉鎖を意味する。
“自我”と言われるものは、病なのだ。
あくまでも、私は私だ。
こんなことを書いている私は、「忘我」とか「無私」という言葉が嫌いである。
坊主が坊主らしいことを言うのは、正しいと思うが、一般人が坊主みたいなことを言っているのが嫌いである(こうした感情を、自分を棚に上げる・・という)。
あくまでも、大きな”自我”っていうことで、開放系の自我を考えている。
【TAROの日記】
2012/05/08(火) 08:32
そろそろかなー
時間がなくて困りながら、そろそろ、マーケティング関係のコンテンツを作りたいと考えている。
あの10年前くらいの中小企業マーケティング・ブームでは、本当に基本中の基本・・というか小手先のことをチャカチャカとしゃべってコンテンツにしたわけだけど、それ以後、ニーズとこっちのリソースとのバランスがあってないので、個別の相談以外で、マーケティングについて一般論を話すことはあまりなかった。
しかし、景色を見渡すと、そろそろニーズがあるかな?という感じがしてきた。
そこで、ちゃんとしたのを作りたいな~という欲求が出てきた。
ただし、時間は鬼のようにない・・・。
したがって、戯言で終わる可能性は著しく高い。
けれど、そんな気分になってきた・・ということだけご報告。
実は、最近、こうしたコンテンツ化したい気分が各ジャンルにあって、困っている。
やりたい。でも、時間がない・・というループでウロウロしている感じなのだ。
現在、気分と時間の整理中だけど、私が後やる事というのは、チャラチャラしている世の中とさらに距離を置きつつ、特定の人種(この特定の人種という部分には、具体的な言葉が入りますが、ここでは控えます。『組織コミュニケーションセミナー』参加者には自明だと思います)と相互交流を通じながら、昇華している結晶を集めて、本質価値の固まりを組み立てることのような気がしている。
サンバを踊る・・・。世間は、その心の弱さゆえに、さらにサンバを踊るだろう。
それはそれで、普遍なんだと思うし、生き物ってそういうものだ。
しかし、そんな普遍に対して潔くしないから人間なんであって、そんな人間証明をしてみよーという気分は強い。
そうなのだ。別に仕事がどうのこうのではない。
サンバがどうのこうのでもない。
ヒト科の生物が、「科」という重力に逆らおうとする業のお話なのだろうな・・。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2012/05/07(月) 10:05
とても長い出張だったぞ・・
いつの間にか、花が散り(咲いたのも知らないけど・・)、ゴールデンウィークなんてのがあったらしく、全国で自然災害があいついだ・・とか、バスの事故があった・・というニュースも遠く虚ろな感じで知り、原発が全部止まったというニュースにだけ大きく反応し、5月2日の日経新聞に喜び、ながーい、ながーい出張が終わった。
何日間だったか?
17日くらい?
その間、ライブも、映画も、芝居も、落語も見なかったから、さらに長く感じた。
新潟の一番良い時期をほとんど東京で過ごすのもそろそろやめたいよな・・。
でぇ、疲れが凄いので家でふにゅーとしつつ、それなのに、エラク濃い90年代音楽を大音量でかけるものだから、さらにドヨヨーン!!として、外の景色とアンバランスに、「人間ってバカだな−」とバカの代表になった気分で、バカって好き!と思い、お茶でも飲むか・・と考えるのだった。
ここで、「お茶でも飲むか・・」と何年経っても、同じようなことしか考えない自動思考の堅固さをあきらめつつ、「それでも、お茶飲みたいもん!」と思うのだった。
そんな私の前を妻は、「草取りと洋服の入れ替えどっちを先にしようかー」とつぶやいているので、全然大した選択ではないけれど、その大したことのない選択を、人類の究極の選択のように、真剣に一緒に考えてあげるという姿勢で、「そりゃ、草取りでしょう」と言うと、なんだか安心した顔になっているのを見て、んー、人間は大したことなど考える必要などないのだ!と妙に納得するのだった。
あーーーーーーー、休みっていいなーーーーーーーーぁ。
さて、仕事行くか・・。
【TAROの日記】
2012/04/19(木) 08:33
質が悪い
今朝は、妻の車で出勤する。
車のCDには、JAZZ名演100!!みたいなものが入っていた。
聞くのはこれしかないので聞きながら事務所まで出勤したものの、ナンナンダ、コノCDは?
一応、マイルスやモンクなど有名ジャズミュジーシャンの音ではある・・。
確かに、私の好きなアルバムから持ってきた音もある・・。
しかし、なんで、この選曲なのか?と?印がダンコになって襲ってくる。
こういうCDは、月並み選曲が基本だと思うけど、月並み(例:エリントンだとがAトレインとか・・)が少なくて、「これはないでしょ!」のオンパレード。マイルスなんて、よくこんなふぬけた録音を持ってきたな・・という感じで、かえってびっくりしてしまった。
・・・こんなCDに噛みつく必要は全然ないわけだけど、我が妻がこれを楽しんでいるというのは微妙である。
大げさに言えば、夫婦の価値観なんて、こんなところからずれていくんだよな。
・・・そんな気分で机の上に置いてあった今朝の読売新聞を見ると、トップ記事が「首都直下 死者9700人」。
またまた東大地震研究所のしわざである。
仕事としては、JAZZ名演100!というCDより質が悪いな・・。
【TAROの日記】
2012/04/18(水) 08:28
わかっているけど、わからない・・
朝、エスペランサ・ スポルディングのPVを見ていたら、PVの中で子供が開く古い本にサリフ・ケイタやフェラ・クティといった名前が出てきてうれしくなってしまった。
そして、彼女のベースを弾く姿がかわいい。
こんなかわいい感じのベーシストって今までいたかなー?
個人的には、ティナが大好きだけど、こういうかわいさではない。
もう十年以上も前のECDのアルバムの中に、ジョン・レノンや江戸アケミなどの名前が並んで出てくる曲があった。
あの曲で、ぐっとくるのも、この名前の出てくるところ。
人間なんて単純なのだ。
蛇足ですが、神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴りやまない』でも、ビートルズやセックスピストルがわからなかった・・というくだりにぐっとくる。
くどいけど、人間なんて単純なのだ。
名前には、コンテキストがあり、そのコンテキストは人様々だけど、それでも共通点は多い。
今更だけど、コンテキストの利用というのは、非常に有効だ。
そこに、わかる人にだけわかるメッセージも込めやすい。
ところで、今日の日経新聞トップは、とんでもないコンテキストを含んだ記事である。
しかし、誰もがそのコンテキストに気づいているわけではない。
また、頭ではわかっているけど、実際のところはどうなのか・・という人がほとんどだろう。
そういえば、昔、アメリカのパルチザン向け放送を、「ただの詩だよ!」と言って放っといたのはドイツの将校達。
彼らは、その後に、偉い目に遭うわけだけど、あの放送も聞く人が聞けば、えらいコンテキストだったわけだ。
それに、普通の将校もウスウスわかっていたという記録もある。わかっていたけど何もしなかったということだ。
では、どうして?
オオカミ少年情報に飽きちゃったということだろうね。
【TAROの日記】
2012/04/17(火) 08:33
負担は3割になるとさ!!
「厚生労働省の推計によると、2025年度の会社員1人当たりの保険料(労使合計)は12年度初めより15%強増え、年収の3割を超える」のだそうだ。(日本経済新聞)
この「○○の推計によると・・・・・・・」というのが気に入らない。
官僚は毎度そうなのだが「○○の推計によると・・・・・・・」と言う。
そして、同じ事を続ける。
私たち経営者は、「考えてみるとこうなっちゃうなー」と言うときは、
・やめる
・大きく変える
のどちらかを選ぶ。
この普通のことを、この国はやらない。
国そのものが、引きこもりみたいな状態。依存人間の典型と同じようなことをやっている。
明治維新で生まれた日本という子供は、誰も頼れなくて、独立心旺盛に育った(みたいだ)。
ところが戦後の日本は、親の暴力にあいコテンパンにされて、その親は親で自分のことしか考えていないから、依存的に育った。
いずれにしても、普通には育つことなかった。
そんな案配で両極に振れた(と思う)。
そんな風に考えると、この国の先・・というのは見えている。
こんな風に考えなくても見えているが、さらに見えた気分だ。
ボウルヴィーで考えてみました。
【TAROの日記】
2012/04/16(月) 08:31
最初・・
山菜採りに行くといつも思うのだけど、初めてウドやゼンマイを食べた人って凄いと思う。
キノコなどもそうだけど、どうして食べたのだろう?
本当に不思議だ。
ポピュラーミュージックでは、dim(ディミニッシュ)というコードがよく使われる。
このコードは、4つの音が1.5音づつ離れているコードで、世の中に3つしかない。
楽器をいたずらしていれば、このコードを見つけることは誰にでも可能だけど、このコードを最初に曲の中で使った人は凄いと思う。
どうして、こんな不協和音をおしゃれに使うことを思いついたのだろう?
本当に不思議だ。
※音楽史に詳しい方がいらっしゃったら、「最初」が誰でどの曲か教えてください。
・・・ということを考えていると、最初にやった人は偉いな~というのはたくさんある。
でも、ぜんぜん歴史に残っていない。
でぇ、歴史に残らなくてもいいから、何か「最初」をやってみたいと考えてみたけど、くだらないものしか浮かばない&それさえもすでにやられているような気がする。
おそらく、ほとんどが、紀元前に発見されているのだろう。
仮に、紀元後に発見されたものがあっても、微分積分と相対性理論以後のその周辺にかかわる「最初」しかないように思える。
結局、偉い哲学者なんて、紀元前の発見を無視したり遠回りしたりして、それ以上の発見ができていないと思うし、哲学以外でもそうでしょ。
そうするとわかることがある。
「新しい」は要注意!
これがわかるんだよね。
【TAROの日記】
2012/04/13(金) 08:31
物忘れと老眼
物忘れがひどくなって困っているのは、今にはじまったわけではないが、
物忘れと老眼はとても不便である。
それもよくなることは絶対にないのだから致命的だ。
しかし、フロイトによれば、傘を忘れることにだって積極的な意味があることになるのだから、
物忘れと老眼にも積極的な意味があるのかもしれない。
50歳になってそろそろ半年になりそうな私には、ある種の諦めがあって、ボケについてはとりあえず整理が終わっている。
呆けというのは、おそらく、自我の尊厳の防衛である。おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられないから、ボケる。周りは迷惑だが、本人にとっては悪くないことなのだ(と思う)。
同様に、物忘れと老眼にも積極的な意味があると思うわけだ。
では、どんな積極的な意味があるだろうか?
一つは、若いときと同じ気になって同じ事をするのはやめな!という体の防衛の効用がある。
そう考えると、私なんかは、やることがまったくなくなってしまうけれど、ガキの頃からやっているいろーーんなことを卒業していく時期のお知らせなんだろう。
そういえば、楽譜なんてまったく見えないうえに、暗譜も不可能になっているから、本当にコードくらいしか見なくなっていて、テンションとかも適当に入れるという非常にJAZZ的な案配になってきている。
もしかしたら、ビバップというのは、そんな案配からはじまって、そのうちその世界で凝っていって、私ごときではわからないような世界になったのかもしれない。
そんな風な、手抜きが逆に複雑を作るというのは時々ある(ビバップはそうじゃないけど・・)。
私なんて、シンプルイズベスト、田舎は楽ちん!!と言って田舎に引っ越したのに、引っ越した年から急激に東京の仕事が増え、しまいには、マンションを借り、事務所も出す羽目になっている(ちょっと違うか?)
・・・・・・・
ところで、物忘れと老眼の効用なんだが、こういう風にブログを書くということを止める口実にもなるし、仕事をやめる口実にもなるし、まー、いろいろと年のせいにできることは多い。
若いときは、若さのせいにし、年を取れば年のせいにする。
まー、そんなものだな・・。
【TAROの日記】
2012/04/12(木) 08:28
家の前の木が折れている
やっと、雪が消えてきた。
今日、玄関を出て驚いたのは、家の前の林の木が一本根元から折れていたこと。
雪は、ただ、ゆっくりと、落ちてたまっただけなのに、大きな木を一本折っちゃうんだもんね。
世の中に流通している躁的な気分や手法に対して「ばかー」と言いたくなる私の心には良い栄養だ。
この倒れた木も、春の大掃除でかたづけられてしまうんだろうけど、このまんまにしておいて欲しいな。
息子がこの倒れた木の前で、毎日、すぶりをする景色というのは悪くない。
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