【TAROの日記】
2012/02/07(火) 08:45
エネルギー
フランスの国土は日本の倍。
でも、人口は日本のほぼ半分。
GDPもほぼ半分。
フランスから見ると、日本人はゴチャゴチャしたところで、ガチャガチャ働く国なのだった。
さらに、本来、人は大事な大事な資源なのだが、この国の大事な資源は、公共インフラ同様に、老朽化が進んでいる。
老朽化・・というと、そんなことはない。まだ、使える・・という話は出そうだが、おそらく多くは使い物にならないだろう。
ドラッカーが1968年に言ったように、40歳以後情熱をなくしてしまった資本主義のホワイトカラーは、情熱なきままでも生活がなんとかなってきてしまったので、ほとんどが当てにならない。さらに、稀少な当てになりそうな人たちは、日本にいなかったりする・・。豊富なのは、消費者だけなのだ。
近代資本主義の要は、エネルギーの安さだった。
それが前提で、人口の多いところがいろいろ有利だった。
しかし、1973年以後、エネルギーは変数になり、さらに3・11でその変動性を増してしまった。
これは、人口が多いことが不利になる・・ということではないだろうか?
豊富な消費者が消費をする。これは資本主義には悪くはない。
しかし、その消費者はエネルギーも消費する。
なんてたって、国産の米でさえ、石油だ・・と言っても間違ってはいない。
だから、多くの消費もエネルギー消費だ。
昔の日本は、東南アジアにエネルギーを求めた。
今回は、風とか太陽とか、微生物とか、藻だとか・・言っている。
アントニオ猪木は、永久機関(フリーエネルギー)について何も言わなくなったが、あの幻想も、今でもそこらじゅうで追いかけられていることだろう(昔、昔から、あれは麻薬のような夢なのだ)。
問題は、成長ではなく、エネルギーだ。
問題は、年金などではなく、エネルギーだ。
なにもかも問題だけど、優先順位はエネルギーだ。
(雪国の雪だって、エネルギーがなければ、除雪もなにもできない)
すでに起こった未来は、エネルギーという要素のボラティリティーの上昇を定めた。
しかし、毎度のごとく、慣性は続く。
私たちが目の前にする大きなギャップは今ここにある。
【TAROの日記】
2012/02/06(月) 08:17
効率
仕事と雪堀りを1時間半後に繰り返し行うサーキットトレーニングの日々が、4日ほど続きました。
今回は、家で詰めて集中的仕事をしているところでの、大雪処理集中作業が重なってしまったために、こういうことになりましたが、これが案外具合がよくて喜んでいます。
一言で言うと、効率が圧倒的に良いのです。
1時間半後締め切りに向けて仕事をするのは、私の毎度のやり方ではあるのですが、その先に雪堀りが待っていると、さらに、効率的に頭は動くようです。
そのため、雪堀りという邪魔が入ったのに、予定通りに仕事が終わってしまいました。
これはちょっと驚きです。
人の仕事の効率性というのは、まだまだ研究の価値がありますね。
ドラッカーは、成果をあげるためには、「何をなすべきか」を考えねばならない・・と言いましたが、ここ数日の私の状況は、「何をなすべきか」×2だったわけです。
通常、「何をなすべきか」×2はまずいことですが、あまりにも仕事の種類が遠いといけちゃうようです。
ただし、現在、全身が筋肉痛ですので、後遺症も大ですな・・・・。
【TAROの日記】
2012/02/03(金) 08:53
雪のことしか書くことない
朝から雪掘り・・。
段取りしながら、掘り進んでいく型は、仕事そのものではあるが、本当の仕事がしたい。
6日間の家での集中仕事は、3日目にして労働からはじまるとは・・。
それも仕方なくて、すでに想定以上の雪のため、各所に人の手を入れないと、家が持たない感じになってきた。
しかし、完全に雪に特化する・・というのもあり得ない。
雪の季節は、1年のうち二ヶ月だから、この”二ヶ月の案配”に合わせるのが人間。
そのため、ブラックスワンが現れると、どうにもならなくなる。
現在、それを体感中。
まー、覚悟が決まれば、今のところ、対応はできる。
覚悟なんて表現してるけど、単に、時間を割けば良いだけの話。
そういう点では、リスク管理はできているのだろう。
だから、「各所に人の手を入れる」ことに、今なっていて、私の中に、そこに時間を割く気持ちの余裕がないだけだ。
しかし、まだ体が動くから、こんなことが言えるわけで、年を取ったら雪国は住めないな・・。
雪景色は好きだし、雪の季節ののんびりも大好きで、それは年を取れば取るほどそう思うけど、年を取りすぎたら、かなわない環境なんだろう。
とりあえず、今日は二刀流で仕事をしましょう。
カラダの筋肉と頭の筋肉が全開だね。
【TAROの日記】
2012/02/02(木) 07:35
難民?
青森では、雪のせいで100台以上の車が国道で立ち往生というニュース。そういう深刻な状況とは別次元で、昨日、難民が47万人(?)発生したらしい。
難民の正体は、東京事変のラストライブのチケットが手に入らない人たち。
昨日の抽選後、オークションには大量のチケットがアップされているけど、価格はあっという間に5万円台を超えた。
このチケット、23日まで席が立ち見になるかどうかもわからないものというのに、とんでもないことである。
もちろん、嵐には、まったく負けてはいるし、これ以上のことも過去には起きているけど、やっぱり凄い。
私は、これから価格がどれくらい跳ね上がるのか・・が楽しみで時々画面を眺めている。
ちなみに、私は、14日の横浜アリーナと29日の武道館の千秋楽を確保!!
さらに、長女が28日の武道館を確保している。
難民が47万人いるなかで、我が家にはチケットが6枚。毎度のことだが、世の中は、なんでも隔たるものだ。
窓を見ると、雪も隔たっている。
最早、じっと耐えるしかない状況。
早く春が来ないかな〜と思いつつ、とりあえず、春の入り口のチケットは手に入れているので、じっと待つのであった。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2012/02/01(水) 08:09
本日より冬籠もり
本日より6日間、冬籠もりします。
籠もるのは、ものすごーい量の雪に囲まれた家。
雪はさらに降り続け、次の危険領域が近づいていますが、今日は外の状況を無視しして、籠もります。
雪に囲まれた静寂。
その中での仕事は、自ずと質を良くすると考えていますから、この何とも言えない静寂と暖かさに合った音楽を選んで、それこそミュージックコンクレートな感じで遊びながら静かに静かに音を流して、理想の環境の中でお仕事です。
これが今日から6日間も続くのですからたまりません!!
我が家とはいえ、ワクワクしてしまいます。
今まで、まとまった時間を取る・・というと都内ホテルかリゾートホテルだったわけですが、どうして、今年はこんな風にしたのか?
そして、どうして6日間も取ったのか?
不思議です・・。
おそらく、やろうとしている仕事と何か関係があるのでしょう。
よくわからないけど、自分の行動なんてものは、やろうとしていることの裏返しで決まってくるような気がして仕方ありません。
さて、旨い珈琲でもいれて始めますか・・
【TAROの日記】
2012/01/31(火) 08:51
本日も、雪をネタに・・
雪が殺人的レベルに突入した。
日曜日に、全部対応しておいて良かった。
「もう降らない・・」などと都合の良いことを考えて労働をおしんだら、えらいことになっていた。危ない、危ない。
今日は、スタッフのうちの2人が、仕事を休んで雪下ろしをするそうだ。
私と逆に、日曜日に対応しないで、甘めに対処した結果かな?
雪は、禍に似ている。
少しずつ積もる。
途中までは何でもない。
しかし、積もり続けると、どこかで閾値を超える。
そこからは、対応が遅いと、災害レベルになる。
非常にシンプルな世の中の型が、目の前で見ることができるのだ。
本日、雪下ろしをするスタッフのうちの一人が家を建てた場所は、雪が吹きだまりになる有名な場所だ。
彼は、そんなことを知らずに家を建てたが、私は、あの場所を地元の中堅不動産屋が造成を始めた時、その行動を疑った。
その場所は、私が父の猟のテコとして一緒に深い雪の中を歩いた思い出の場所。雪の深さと量が急激に変わる独特な状況に苦しんだものだ。
その場所には、今、家同士が密着して立っている。
あの場所の冬の特徴を知っている者には、信じられない光景だ。
幸い、造成をしてから暖冬が続いた。
1970年代~80年代の頃の大雪を経験せずに、住民は住むことができた。
しかし、そんな幸福は必ず終わる。
場所の特徴は変わらない。
たまたま状況が良かっただけだから、それは禍が留保されただけである。
住人達は、「今年は酷い・・」と思うだろうが、本当は、その場所が酷いのだ。
この状況、笑えない。
そこらじゅうにある光景だ。
私が、なんだかんだといって雪が好きなのは、こんなところにあるのかもしれない・・。
【TAROの日記】
2012/01/30(月) 08:56
いつも同じようなことばかり言ってるけど、雪凄すぎ・・。
しかしだよ・・。
やっぱり凄い!!
昨日時点で、こんな感じ ↓

土曜日に、東京から帰ったら、女と子供しかいない我が家の周囲はパニック状態。
雪国に住んでいるというのに、女と子供では危険の想定がまったくできないようで、各所が放置状態。正直、腹が立ったけど、出張しているこっちも悪い。そんなわけで、黙々と、雪掘り。
それでも、息子が手伝ってくれるようになったのが、救いでござんした。
日曜日も半日雪掘り。
雪国の住人は、こうしてお金にならないことに、時間と体力を使う。
ただ、嫌いではない。
そういうのもあっていいじゃない。
雪掘りを終えた後の雪に囲まれた我が家で、静かに過ごすのも、副交感神経にいい。
この感じは、晴天の太平洋側では絶対に味わえないのだ!!
日本人の中には、この感覚を知らない人もいるわけで、かわいそうに・・と思う。
これで、冬は、雪掘りだけしているだけでいい・・というならいいんだけどね・・。
さて、今日はガンガン働きますかね・・。
【TAROの日記】
2012/01/24(火) 08:28
続くもの
崎村さんの昨日のコメントを見て、「なるほどなー」と思った。
(崎村さんのコメント)
これは2007年に岡本さんのセミナーに参加した時の話。 セミナーの合間に趣味の話になった時、参加者の一人が「若い時は色々好きでやってた事もあったけど、今は仕事以外、時間があっても何もする事が思い浮かばない」と言った言葉 に岡本さんは「それは貴方が自分自身で、それらの苗木を切っちゃったからじゃあないですか?」と答えていました。 確かに『切ってはいけないもの』のお陰で、予期しなかった『風穴』が開いてしまうことがありますよね。
昨日の「風穴」の話は、これが前提だよな・・・。
私は、人生を「私」を中心に伸びていく”根”の絡まったもの・・と考えていて、余程の事がない限り、”根”は切らないと決めている。そのために、子供の頃からの趣味でさえ、今も現役。もちろん、やれなかった時もあるけど、完全にやめるということはない。
こういう前提のある男の昨日の発言なのだな・・・。なるほど、なるほど。
自分の昔の発言を他者を通して聞き、それで自己確認・・というのは悪くない。
さて、世の中の全般的な雰囲気は、こうした私の気分とは逆にある。
「新しいもの」
これが世の中の注目だ。
これとは、逆に、私の注目は、
「続くもの」
※この件については、将来、ニュースレターで本質的なことを書きます。
たまたまだけど、昨日、妻とこの件に関連する会話をした。
今日から私が再び出張のため、妻は言った。
「そろそろ、体力も落ちてるし、なんとかしたら・・」
私の返答は、
「自分からは止めない」
「続けろ・・という声がある限りは続けるのが心情」
気分は、完全に談志である。
私が、談志のようにギリギリまで高座に立つかはわからない。
落語家ならば、散る様子も芸。それに、時々、化学反応もある。
実務家にはそれは無理なので、去り際はある。
趣味も同様で、止めるときは来るだろう。
いつまでも、ジャンプしながらギターは弾けないし、だんだん、指も頭も回らなくなれば、適当なクリシェしかできなくなるだろう(そもそも、すでに、暗譜は無理)。
でも、続けないと「風穴」は開かない。
晩年談志が奇跡を起こしたように、時々来る「風穴」こそが価値なんだから、まー、情けなくても続けるが一番と思う。
まだまだ、忙しい日々が続く・・。
追伸
明後日は、ギター買いに行くぞ〜
【TAROの日記】
2012/01/23(月) 08:30
昔の種と今の私
「風穴」は、ひょんなところから開く・・・のか、それとも予定されているのか?
この疑問は、人生をやっていると、よく感じることだ。
そして、精神世界大嫌い人間の私でも、おそらく、ひょんなところから・・というのは現象であって、予定されているらしい・・と毎度感じる。
最近、開いた「風穴」で言えば、予定のスイッチが入ったのは、7年前または、22年前あたりだと思う。
開くまで時間はかかるけど、ひょんなところから開いてしまって、それは予定されていたのだ。
ところで、今、私の身に起きた「風穴」は、遊び関係である。毎度、毎度のギターである。
先週、バンドを遊びでやることになる。どうして、バンドがはじまってしまったかは、もういい加減で、それこそ、ひょんなところからである。そして、そんなものだから、やった曲も、初見でできるような曲ばかり。私たちは、まったく練習もしないで集まった。
ところが、それがきっかけになって、この土日、私は仕事の合間に、JAZZのアドリブ分析に結構時間を割いてしまった。「げろっぱ!」と叫んで、E♭のリフを永遠にかき鳴らして遊びもした。さらには、課題曲探しと称し、仕事をしながら、多数の曲を聞いた。選んだ曲は、練習しないとできない一曲。最早、先週集まって、適当にやっている次元にはいない。
この状況がどれだけ続くかわからないけど、そんな風になってしまった。
実は、ある方面からも、バンドのお誘いがきていて、その話自体は宙ぶらりんだけど、「なんだか、時期が来たらしい・・」と思っている。
遊びのことはどうでもよいけど、こういうことは、仕事でもよくある・・、と言うか、いつも、こんな感じに、ひょんなとこからはじまり、初見で軽く仕事をして、最後にはまる・・というのがパターンである。
種は、いつでも、かなり前に蒔かれている。そして、いつ蒔かれたかを考えると、ほとんどが、高校、大学時代であることに驚く。実は、あの10代後半から20代後半に、ほとんどのものが蒔かれているのである。
だから、現在の私は、昔の私をスクリーンで写した存在でしかない・・・とよく思う。
もちろん、種は、育てなくてはならない。今の私というプレイヤーに意義がないわけではない。
昔の私が種を蒔き、今の私がプレイする。したがって、私がやっている作業に、新しいものなんてほぼなく、多くが思い出すという作業に、「経験」という強力な香辛料がふりまいたものである。
しかし、「経験」という香辛料の価値はデカイ。これも痛感中。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2012/01/20(金) 08:56
裏付け
毎度同じ書き出しでイヤになるけど、久々に新潟に帰ってきた。
ながーーい出張で、途中風邪も引いたので、本当に辛かった。
でぇ、出張前に組織に対する不満も出たので、さっき朝礼でちょっと爆発もした。
そんなわけで、疲れているし、風邪の後遺症もあるし、「こんな組織ダメだ!」と捨てセリフも吐いたところなので気分が悪い。
出張は辛かったけれど、とても内容の濃いものとなった。
毎度の『年頭セミナー』を軸に、まー、いろんなことをしたり、させられたりした。
印象としては、幅がとても広がっている感じがする。
そうしたせいもあって、談志家元が、イリュージョンなんて言葉を言い出した気分がほんの少しわかるような気分になっている。
残念ながら、談志のイリュージョンの意味はわからない。
彼は、フロイトなどを引用して説明をしているが、この言葉の意味は彼以外には、本当のところはわからない。
だから、私が、彼を引用するのはあり得ないけれど、そのあり得ないところの行間みたいなところで、ちょっとそんな気がした(もちろん、勘違いだとは思うよ!)。
出張中、バンド遊びをした。
課題曲を持って、”バンド”という枠組みで演るのは、30年ぶりであった。
当然ながら、思ったように指は動かず腹も立ったが、そこそこ演れる可能性を見たので満足した。
メンバーにセミプロがいたのが大きかったわけだけど、この遊びの復活は、かなりうれしい誤算だった。
今回の出張中の仕事とバンド遊びの共通項は、身体性である。
毎度毎度の”身体性”への言及になってしまうけど、やっぱりそこだ。
身体とは、”裏”である。
この”裏”とは「裏付け」という意味である。
身体は、無意識であり、影であり、裏である。そして、その意味は「裏付け」なのだ。
私の身体感は、今までは、”無意識”の一言。自分の”無意識”との対話装置としての”身体”というのが、位置づけだった。
しかし、そんな薄っぺらなものではないのだ。
“無意識”とは、「裏付け」であり、その「裏付け」を育てるものは、身体なのだ。
楽器は、「裏付け」がないとできない。仕事ももちろんそうだ。
たかがEのコードを、ガーンと一発鳴らすだけでも、そこには、とんでもなく「裏付け」が伴う。
一発の音の振り下ろしで、振り下ろした右手がどこにあるか、その場所は、まんま人生の行く先なのかもしれない。大げさかもしれないけれど、「裏付け」というのはそういうことだ。
アドリブという「自由」では、それがさらに如実に表れる。
「自由」は、「裏付け」のない者には、与えられない。「裏付け」なきままの「自由」はデタラメだ。当たり前のことである。
・・・・・・・とここまで書いて思ったが、この文章は、メルマやニュースレターの原稿みたいになってきたので、ここで書くのを中止することにした。
複雑系の社会では、これが”たしなみ”です。お許しを。CHAO!!
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