2004/02/10(火) 04:16
今回は少し難しいかも・・。(ご容赦を)
古武道の甲野善紀さんのことが昔から好きである。
なぜかといえば、この人の発言には経営に通じるモノを感じるから・・。
これは甲野さんだけではなく、武道家の発言一般に言える事だが、彼の発言はどこか違う。
さらに、カルメンマキと対談したり、その内容が普通じゃなかったりするからタダ者ではない。
ところが、びっくりしたことに、甲野さんって、巨人の桑田のアドバイザーになったことで今は有名だそうで・・。
「甲野」という字を忘れていたら、最近、良く聞くようになった。
最初は、神田先生の電話
「ある武道家にあってきたんだけど・・」
スグ直感した。
「もしや”甲野さん”ですか?」
「あれ?知ってるんだぁ?」
「いやー、昔から好きですよ。今度、会うとき連れて行ってください・・」
そういうことで、甲野さんの86年に出版された本が再版されるらしい。
噂なので本当のところはわからないが、少々、ブームっぽいのであり得る。
前置きが長くなったが、この甲野さんの話から今回は話を展開していきたい。
この人の面白いところは、自分がつかんだ結論の過程や変化が著書の中で語られているところ。
たとえば、刀を抜くのに柄に手を置いておいた方が早いか、それとも柄に手を置かない方が早いかということの研究。
彼は、刀に手を置かない方が早く抜けることを発見する。
素人が考えたら変な話だ。
どうして、柄を持たない方が早いのか?
しかし、もっとすごいのは、その後「どちらでも早さは同じ」ということを発見することだ。
この「どちらでもいい」というのは極意である。 私がノウハウをありがたがる人を笑うのには、思考の奥にこの考え方があるからだ。
確かに、ノウハウは入り口では大事である。
まさか何も知らずに何かやれるわけはない。
しかし、そのままノウハウにとどまる人と、その上に行ってしまう人の差は大きい。
これを言ったらおしまいかもしれないけど、ノウハウに頼るだけでは何も生まないのだ。
だから、私は「どっちでもよい」という言葉が好きである。
ノウハウなんて、しょせんアプローチの一つでしかないのだ。
そして、多くの武道家や経営者は経験からそれを知っていく。
残念なのは、それが経験しないと分からないことだと言うこと。
でも、知識としても知っておいた方がいいだろう。
私の2冊目の本は「マネするマーケティング」という題名になる。この本の第5章の最後で次の言葉を紹介した。
「生命の自己表現には型があるが、
その表現は決して型にはまっていない」(清水 博)
そして、甲野さんも言っている
「人間の運命は完璧に決まっていて、
同時に完璧に自由である」
いやー、こんな事書いて、わかってもらえるだろうか?
ちょっと心配。
このことは、このメルマで1年後くらいに書こうと思っていた内容。
たまたま、某社の編集者と甲野さんの話で盛り上がったので書いてしまった。
書きたいときが吉日と言うことでお許しを・・。
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