【毎日が哲学(土・日・祝祭日 休業)】

2005/10/31(月) 09:23

「毎日が哲学」345日目

山下達郎とサンボマスターの山口の対談を読んでいて世代差によって見える景色の違いを痛感した。

ボクは達郎の世代でも山口君の世代でもない。
しかし、なぜか達郎の世代の空気はわかる。山口君の世代の空気はわからない。

これは不思議なことだ。

達郎が決定的な空気を浴びた時代、ボクは子供だ。
シュガーベイブのあの音が出てきたときは中学生。
あの音を異端とも感じずに、しかし感覚だけで受け入れた(そういう人は少なかったようだけど・・)

それに対して、山口君が決定的な空気を浴びた時代、ボクは社会人だ。
すでに、何でもわかるオトナ・・・・・・。
しかし、彼ら世代の原体験 ー それは自分も同時に体験しているはずの体験 ー はわからない。

こりゃどういうことだ!と驚愕した。

そこで哲学。

「上から見るのと、下から見るのでは体験度に大きな違いが生まれる」

下から見ることができなくなっていた自分に、げんなり。
そして、「視線」の重要性を再確認。

ついでに、昨日した「ある決定」の正しさも再確認

「「毎日が哲学」345日目」へのコメント(0件)
  1. かみさんとの会話
    私:この曲、ゴダイゴのパクリっぽいね?
    かみさん:だって、作ったのタケカワだもん。
    私:あそっか。
    「在る」とみるか「差異」とみるか、はたまた
    「もう差異なんて存在しない」とみるのか。
    先生、「差異だー」「差延だー」と騒いだ人にとって、
    「在る」はなんだったんでしょうね。

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