【無理に哲学】
マチュピチュ2009/10/07(水) 04:51
7月にマチュピチュに言った時、
思ったことがありました。
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これは、
遊びで作ったな。
「どーだー凄いだろ〜」
の声が聞こえる。
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一緒に、旅した人たちは、
「岡本が、またバカを言っている」
という反応でしたが、
こんな文章を見つけました。
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昔のインカの民はそれほど
働かなくても豊かな収穫に
恵まれており、
むしろ問題は余った時間を
どう過ごすかにあった。
だから、マチュピチュの遺跡に
しても、カミソリの刃一枚入らな
い石組みにしても、
全て暇つぶしの産物なのだと。
(井上 亮)
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当然ですが、
こういうブログみたいなものも
暇つぶしの産物です。
賛否はあるでしょうが、
本来、仕事もその可能性があります。
暇つぶしの産物という視点から見た時、
自分の仕事がどう映るか?
言いたいことは、
「好きなことを仕事にする」
なんていう次元ではありません。
暇については、古代ギリシャでは、奴隷制度を容認し、キツい仕事を奴隷にしてもらうことで暇(スコレー)を作り出し、哲学をしていたと聞きます。
それなら、仕事も何もしなければ、想像的な時間を生み出しやすいのかいえば、そう単純でもないようなのです。
カナダのマクギル大学等で行われた「無刺激教室の実験」といわれる心理実験がありました。その実験は、被験者を安楽な部屋(防音のよくきいた壁、ほどよく暗くした照明、クッションのきいたベッド)に招待し高い報酬を与えて、いたいだけそこにいて良いと伝えていたそうです。実験の結果は、ほとんどの被験者が2日以上はその部屋にとどまっていれなかったというものでした。
この実験の意味するところは、人間は刺激のない退屈さから強いストレスを受けるという事でした。
それでは、仕事をしている人は、全て無刺激のストレスから免れているかといえば、それも一概には言えないらしいのです。
例えば、仕事→酒→帰宅→就寝と、変化のない毎日を送っているのであれば、その毎日は疑似無刺激室と化しているということです。
仕事、暇(スコレー)刺激、想像的時間等、今日一日あれこれと考えているうちに、万華鏡の中の同じ模様に見えてきました。