2012/05/14(月) 07:54
自分でも「おかしいな−」と思いつつ、”休眠口座”を”睡眠預金”などと書いていた。
最早、サラリーマン時代は遠いのだな〜と思った。
そういえば、最近は、実務がないので、手形や小切手の知識、金融法務などの知識もあやふやである。
昨日の出張帰りに新幹線の中で、サラリーマン時代に働いた部署のことを思い出していたのだけど、働いていた部署の記憶があまりない。
「オレって、どこで働いていたのだ?」と思いつつ、意外な人のことを思い出したりもして、人の記憶というのは、筋道立てて思い出すことができないことをあらためて痛感する。
あのオレの過去は、最早、どこにもないのだ・・・・と思いつつ、しかし、そのどこにもないものに自分のリソースがあるという・・事実に、人という存在の面白さを感じたりするのだった。
まー、人もカゲロウみたいなものなんだな。
しかし、カゲロウではないから、リソースの確認が必要だ。
あやふやなものが自分のアイデンティティの元ということは、アイデンティティなんてどうでもいい・・ということとマメに確認しなきゃいけないよ・・という2つの矛盾した狭間で、どっちでも選べるようになっている。つまり、人は、そもそもがとっても自由な存在なのだ・・ってことになっている。
ところが、人は何かすがるものがないと不安だ。
だから、過去にすがる。あやふやでも過去は過去、リソースはリソース。
まー、それも自由だから、どうでもいいけど、そこんとこの微調整が人生を決めてるのだろうなー。
“休眠口座”を”睡眠預金”と言ってしまう私のそこら辺の過去は、今の私にはどうでもいいのだ。
それでも、私のリソースだから、私のご都合主義は、そこを利用するときもある。
しかし、使えるリソース(過去)は増えるけど、使える時間は減っていく。
今は、ちょうどその均衡点なんだろうな。
そこは、十分に利用しないといけないね。
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