【TAROの日記】
強迫行為と運動2012/06/27(水) 08:38
夜の田舎のジムに行く。
ふらーーーーっと言ったみたのだけど、夜中にジムに行くことがない私には、異様な光景が待っていた。
一言で言うと、イライラするほど人が多い。
あまりのざわつき感に帰りたくなるけれど、せっかくきたので、フラフラと柔軟などをすることにする。
スタジオでは、大量の人がダンスで汗をかき、ランニングマシンはいっぱいだ。
筋肉オタク系の人が数人、黙々と重いものを持っている。
難民収容所で、一人ひとりが勝手なことをしているような感じだ。
私は、柔軟をしながら、自分を棚に上げて思った。
「この人たちはどうして運動をしているのだろう?」
すぐに浮かんだのは、”強迫行為”の四文字。
最低限、自分は、そうだ・・と思った。
おそらく、ここにいる多くの人がそうだろう。
自己規制なのか強迫行為なのかの境は難しいが、それによって誰かが儲かっていれば、ほとんどは強迫行為だ。
毎度、毎度の「自己実現」などという感違いは、21世紀の典型的な強迫症だ。そして、人々の自己実現病を利用して儲けている者は多い。
しかし、そんなことを考えていると、「オカモト」という人間自体が強迫症の固まりのようなものだなーと思う。
そして、誰もがそうだろう。
結局、病とされる強迫症とは、他の多くの人の価値観よりもちょっと過剰というだけのこと。
運動しない奴からみれば、運動だって強迫症だし、仕事だってなんだって、みーーーーんな強迫症だ。
そんなわけで、夜の夜中に、病である「わたし」に気付きつつ、「それでも、やめられないよなー」と思うのだった。
だって、そもそも消費だって強迫症みたいなものなのだから、それでいいのだよ。
うちの棚には、強迫症の結果が山ほどあふれている・・・・・・・・・。
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