【TAROの日記】

2014/10/16(木) 08:30

ぼくのペットはいぬです。

新潟にいるときは、必ず、ブログを書くことにしている。
はじめてから7ー8年くらいは出張中も書いていたけれど、今はそこまではやっていない(することができない)。

しかし、「書くことにしている」だけで、それ以上の目的はないので、かなり適当だ。
時々、乱れたままの文章がそのまんまアップされているときもある。
「まー、そんなものだ・・」という個人の暗黙的なお約束(それを、言い訳とはまったく思っていない)を前提に今日まで続いている。

そこで、道路ができたこととか、疲れていることとか、お天気のこととかを話のネタにして、後は勝手に手が動くのに任せている。
つまり、何を書きたいかという意思は私にはない。

では、書いている私は誰なのか?
そう問うと、答えはすぐに降ってくる。
書き手はいない。
これが答えだ。

では、どうして文章は残るのか?

ここに人類みんなの勘違いがあると思う。
それは文章には書き手がいるという勘違い。
文章があれば、その裏には書き手がいる。
誰もが直感的にそう思う。
しかし、それは本当にそうなのだろうか?と私は思うことがある。

ちなみに、本日の文章は、こんなことを書いているわけなので、オカモトが書いている(と私も思っている)。
しかし、それも確かにそうだとは言い切れなかったりする。

私たちは、過去に自分が書いた文章を見て驚くことがある。
「へー、こんなことを書いてたんだ・・」
まったく記憶がないので、実感もなく、「ふーん」としか思えない。

逆に、記憶に残る文章もある。
私が絶対に忘れない文章は小学校1年生の時に書いた作文だったりする。
「ぼくのペットはいぬです。なまえはちびです」という一行目を、なぜか忘れないのだった。
さらに、その次の行も覚えている。さすがに文章の結論は忘れたけれど、この文章は私が書いた実感がある。

・・と書いていたら、『お金の現実』の一行目を思い出した。
「我が家にはバルタン星人がいる」

あらら、これは「ぼくのペットはいぬです」ではないか!!

なるほどなー、私は今日まで、「ぼくのペットはいぬです」を書き続けているってことか・・・・・・。

考えてみると仕事も同じかもしれないなー。

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