カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2012/04/16(月) 08:31

最初・・

山菜採りに行くといつも思うのだけど、初めてウドやゼンマイを食べた人って凄いと思う。
キノコなどもそうだけど、どうして食べたのだろう?
本当に不思議だ。

ポピュラーミュージックでは、dim(ディミニッシュ)というコードがよく使われる。
このコードは、4つの音が1.5音づつ離れているコードで、世の中に3つしかない。
楽器をいたずらしていれば、このコードを見つけることは誰にでも可能だけど、このコードを最初に曲の中で使った人は凄いと思う。
どうして、こんな不協和音をおしゃれに使うことを思いついたのだろう?
本当に不思議だ。

 ※音楽史に詳しい方がいらっしゃったら、「最初」が誰でどの曲か教えてください。

・・・ということを考えていると、最初にやった人は偉いな~というのはたくさんある。
でも、ぜんぜん歴史に残っていない。

でぇ、歴史に残らなくてもいいから、何か「最初」をやってみたいと考えてみたけど、くだらないものしか浮かばない&それさえもすでにやられているような気がする。

おそらく、ほとんどが、紀元前に発見されているのだろう。
仮に、紀元後に発見されたものがあっても、微分積分と相対性理論以後のその周辺にかかわる「最初」しかないように思える。

結局、偉い哲学者なんて、紀元前の発見を無視したり遠回りしたりして、それ以上の発見ができていないと思うし、哲学以外でもそうでしょ。

そうするとわかることがある。
「新しい」は要注意!
これがわかるんだよね。

【TAROの日記】

2012/04/13(金) 08:31

物忘れと老眼

物忘れがひどくなって困っているのは、今にはじまったわけではないが、
物忘れと老眼はとても不便である。
それもよくなることは絶対にないのだから致命的だ。

しかし、フロイトによれば、傘を忘れることにだって積極的な意味があることになるのだから、
物忘れと老眼にも積極的な意味があるのかもしれない。

50歳になってそろそろ半年になりそうな私には、ある種の諦めがあって、ボケについてはとりあえず整理が終わっている。
呆けというのは、おそらく、自我の尊厳の防衛である。おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられないから、ボケる。周りは迷惑だが、本人にとっては悪くないことなのだ(と思う)。
同様に、物忘れと老眼にも積極的な意味があると思うわけだ。

では、どんな積極的な意味があるだろうか?

一つは、若いときと同じ気になって同じ事をするのはやめな!という体の防衛の効用がある。
そう考えると、私なんかは、やることがまったくなくなってしまうけれど、ガキの頃からやっているいろーーんなことを卒業していく時期のお知らせなんだろう。

そういえば、楽譜なんてまったく見えないうえに、暗譜も不可能になっているから、本当にコードくらいしか見なくなっていて、テンションとかも適当に入れるという非常にJAZZ的な案配になってきている。
もしかしたら、ビバップというのは、そんな案配からはじまって、そのうちその世界で凝っていって、私ごときではわからないような世界になったのかもしれない。

そんな風な、手抜きが逆に複雑を作るというのは時々ある(ビバップはそうじゃないけど・・)。
私なんて、シンプルイズベスト、田舎は楽ちん!!と言って田舎に引っ越したのに、引っ越した年から急激に東京の仕事が増え、しまいには、マンションを借り、事務所も出す羽目になっている(ちょっと違うか?)

・・・・・・・

ところで、物忘れと老眼の効用なんだが、こういう風にブログを書くということを止める口実にもなるし、仕事をやめる口実にもなるし、まー、いろいろと年のせいにできることは多い。

若いときは、若さのせいにし、年を取れば年のせいにする。
まー、そんなものだな・・。

【TAROの日記】

2012/04/12(木) 08:28

家の前の木が折れている

やっと、雪が消えてきた。

今日、玄関を出て驚いたのは、家の前の林の木が一本根元から折れていたこと。

雪は、ただ、ゆっくりと、落ちてたまっただけなのに、大きな木を一本折っちゃうんだもんね。

世の中に流通している躁的な気分や手法に対して「ばかー」と言いたくなる私の心には良い栄養だ。

この倒れた木も、春の大掃除でかたづけられてしまうんだろうけど、このまんまにしておいて欲しいな。
息子がこの倒れた木の前で、毎日、すぶりをする景色というのは悪くない。

【TAROの日記】

2012/04/11(水) 08:24

つまらん

世の中には、つまらないものがたくさんある。
昨日、かみついた雑誌の”つまらなさ”なんてかいわいいもの。
もっと厭世気分にさせてくれる”つまらん”は世界中に溢れている。

そして、”つまらん”に焦点をあててしまうと、気分は、キルケゴールのようになってしまうこともあるし、宇宙を観察している科学者のようになってしまうこともある。

何を言いたいかと言えば、しょせん、人間も現象の一つであって、偉そうなことを言ったって、そのうち死ぬ。それで、自分が死んでも宇宙はなにもかわらん・・という気分である。

そして、そんな気分を優先してしまえば、「まー、なんでもいいんじゃない!」ってことになる。
しかし、そうは思えない。どうしてだろー?
これが個人的には不思議で仕方がない。

そう思えないからといって、”つまらんもの”に全面戦争を挑むでもなく、ただ、”つまらん”と言っているのはボヤでしかなにだから、そんなものは無視すればいいわけなのに、何なんでしょう?

結局、自分のどこかにも”つまらん”ことをしたい気分が少なからずあるからなんだろうね。悲しいけれど、そんなもんだは・・。

【TAROの日記】

2012/04/10(火) 11:09

「黙れ!言葉」

何をすべきかを語る奴は詐欺師である・・と言ったのは誰だか忘れたけど、似たようなことはいろいろな先人が言っているところではある。

今日は、半年に一回、目医者に行く日だった。
そして、午前中の二時間を目医者で過ごしてきた。
時間がたっぷりあったので、『VIPミーティング』のコンテンツを考える良い時間になった。
おそらく、6月の『VIPミーティング』は、目医者で検査待ちする私の心理が大いに働くものになることと思う(ウソだよ)。

検査が終わり、ながーーい待ち時間の後に、診察。
診察室で医者は言う。
「今は大丈夫だけど、半年に一回は検査しておくべきだね」

そして、日程を半年後に入れされそうになったので、忙しいと言いながら7ヶ月後に伸ばす。
どうせ、7ヶ月後に、「今回は、検査期間があいたから次は5ヶ月後ね」なんて言うわけないので、この伸ばすのが唯一の抵抗なのだった。
行かなきゃいいのはわかっている。でも、医者に言われると、どうも行ってしまう・・という自分の弱さもイヤで仕方ない。

まー、医者はいい。
リスク管理としての面もあるから、一回2800円、年間5600円は高いと思うがいいことにしておこう。

大量の迷惑メールは「何すべき」を語る。
決して、「何をしてはいけない」は語らない。
そりゃそうだ。それではメールを出す意味がないからね。

しかし、そういうのがうるさくて仕方がない。
「黙れ!言葉」と言ったのは、谷川俊太郎だったか・・・。

【TAROの日記】

2012/04/09(月) 08:37

ゴミ雑誌が、ゴミ本を語る

『プレジデント』といえば、ゴミ雑誌の代表ですが、この雑誌が、”役に立った一冊、ゴミ箱行きの一冊”という特集をしていて笑えます。

ところで、『ビッグ・トゥモロー』とか『THE21』とかゴミ雑誌は他にもありますが、あの手のゴミは、最初から「ゴミでーす!」とどこか宣言しているところがあるのでどうでもよいと個人的には思っています。
そこからいくと、『プレジデント』はどこか体裁だけまともな感じがあります。しかし、隔週刊になってだいぶ経ちますが、隔週刊になった後の『プレジデント』って、本当に情けないことになっています・・。

特集の方ですが、あいかわらず、ゴミです。
年収ごとに好きな作家や本のランキングが出ていますが、果たしてどうなんでしょう?このランキング。
記事の中で成毛眞さんも指摘していますが、年収1500万円以上の人たちのランキングでさえ首を傾げます(だいたい、『もしドラ』が1位というのは、笑いを超えた虚脱感が襲います)。

表紙では、「年収800万円が嫌いな著者1位は勝間和代・・」など煽っていますが、あまり意味がない・・というか票数が少なすぎる・・というかなんというか、どうというか、ゴミ雑誌らしいゴミさ加減です。

この特集のランキングを冷静に見るならば、とにかく票数が少ない。
そして、上がっている本のランキングから見て、答えるべき人が答えていない適当なもののように思います。

もし、これが本当にランキングなら、情けなさ過ぎます。
でも、最近の本屋を見てみると、実際、棚の荒れ方は半端ではないので、これが実態の一面ではあるのかもしれないですね・・。

あ・・!
こんなゴミなことに反応していてはいけませんね。
書くことがなかったので、無理矢理反応した・・ということでお許しを。

【TAROの日記】

2012/03/30(金) 08:29

明日からシンガポールなのだ。

5日ほど、シンガポールに行く。

単なる家族旅行だけど、2月15日の陥落後の視察の気分だったりする。

12月の真珠湾、マレー沖海戦に続き、今は順調日本が、6月にドツボに嵌る・・というようなピクチャーを根拠もなく言い続けている私だったりするわけだけど、そんな気分の一貫での旅である。

そういうわけで、またまたブログを書かない日が続く。
きっと、google+には、フラフラ何かを書くかもしれない。

シンガポール方面は、最近の裁判などでも明らかなように、当局に外堀を埋められようとしている。
最近、あっちで法人を設立して・・云々という手の話がさらに盛んだけど、いかがなものかと思う。

金融は良い。
しかし、それ以上のこととなるとどうなのかね。

世の中には、海外脱出を図ってよかった・・という話は聞こえてくるが、その逆はあまり聞こえてこない。
しかし、ちょっと考えてみればわかることだけど、基本的に市場経済にいるわけだから、差はないようになっている。
あらゆる変数が調整されて、どっちも同じ。むしろ、くだらないことにエネルギーを使ってムダだった・・ということに帰結するようになっている。
もちろん、短期では損得が明確に出る。短期ならね・・(笑)

そういうわけで、純粋な観光をやってくる。
もちろん、いくらかな思惑は持って行くけどね・・。

【TAROの日記】

2012/03/29(木) 09:04

観察者(=傍観者)の限界

傍目八目とはよく言ったもので、自分のことはわからないが、他人のことはよくわかる。

では、第三者の視点は全て正しいのだろうか?

観察者の洞察は、それぞれの立場、それぞれの能力から見えるという点で、当事者よりも優れている時がある。
しかし、一人の観察者が、すべての観点から正しい解を出せるわけではない。あくまでも、ある点で当事者よりもすぐれた洞察が得られる場合があるというだけである。

新聞を見ていたら、『コンサルタントになっていきなり年収650万円を稼ぐ法』などという毎度毎度の本が出版されていることを知ったが、650万円程度を自慢する神経は、とりあえず不問にしておくとして、”いきなりコンサルタント”というのは、根本的に何かを勘違いしているなーとあらためて思う。

まー、こんなことはどうでもよいのだが、今日は本当に何も書くことが思いつかなかったので、こんなことを題材にしている。
ただ、せっかくなので、もう少し書く。

当事者には感情がある。
観察者には感情がない(他人の気持ちなんてわかるわけない。私は「わかる。わかる・・」という言い回しが嫌いだ)。

物事の判断とは、いつでも感情が伴う。
しかし、観察者は、その感情のただ中にいない。
それが有利に働くこともあるが、おそらく多くの場合は、それは問題がある。

世の中で、傍目八目が通用するのは、単に浅いところで、みんなが満足しているだけだからだ。

傍目八目・・とは単にそういう意味でしかないと思う。

世の中には、「傍目八目ビジネス」が多くある。
それは占い師から評論家、床屋のおばちゃんまで人に意見する多くの商売がそうだ。
場合によっては、課長とか部長なんてものも含まれるだろう。
しかしね、そんなものはそんな程度なのだ。
「でも、それで救われました」というような経験は、競馬の予想詐欺でたまたま当たってしまったことと何も変わりはない。当たらない方が良いことというのは結構多いのだよ(笑)

【TAROの日記】

2012/03/28(水) 08:27

街の衰退

一昨日、新潟市に久しぶりに行った(ことは昨日も書いた)。
そして、古町という旧繁華街を少し歩いた。

“旧繁華街”と書くくらいだから、その衰退は目を覆うばかりだ。
しかし、この古町を、私が楽しく闊歩していたのはつい最近のことだと思う。
1980年代、古町はまだ繁華街だった。
記憶では1990年代もまだまだ繁華街だったように思う。
異変は21世紀からやってきた。つい最近のことなのだ。

私が住む上越市の旧繁華街だって、80年代はまだまだそれでも・・だったように思う(もちろん、私が言うところの「3階建て論」ははじまってはいたが・・)。
完全に、バンザイがはじまったのは90年代に入ってからだ。やっぱり、つい最近のことなのだ。

もちろん、変化は水面下でちゃくちゃくと進み、それがある時現象として現れるわけだけど、その現象が現れてからの見える景色は加速的だ。

街を見ながら、そんな衰退の加速を止めるにはどうしたらいいのだろう?なんてことを考える。
実は、この件については、それなりの答えは出ているわけだけど、その答えに100%納得はしていない(というか、することができない)ので、こういう景色を見ると考えてしまうのだろう。

それにしても、世の中の衰退の早さの恐ろしさよ!である。
私たちの人生は短いが、繁栄なんてもっと短いのだ。
なんだかんだと言いながら、私は10年以上、可もなく不可もなく(しかし、その”可もなく不可もなく”が世間一般常識よりも恵まれすぎていることを考えるとありがたすぎることだったりするけれど・・)過ごしている。そりゃ、おそらく凄いことなのだ。
その形容には、”踏ん張る”という言葉が、一番相応しいだろう。それと、司馬遼太郎が言うところの鎌倉武士の気分の拝借もできるかもしれない。

さて、今日も踏ん張って、今年も踏ん張って、残りの全部を踏ん張りますか・・。

【TAROの日記】

2012/03/27(火) 02:01

異世界

今、新潟市から帰還。

昔の職場の同期が50歳になって退職を決意(?)
お別れ会を周辺4期くらいまでの後輩たち行うというので、乱入することにした。

でぇ、仕事を終えて、強い雪が降る中を高速を突っ走り飲み会に途中乱入する。
乱入したのはいいが、誰が誰だかわからない。
むこうは、「おかもとさーーーん!」って言っているけど、『釣りバカ日誌』に出てくるような課長然とした風貌のおじさん達の集団が異様に見えた。
おじさん達は、おじさん達で、わけのわからんカッコをした50才親父に違和感を覚えたと思う。
それぞれの異世界同士の遭遇である。

しかし、サラリーマンをこんなに束で見たのは、18年ぶりだと思う。
彼らの慣習的な飲み方や会話に付き合うというのは、新鮮だった。
自分も昔はそれをやっていたのかもしれないが、もはや過去過ぎて覚えていない。

それにしても、飲み会の景色は、本当に本当に異世界だった。
なにもかもが違う。そして、自分が辞めた必然性も感じた。
さらに、彼らが一つの組織の環境の中で、最適化していく不条理も感じた。
私は、彼らが若かった頃しか知らない。
それは良いところもあれば悪いところもあったかと思うけど、彼らのオリジナルだったことだろう。
そして、そのオリジナルは今も身体のどこかで機能はしていると思うし、そういう面も感じた。
でもね、基本的に自由にやっている奴とは何かが違うのだ。
世界から見れば、部分最適。しかし、彼らから見れば、全体最適。
これは一つの賭けだ。
この最適化が死ぬまでうまく機能するかどうか・・という賭けだろう。
それも、本人達はそれがわからない。

もちろん、私も同様だ。
彼らよりも動的な世界で生きている私だって、やはり、環境に最適化している。
ただ、私にはその自覚がある。
この違いは、実は、かなり大きいと思うのだ。

・・と言いながらも、私が普段接することのない慣習と会話を鏡にしながら、私を見る・・というのは面白い。
自分の客観化という点で最高の方法だろう。
それも、100%気を使う場でもない。それどころか、みなさまが気を使ってくれて、私はいつものマイペース。これは感謝しなくてはならない。

終わってから、退職する同期の家に乱入。
久しぶりに午前1時まで飲む。
そこでは、20代の頃の大バカなことを、そのまんま50代版でやっているような雰囲気になっていた。おそらく、この人たちとは、、あの一瞬の20代の頃のノリを、その時々のできる範囲で反復していくのだと思う。そして、それはそれでアリだろう。

真面目な会話はほぼなし。
互いに、背景の差はよーーくわかる。
だから、そこに踏み込む必要はない。
みんながみんなそれぞれに生きている・・。

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